無邪気な妹と邪気ある義母
ヘロヘロで家にたどり着いたロミロアは、すぐにでも自室に閉じこもってしまいたかった。
しかし、悲しいかな、迎えの執事の冷たい言葉…もとい、命令が飛んできた。
「奥様とシャリーンお嬢様が、食堂でお待ちです。」
はぁ、と小さくため息をつく。
「私、今日は疲れていて…。」
「奥様とシャリーンお嬢様が、食堂でお待ちです。」
全く同じ口調で全く同じ音量で全く同じ声質で、執事は言った。
「…わかったわ、部屋に荷物を置いて、」
「奥様とシャリーンお嬢様が、食堂でお待ちです。」
三度目のリプレイ。
はああああぁ、と今度は大きくため息をついて、食堂へと向かった。
今日は厄日のようだ。
ロミロアの父、ハルク伯爵は仕事柄1年に1か月も、家にはいない。
その間屋敷を仕切っているのは、奥様、こと、ロミロアの義母である。
ロミロアの実母は、ロミロアを出産してすぐに亡くなった。
義母が後妻として嫁いできたのは、今から12年前。ロミロアが五歳の頃。
義母は、金遣いの荒さは若干気になったが、特段意地が悪い人物というわけでもなく、血のつながらないロミロアをイジメたりとか、嫌がらせをしたりだとかはしなかった。
しかし、優しくもしなかった。
ただただ、ロミロアに関して『無関心』だったのだ。
『母親』という存在に浮かれていたロミロアは、当時寂しく思ったのを覚えている。
しかし、五年ほど前からは、少しだけロミロアに関心を持つようになった。
それは娘、としてではなく…ただの、道具として、だ。
食堂では、食事を終わらせた義母とシャリーンが、ロミロアを待っていた。
うっすらと笑顔を浮かべる義母と、付き合わされているのだろう、退屈そうなシャリーン。
「おかえりなさい。遅かったわね。」
普段の義母なら、わざわざ時間を作って、ロミロアを待つなんてありえない。
ロミロアと会話する時間よりも、ご自慢の大きな宝石のついたブローチやネックレスを磨く時間のほうが大切だと思っているだろう。
「はぁ、申し訳ありません。」
だからこそ、この後の話の流れなどわかるというものだ。
ロミロアは小さくお辞儀をして席に着いた。
「いいのよ、お城に呼ばれてたんでしょう?」
(ほらね、やっぱり、早速ね。)
「あ、お姉ちゃんお城に行ってたんだ?ギル様昨日元気なかったけど、体調でも悪いの?」
シャリーンはのんきなものである。
昨日、自分が、王子とおそろいのドレスを着てダンスを踊るということが、何を意味してしまったのかなど、考えてもいないだろう。
着たいから着た。踊りたいから躍った。話したいから話した。
そこに『姉を貶めてやろう』なんて悪意はみじんもない。
『人の目なんて気にしない』とするシャリーンの性格はうらやましくもあるが、この国の貴族令嬢としては今後もいろんな問題を起こしそうで、危うくもある。
(まぁ、これから覚えてもらえればいいことね。まだ9歳なんだもの。)
「で、なんの話だったのかしら?」
義母は、シャリーンとは違う。
義母はわかっている。昨日の誕生祭のギルドラードの行動が、何を意味するものだったのか、を。
そして、今日ロミロアがお城に呼ばれた理由も、なんとなくは察しているはずである。
察していながら、ロミロアの報告を楽しみに待っているようにしか見えない、薄い笑みを浮かべた義母に、事実を伝えるのは少し癪ではあるが…隠していても仕方がない。
「ギルドラード様に、婚約破棄を言い渡されました。」
ロミロアは単的に答えた。
「あら。」
「え!?」
やはり、というべきか。義母はその報告に、笑みをさらに深くした。
シャリーンのほうは、本当に驚いたというように、目を見開いている。
「え、どうして?お似合いなのに。」
これが、シャリーンである。
良くも悪くも悪意はなく無邪気。
大人に囲まれて生活しているギルドラードにとっては、シャリーンの性格はとても新鮮だっただろう。惹かれてしまう心境も、わからなくもない。
「私なんかより、貴方とギル様のほうがお似合いよ。」
嫌味ではなく本心で、ロミロアは答えた。
なんせ、昨晩は自分の立場も忘れて見入ってしまうほどだったのだから。
「そうね!ロミロアよりシャリーンのほうが、王子にはお似合いよ。シャリーンは美しいし、年齢もちょうどいいしね。王子も、シャリーンと婚約するために、ロミロアとの婚約を破棄したんでしょうし。」
うふふふふ、と満足そうに義母は笑った。
「ギル様が私と婚約…?何言ってるのママ。私たちはただの友達よ。」
「ただの友達がファーストダンスを踊るなんてことはないでしょう。」
義母の考えは透けるほどにわかる。
実母のシャリーンをギルドラードの婚約者にと望んでいるのだ。
「ファーストダンス…?」
「王子がファーストダンスの意味を知らないわけがないのだから。シャリーンのことが好きでなければ、誘うわけがないでしょう。」
その弾むような口調は気にはなるが、義母の言い分はすべて正しい。
ロミロアは会話に時折うなずきながら、出てきた食事を急ぎ口にした。
さっさと食事を終わらせて、さっさとこの場から離れたかった。
「それに、初等部でも仲良くしているのでしょう?王子が自ら声をかける生徒は、あなたぐらいしかいないっていう噂よ。」
…そんな噂は聞いたこともないが…。
義母は、シャリーンに対しては過保護なので、何かしら探りを入れていたのだろう。
「えー?まぁ確かにそれはそうだけど…。」
シャリーンは戸惑ってはいるが、おそらくギルドラードの事を嫌っているわけではないはずだ。
好きは好きなのだろう。
ただ9歳の彼女にはそれが『恋』だとか『友情』だとかの区別がついていないだけで、戸惑っているのだろうな、とロミロアは感じた。
ギルドラードはまだ子供ながら魅力のある人間だ。
彼に愛されているのならば、自然とシャリーンの気持ちも、いずれはギルドラードに向かうことになるだろう。
(その時の二人の様子を見ずに済むのは、不幸中の幸いかもね。)
「それで?婚約破棄式はいつなの?」
「三日後です。」
ようやく食事をすべて胃の中に流し込むことに成功したロミロアが答えると、義母は再び嬉しそうに目を細めた。
「あら、そんなに早く?よほど早く婚約破棄したいのね、王子は。」
本当に、一々言い方や表情に、顔が曇ってしまいそうになるが、残念ながら義母の言うことは、ずーーーっと正しい。
「そうでしょうね。」
と答える以外のすべはない。
「三日後の10時に中央教会で婚約破棄式を上げることになりました。お手数ですが、お母様たちも出席をお願いいたします。」
「えぇ、もちろん。…中央教会、ねぇ…。」
婚約破棄式は、通例で行けば『北教会』で行われることが多く、『中央教会』といえば、『婚約式』を上げることで有名な教会だ。
その事実は、義母の妄想をさらに深めた。
「…もしかして、王子はロミロアとの婚約破棄をした後に、シャリーン殿婚約を発表するつもりかもしれないわね。普通は婚約破棄式に中央教会なんて選ばないもの。」
「いや、それは違うかと。」
初めて義母に反論した。
初めて義母が間違った発言をしたからだ。
マーガスの会話を思い出すに、教会の準備をしたのはマーガスだろうし、それに『ギルドラード様は自分の独断で婚約者を選べなくなった。』というマーガスの言葉もただのはったりには聞こえなかった。
おそらくギルドラードとシャリーンが婚約できるようになるまでには、まだ時間がかかるだろう、とロミロアは思ったのだ。
しかし、その反論に義母は思いきり眉を吊り上げた。
「ロミロア、貴方ねぇ、つらい立場なのはわかるけれど、妹をお祝いする気持ちはないのかしら?大人げないわねぇ。今は貴方の願望を聞いているのではなくてよ。」
嫌悪感を隠そうともしない義母の言葉に、ロミロアは頬をひきつらせる。
「それに、安心しなさい。ちゃんと貴方の将来のことも、私、考えてますから。悪いようにはならないわ。」
(やばい…)
義母の言葉に、ロミロアはある人物を想像し、ますます頬をひきつらせた。
「まさか、それは、私の次の婚姻の話でしょうか…?」
「えぇ、そうよ。王家から婚約破棄をされたものなど、嫁に迎えたいという貴族は、この国にはいないでしょう。でも、大丈夫。きっとポルトヴァ様なら、優しく貴方を迎え入れてくれるに違いありませんわ。」
ポルトヴァ。
想像通りの名前が出てきた。
4年前、ロミロアがギルドラードと婚約する前に、婚姻の話が出ていた人物である。
「この4年間、ポルトヴァ様は貴方の事を思い続けていたみたいよ?未だ独身ですし、貴方が婚約破棄されたとなれば、喜んでくださるでしょう。」
「お母様、心配には及びません。私の将来のことは、私自身で決めますから。」
やはり食事を早食いしておいてよかった、と思いながらロミロアは立ち上がる。
「何を言ってるの!あなたはまだ子供なんだから、私に任せておけばいいのよ!」
ヒステリックに叫ぶ母親の声を無視して、ロミロアは食堂を後にした。
(大人と言ったり子供と言ったり…相手にしていられないわ。)
そもそもポルトヴァとの婚姻を勧めている時点で、義母はロミロアにとって『話す価値のない人』てある。
ポルトヴァ、という男は、フィルドール王国一の宝石商。
年齢はおそらく50歳前後になるだろう。
年齢や身分は、さほど気にはならないが、いかんせん、バツ5というのはさすがに引く。
若い嫁を貰っては5年前後で離婚、を繰り返し、子供の数は20人を超えるとも噂されている人物である。
しかしながら義母が言うとおり、王家との婚約を破棄された令嬢を嫁にもらおうなんて貴族はこの国にはいないだろう。
この家に居続ける限り、義母は何としてでもポルトヴァとの婚姻を勧めようとするだろう。
(さて、どうしましょうかね…)
選択肢はいくつかあるが…と悩みながら部屋に入ると、通信具が赤色にピカピカと光っていた。
赤色の光。これは間違いなく、今一番に大切にすべき連絡である。
あわてて通信をつなぐ。
「ロミー、でるの遅くない?」
開口一番に不満げな声を上げる相手。
「ごめんね、ナーニャ。今日は帰りが遅くて。お城に呼ばれてたの。」
それは、去年まで隣国から留学生としてやってきていた、友人、ナーニャからの声だ。
今は留学期間を終え、隣国バルティ王国へ帰ってしまった。
「知ってるー。婚約破棄されたんでしょ?」
「ずいぶん情報が早いわね。」
城に、隣国へ情報を流すものがいるのだろうか、と少し心配にはなるが、もう自分には関係のないことだ、とすぐに割り切った。
「だから言ったでしょ?子供の約束なんて信用できないって。で?これからどうするの?」
「うん、そのことなんだけどね…。」
ロミロアの第二の人生が、始まろうとしていた。
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