殉死

譚月遊生季

殉死

 まず、私は人間が好きだ、という前提からお話しましょう。


 多くの人間に興味があり、他人の幸福を自分のことのように喜び、他人の不幸を自分のことのように悲しむのが私です。

 いかにも善人のように思える性格ですし、実際、周囲の人々の中には私を善人と誤解する方も大勢います。


 けれど、そうではありません。

 いいえ、私の性格面が善人である可能性はあります。

 そうだとしても、私の「存在」が私の愛すべき人達にとって善の方向に働くかどうかは、また別なのです。


 私は人を愛しており、多くの人の幸福を願っています。それは間違いのないことです。

 しかし、私は幼い頃から無自覚に人を不快にし、無意識に人を苦しめ、しかもそれを前述の「善人」のような性格で為す人間でした。

 善意で何かを成そうとするのに善意は空回り、悪意がないから周りも責めにくく、それでいて確かに「有害」になる。


 タチの悪い人間、悪人よりもむしろ邪悪……そう表現する他ないでしょう。

 無能な働き者、という呼称も似合うかもしれません。


 私は他者の幸福を心の底から願い、他者の益になる存在になることを喜びとしているのにも関わらず、私の言動は他人にとって有害になるのです。

 そしてなまじっか「善人」の顔をしているから、周りも責めづらい。厄介なことに私は感情的な方で傷つきやすいため、私がうっかり傷つき涙を流したことで居心地の悪い思いをした人たちも数多く存在することでしょう。

 彼らは決して悪ではなく、むしろ当然の指摘をしただけだとしても、私の心の弱さは意図せず彼らを悪役に仕立てあげてしまうのです。


 もちろん、罪悪感を覚えています。

 私という存在が多くの欠陥を孕んでおり、それでいて傷つきやすいがために、どれほどの人が不快な思いをし、どれほどの人が是正のために動くことを諦めさせられたのでしょう。


 有害極まりない。

 社会に放置しておけば、多くの人を苦しめる毒物になるくせをして、被害者のような顔でよく泣く生命体。

 そんな自分自身を自覚してなお自分を愛すことができるほど、私は愚かにはなれませんでした。


 浅い付き合いの人達は気付かない毒です。

 けれど、深く付き合えば、やがて見えてくるのです。いいえ、私が隠しきれなくなると言った方が正しいのでしょうね。私という存在が持った、致命的なまでの毒を。

 自分にすらどうしようもできないほどの、反吐が出るほどの有害さを。


 命を絶つことを考えたことは何度もありますし、実際に未遂を行ったこともあります。

 けれど、悲しいことに、私は自己保身欲も強い人間でした。激しく自分を嫌悪し、他者愛のために自らを滅ぼそうと考えているくせをして、自らの幸福や平穏も諦めることができないのです。


 本当にこの自己保身欲は汚らわしくて、相手が正しい指摘を行ったとしても臆病な心から言い訳を連ねて自らを守ろうとし、必要のない自分語りで相手に負担をかけるのです。しかも、それを自分では制御出来ず、反射のままに行うのです。

 理性がその行いを悔いたところで、過去は取り戻せません。積み重なった失敗は私の心を締め付けて押し潰しますが、その苦悩がどれほど贅沢なことか。

 私は加害者側なのです。裁かれるべき罪人です。それなのに、なぜ被害者のような面をして嘆き悲しむことができるのか。


 自己弁護をさせていただくと、私は決して努力をしなかったわけではありません。

 他人に不快な思いをさせぬよう、なるべく益となれるよう、私は人との関わり方、言葉の選び方に気をつけ、なるべく心地の良い方法で他人の望みを叶えられるよう試行錯誤を繰り返してきました。

 けれど、本質は変わりません。

 余裕がなくなった時の私の言動はやはり酷く、悪意なく他人を傷つけ、勝手に傷ついては衝動のままに泣き喚いて他者に負担をかけるのです。


 愛すべき他者に、唾棄すべき自分が負担をかける。

 これほど許し難い事象が他にありましょうか。


 世界とは他者によって成り立ちます。

 私一人では世界は存在しません。

 私が嗜む美しい芸術、素晴らしい娯楽、美味しい食事……全てが他者なくしては成り立たない素晴らしいもの達です。

 そんな愛しい事象に囲まれながら、私にできることとは果たしてなんでしょうか? 奪い、消費するばかりで、何一つ還元していないのではないでしょうか?

 そのくせ些細なことで傷つき、苦しみ、慈しむべき恩人達に負荷をかけ続けるのです。


 あまりに許し難い蛮行です。


 他者の役に立つこと、または、美しいもの、楽しいものを提供することで、罪悪感を軽減させることはできました。

 それでも、私は世間一般の同年代の人物と比べて、どれほど「他者の役に立っている」と言えるでしょう?


 病や生い立ちといった、ある程度仕方の無い事情があるとはいえ……納税、勤労、教育を受けさせる……そんな、社会人としての当然の義務すらまともに果たしていない人間がです。そのくせ、有害で他者に負荷をかけ続ける毒物がです。ほんの少し得意を活かしたところで、焼け石に水以外の何になるというのでしょう?

 毒物と自覚していながら、自己保身欲も捨てられない愚かな生命。この世に存在しているだけで他者に負荷をかけている罰を、償うことすら間に合っていないのが私です。ろくに身体も動かせなくなった今では、生存の罪ばかりが刻一刻と積み重なっていきます。


 何も為していない時、あるいは他者に迷惑をかけてしまった時は、罪悪感が心を締め付け、私を責めます。いいえ、責められて当然なのです。私は20数年の生で、それだけの悪行を積み重ねてきたのですから。

 動機が善意だからなんだと言うのでしょう。

 結果が悪しきものであるならば、それは悪行でしかないのです。


 それでも、私を愛してくれる優しい、本当に素晴らしい方々ともそれなりに出会えました。……けれど、彼らも私の全てを知っているわけではありません。


 深く付き合えば、そして負荷がかかれば、私の毒で彼らを蝕むことになると、多くの人は知らないだけなのです。

 私が必死に益になる存在であろうと努力しても、ある日突然、その全てを水泡に帰すかのような爆発が起こる。それが私です。

 ……そんな時に苦しむのは、私などに手を差し伸べてくれた、本当に優しい恩人達なのです。


 さて、ここまで書いて、また確かめることが出来ました。

 私はもっと早く、消えておくべき人間だったのです。


 努力を重ね、取り繕った表面で私を好いてしまう人が増える前に。

 醜く、有害な毒物である本性に触れて傷つく人が増える前に。

 とっとと死んでおくべきだったのでしょう。


 ああ、でも、私はまだ30年も生きていません。

 それなら、まだ、間に合うでしょうか。

 さらに罪を重ね続ける前に、どうにか、これから先の未来に与え続ける害を消し去る方策があると考えるべきでしょうか。


 どうせ、献身のために死す意志を固めたところで、私は死ぬことなどできません。先述した、自己保身欲が頭をもたげ、「幸福を諦めきれない」とほざくのです。


 かつて、小学校でいわゆるいじめを受けていた時、私は同じくいじめられていた少年を裏切りました。「これ以上いじめられたくない」。その一心で、私は悪魔に魂を売り、少年をいじめる側に回りました。


 それほどの下卑た行為を行ったくせをして、まだ幸福を願うなど、馬鹿馬鹿しいにも程があります。

 自分を激しく嫌悪しながら、理想の中でだけは立派に自己犠牲をし、自己保身欲から愚かな過ちを繰り返す。……それを今後、何十年と続けていく未来が容易に想像できますが、そんな未来を変える方法も存在します。


 私を、無理やりにでも殺してしまうことです。


 この遺書が誰かに見つかる頃。私が死ねていることを心の底から望みます。

 そして、私が死んだことで、少しでも周囲が良い方向に進んでいれば何よりだと感じます。

 死は迷惑がかかりますが、私のような毒物がこれから先も生存し続けることと天秤にかければ、微々たるものでしょう。


 そもそも私のような有害な命、生まれて来ないことが周りにとっては幸福だったように思いますが、過去は変えられません。

 これを読んだあなたがもし私の死に悲しんでいたなら、こう、伝えたいと思います。


 あなたは、おそらくは私と深く関わらなかった。

 だから、その悪質さに触れていなかっただけです。

 そして、深く関わっていたのなら、ある程度は「私という存在の有害さ」に納得してくださっていることでしょう。

 どちらにせよ、悲しむ必要など欠片もありません。

 私は、大嫌いな自我を消し去ることでこそ幸福になれるのですから。


 それでは、さようなら。

 心の底から、あなたの幸福を祈っています。




 ***




 ボロボロの紙切れが風に舞う。

 誰にも見つけられない屍は、満足げに微笑んだまま、冷たい風に晒され朽ちていく。


 その選択を、他者のための自己犠牲だと……

 幸福な死であると疑うこともなく、孤独に朽ちていく。

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