因縁の難癖宰相
「…泣いてる、のか。」
婚約破棄を言い渡されたロミロアを追いかけてきたマーガスは、息を切らしながらも呆然とそうつぶやいた。
そして、すぐにゆっくりと口の両端を吊り上げた。
「ぷぷぷっ、泣いて…クスクス…あ、ごめんごめん。」
ものすごく楽しそうに、肩を震わせて笑い始まるマーガス。
(…この男!)
ロミロアの涙は、ひゅん、と一瞬で引っ込んだ。
ロミロアは、本来穏やかで大人しい令嬢である。
しかし、宿敵、マーガスに対してのみ、強気になり口も悪くなる。
…そうならざるを得なかったのだ。
「…何の御用ですか。」
彼の前では、感傷に浸っている場合ではない。いや、まぁ今はもうもはや『敵』ではないはずなのだが。
『立ち話も何だし』とマーガスが執務室に入れてもらったのには、多少感謝するものがある。
涙顔で、マーガスと言い争っている姿など、誰にも見られたくない。
「ロミロア嬢、この度は本当に、ごしゅ、ご愁傷様…」
ぷーくすくすと笑いながらマーガスは言う。
「…よかったですね。お望みどおりになって。」
「あぁ、本当に。これで君とのこざかしい争いをしなくて済むと思うとホッとするよ。」
「で?何用ですか?」
白けた目をマーガスに向けると、マーカスは必死に笑いをこらえ始めた。
彼も暇ではない。人をあおるためだけに、追いかけてきたわけではないだろう。
宰相・マーガス・スクルト。
齢28歳の、最年少宰相。
シルバーの長い髪を後ろにまとめ、渕のない眼鏡をかける彼は、いわゆるインテリイケメン。
様々な革新的政策で、王家の財政を潤す、『優秀』で『曲者』の男だ。
「ごめんごめん、ほら、婚約破棄式の日程をね?」
王家との婚姻関係は、口頭で成立するほど簡単なものではない。
婚姻をするのにも、破棄をするのにも、教会で誓いを立てなければならない。
「三日後の15日ね、10時に中央教会に来てね。よろしく。」
「三日後!?」
婚約破棄式には、当人たちと身内の出席が求められる。
仮にも王家の面々のスケジュールを考えると、そうそう近い日取りが取れるとは思えなかったが…
「うん。ロミロア嬢の気が変わってさ『やっぱり婚約破棄なんて嫌です~』なんて言われたら困るし?王子たちのスケジュールも抑えたから大丈夫!」
満面の笑みでマーガスは答えた。
「あ、あとそのブレスレットも返してくれる?」
さっと手を差し出すマーガスに、ロミロアは歯ぎしりをしながら、手首からブレスレットを外した。
「ずいぶん手際がよろしいです事…」
そのブレスレットは、去年のロミロアの誕生日に、王妃からいただいたものだ。
代々王太子妃が譲り受けるブレスレット。
『結婚はしていないから、本当は少し早いけれど』と王妃から、マーガス経由で受け取ったときは、どれほど嬉しかったことか。
あの時の悔しそうなマーガスの顔に、どれほど優越感を感じたことか。
外したブレスレットを、即座にロミロアから取り上げたマーガスは、うっとりとそれを見つめた。
「あぁ、なんと大きなサファイヤ。ロミロア嬢、知っているかい?このサファイヤの名称『王家の瞳』っていうんだよ。メアリーによく似合うだろうねぇ!」
4年前。
13歳でギルドラードの婚約者になったその日から、ロミロアにとってマーガスは『宿敵』となった。
理由はただただ単純。
たまたまロミロアたちの婚約式を見た、マーガスの一人娘、メアリー(当時3歳)が、
『将来はお姫様になりたいのー』と言ったからである。
『お姫様』=『王家の娘』
親バカ選手権があればフィルドール王国代表にされるであろうほどに、盲目親バカのマーガスは考えた。
今から、メアリーを王家の娘にすることはできない。
それならば王妃にすればよいのだ、と。
娘の夢もかなって、自分の地位も安泰して、一石二鳥、これしかない!と。
そんな野望を持つマーガスにとって、ロミロアは『邪魔者』で。
かといって、宰相という立場上、王子の婚約を反対するわけにもいかず。
結果、ネチネチとまるで小姑のように、城にロミロアが来るたびに、いびり、嫌味を続けた。
メアリーとも元々面識のあったロミロアは、マーガスの自分に対する行動すべてが、メアリーのための者だということは知っていたので、あくまで『メアリーに免じて』我慢はしてきたが、マーガスの嫌がらせには本当に辟易していた。
とにかく、マーガスにとって、今回の婚約破棄は、それこそ笑いが止まらないくらいに愉快なもので、そりゃあもう、いつもの2倍も3倍も仕事のスピードが上がるというものだ。
「…マーガス様、シャリーンの事を忘れてませんか?」
うっとりとブレスレットに頬ずりをし始めたマーガスに、ロミロアはせめて一矢をと言葉を上げた。
「シャリーン?誰それ?」
「私の妹ですよ!昨晩王子とダンスを踊った!」
どう考えてもあれは『恋人同士』がするもの。
ギルドラードは次の婚約者に、シャリーンを求めるに違いがない。
そうなれば婚約者がロミロアからシャリーンに変わっただけ。
メアリーにまだチャンスは来ないのだ。
「あぁ、あの子ね。いや、大丈夫でしょ。」
にやり、とマーガスは笑った。
「姉の婚約者と公の場でおそろいのドレスを着てダンスしちゃうような子が、王太子妃にふさわしいと思う人間はこの国にいないしね。王も王妃も認めないだろうから、ギルドラード様がどれだけ望んだとしても、なれて側室ってところじゃない?」
マーガスのメガネが光を反射してきらりと光る。
「なんせギルドラード様は4年前、君を婚約者にと意見を突き通した結果、婚約破棄しちゃうなんて前科が課されるわけだから?次はもう、自分の意見だけを突き通して婚約者を選ぶ権利なんて与えられないよね!」
あはははは、とマーガスは笑う。
「結果として君との婚約は、『今後ギルドラード様に独断で婚約者を選ばせない』という、僕にとって有利な展開になったわけだ、感謝するよ!」
(ぐぬぬぬぬ…)
『言葉に対する暴力での正当防衛』が認められるのであれば、ロミロアはマーガスを殴り倒していただろう。
そう思うほどに憎らしく晴れ晴れした笑顔だった。
「…私の妹は、私のように大人しく引き下がったりはしないと思いますけどね…」
あまり妹を庇っても、マーガスに過敏にチェックをされるだけだろう、とそれ以上の言葉を言うのはぐっとこらえた。
こんな男と会話を交わしても、何も得することはない。
「マーガス様にも、これまで4年間、ある意味大変お世話になりましたね。どうぞ、末永くお元気で。まぁ言われなくても元気でいそうですけどね、マーガス様は!」
ペコリ、とお辞儀をし、早々と部屋を出ようとするロミロアに、
「え?何言ってるの、そんなもう二度と会わないみたいなこと言って。」
ぽけっとマーガスは答える。
「私がギルドラード様の婚約者でなくなれば、そりゃあ二度と会わないでしょう。あぁ、いや、婚約破棄式ではお会いするかもしれませんが。」
何言ってんの?とぽけっとロミロアも答える。
「は?これからも少なくとも二週間に一度は会うだろう?週一でもいいけど。」
当然のことである、というようなマーガスの口調に、ロミロアはますます首をかしげていく。
(何言ってるんだこの人は…?)
ギルドラードとロミロアの婚約破棄が嬉しすぎて、頭がおかしくなったのか?と考えていると、
「え?言ったよね。メアリーが、君の作る手作りお菓子を気に入ってるって。」
と言葉が続けられた。
「はぁ、聞きましたけど…。」
ロミロアの趣味のお菓子作り。
以前はギルドラードに渡すために作っていたが、ここ一年、ギルドラードは甘いものが嫌いになったそうで、食べてくれなくなった。
そこで、ここ一年は、ギルドラードが手を付けなかったロミロアの手作りお菓子は、マーガスを経由して、メアリーへと流れていたのである。
ギルドラードがお菓子を食べないのならば、もう作るのをやめようと思った時期もあったが、メアリーが楽しみにしているというので、なんだかんだ作り続けてはいた。
「は?何、君。僕と会わずにどうやってメアリーにお菓子を渡すつもりなの?わざわざ家に来ようとしてるの?やめてよ、変な噂たったら困るんですけど。今まで通り執務室に持ってきてくれないかな。」
「…いや、そもそもなぜお菓子を作り続けることを求められているんですか?」
ロミロアの言葉に、マーガスは思いっきり眉間に皺を寄せた。
「君の婚約破棄と、お菓子をメアリーに作ることの件は、全く別物だよね?僕のことが嫌いだからって、メアリーにまで意地悪するのはどうかと思うなぁ?メアリーはまだ7歳だよ?」
心底軽蔑した、というような目をマーガスから向けられるロミロア。
流石に不当すぎて、パクパクと口を開いた。
「…マーガス様、頭腐ってるんですか?マーガス様の事は嫌いでも、メアリーの事は好きですよ。でも、一応あれはギルドラード様のために作っていたものですし?王国にはお菓子屋さんだってあるんですから、私がわざわざメアリー様に作る必要はないかと思いますけどぉ?」
念のため、もう一度言っておく。
ロミロア・ハルクは本来、穏やかで大人しい性質だ。
だが、この切れ者で小姑の宰相・マーガスに対してのみ、売り言葉に買い言葉で、このような口調になってしまうのだ。
「恨むよ。」
マーガスは真顔でつぶやいた。
「は?」
「お気に入りの君のお菓子が食べられなくなって、メアリーがぐれたら、一生恨むよ!」
しったこっちゃない、というのが本音である。
大体なんだ、お菓子が食べられなくてぐれるって。
「過保護にもほどがあるでしょう…。」
「過保護にもならざるを得ないよね!メアリーはこの世で一番可愛らしいからね。あ、ちなみに二番目は亡き妻なんだけどね。」
「いや、聞いてないです、どーでもいいです。」
結局、ロミロアがマーガスから解放されたのは、それから3時間後のことだった。
『どうしてもお菓子を作らないというのなら、レシピだけでも置いていけ!』
と、最終的にマーガスはごね、ロミロアもそのあたりが落としどころかと考えた結果、30種類ほどのお菓子のレシピを、その場で書かされることになった。
正直、ロミロアとしては十分感謝してほしいところなのだが、
「このレシピで同じ味のお菓子が作れなかったら、どこに逃げようと君を捕まえるからね。」
とマーガスが平然と言ってのけたときには、さすがにグーでパンチをお見舞いさせようかと思った。
身も心もへとへとになりながら、家にたどり着いたとき、すでに日は落ちていた。
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