15.奈落の牢獄




 独房の外は暗く、湿った場所だった。肌寒く、空気はどんよりとしている。ところどころに置かれた、丸い籠のようなものから、ぼんやりとした光が注いでいた。籠の中では、輝く蝶が体を休めており、羽から落ちる鱗粉のような光が、静かな廊下にうっすらとした光を与えているようだ。

 その奇妙な通路を迷いなく進むソルティーがいた。カザリは後ろに続き、石畳の道を行く。この場が寒々しいほど、静かなためだろうか。カザリの足音ばかりが嫌に響いている。同じ歩幅、似たような歩き方であるのにソルティーの足は鳴る様子すらない。


 時折、すすり泣くような声が独房から音が響く。ふと、その鉄扉へと手を伸ばしたくなるのを、ソルティーがすっと手で制する。


「耳を貸すなよ」


 そう言われると、鉄扉ごしに聞こえていた音は消えた。同時に独房の隙間から、染み出すように死臭が、今更に鼻をついた。

 通路の先、いくつか離れた角から、がりがりと何かを引っかけている音が鳴った。


「ったく、もう湧いたのかよ」


 角から奇怪な覆面した小男が、幾人も半裸の姿でぼろぼろの腰布だけを纏っている。彼らはずるずると血のにじむズタ袋を引きずっている。

 手には血がこびりついて赤黒く変色したノコギリ、ペンチや鞭などを握っている。それらは、こちらに気付くと、狭い通路をバタバタと寄ってきた。


「めんどくせぇな」


 三白眼を一つ閉じて、ソルティーがそのラッパのような筒を片手で向けて、指を引く。カチンという金属が鳴ると、続いて爆音が響く。同時に、丸くまとめられたものが発射されるのが見えた。バラバラとほどけて、覆面男たちに突き刺さった。小男たちは短い悲鳴の後、倒れた。その後、しゅうしゅうと音を立てて、崩れ落ちて赤い染みとズタ袋だけを残して消えていく。


「まったくタダじゃねぇんだぞ」

「なに、それ」

「なにって喇叭銃、あー、雷筒だよ」


 分からないとカザリが首を振るのを、ソルティーは三白眼の片目を閉じて、ふんと鼻息を吐いた。


「ああ、そうか。アンタ、もしかして大陸の出か」


 カザリはこくりと頷く。もっとも、大陸の山中といくつかの村と都市しかカザリは知らないが。


「随分、今夜は広いな。こりゃあ長い夜になる」


 呻くように言うと、銃と呼ばれた筒をずいっと見せてくる。


「要は飛び道具の類さ。少々、うるさいがな。使いたければ、肉付きで来た時に時砂をくれよ。場合に寄っちゃ教えてやる」


 説明を続ける気はあまりないようだ。手慣れた様子で、銃とよばれた筒を割った。それは蝶番のような形だった。その中へまた別の金属の筒を込めて、戻す。カシャンと小気味いい音が鳴った。具合を確認すると、銃を肩に背負う。

 そうしてから、ソルティーは長い息を吐いて、煙草のようなものを鎧の隙間から取り出した


「まったく赤字もいいトコだ」


 どういう理屈かは分からないが、彼が右手ですっと撫でると火がついた。緑色の奇怪な煙が広がる。その煙から鼻を刺激するふんわりとした林檎の香りには、カザリは納得が行かなかった。


「さあ、急ぐぞ、面倒な連中が湧き始めたからな」


 言い切ると、足音もなくするするとソルティーが進む。カザリはそれに必死について行く。個人用の独房が並んだ区画を抜けると、鉄格子が並んだ区画になった。誰もいないのにガチガチと鳴り響く。

 しかし、ふうっとソルティ―が煙を吐きかけると、ぴくりとも動かくなる。周囲からは苦しむような、い゛い゛い゛、い゛い゛い゛と淀んだ呻きが響いてくる。


 それを気にせずに、鉄格子の奥にたどり着いた。螺旋階段があり、深々と続いている。ソルティーは手慣れたように手近な籠を握って、もぎ取る。そうして進む彼に導かれるままに降りた。地下にあるのはそこは神殿のような柱が並ぶ、広い部屋の真ん中だった。しっかりとした紋様が彫られている。


「まったく相変わらず、辛気臭い場所だな、おい、ジジイ、生きてるか!」


 声の先にはその柱の一つに、ぐるぐると巻かれた鎖があり、吊るされるように縛られた者がいた。近寄れば分かるが、青い襤褸切れを纏った老人だ。体が嫌に小さく見えるのは、四肢が切り取られているためだ。見えているだけでも両腕が切り離されていて、黒々とした断面が虚のようにあった。

 そのような状況であるのに、奥にある瞳は強い意思を持ち、引き締まった表情は威厳すら感じる。


「不遜な猿め……」


 透き通った刃のような声が重く、辺りの大気を震わせた。寒気すら感じる威圧感があり、思わずカザリは後ずさった。

 しかし、ソルティーはそんなものが無いように、老人へ踏み込んだ。


「何用だ、貴様の話なぞ聞き飽きた」

「俺じゃない、コイツさ」


 ソルティーが差す親指に合せて、老人の視線がカザリの方へ向いた。


「ほう、また面白いものを連れてきたな、無明の手か」


 声がこちらを潰すように向けられた。口調こそ平素だが、それだけでカザリの体が押しつぶされたような錯覚がある。


「また、分からんことを言う。相変わらず、他人を翻訳機だと思っているのか」


 呆れたように声を漏らす。半ば、透けたカザリの背を叩いた。


「なあ、カザリ。この年寄りは知識がある。アンタが肉体に戻る程度のことぐらい分かるだろうさ」

「ほう」


 重い視線を向けてくる老人に、カザリは思わず震える。しかし、そのまま言葉を絞り出した。


「ぼ、ぼくは、体に戻りたいのです、お、お、御知恵を貸してくれ、ませんか」


 老人はじっとこちらを見てくる。視線がカザリを貫く。見つめられるだけなのに、重い。自分の吐息が、長く感じられる。そもそも、今肉体では吸う必要もないだろうに、胸を何度も何度も上下させた。


「月も浮かばなければ、意味がないか。良いだろう」

「ジジイにしては、素直だな」


 その言葉に向けて、老人は一睨みするが、まったく動じずにソルティーはにたりと笑い返す。


「だが、条件がある。我が四肢を探せ」

「手足……」


 懲罰騎士と戦った時、見つけた腕を思い出した。生きている腕、あれはこの老人のものではないのだろうか。あれは危険なものだった。けれど、戻れるというのなら、対価として渡すことも厭う物でもない。カザリの決定は自分でも驚くほど、速かった。

 感覚のボンヤリした唇を舐めた。結晶騎士たちに心中で一度謝る。そうしてから意を決して、言葉を絞り出す


「心当たりがあります、持って、います」

「ほう……」


 老人の目が細まり、刃が地肌にあてられたような、ぞっとするような冷たさが首に走る。


「必ず、持ってきます、だから」

「ほう。それが、真に我が四肢ならば。ザイオンに捧げる、と言えばよい」


 重い喉を動かす。ソルティーは片目をつむり、眉根を寄せている。困惑をしているようだが、カザリの意思は変わらない。


「ザイオンに捧げる」


 言うと同時に、手元にあの干からびた右腕が現われた。老人は歓喜の笑みを浮かべると、来いと短く命じた。ソルティーは逆らう気も起きず、言われるがまま、その腕をはめ込んだ。


「重畳、まさに我が右腕よ。良かろう、肉体へと戻すことなど容易い」


 取り付けられたばかりの腕をぐっと握る。干からびたままではあるが、その腕を一つ、撫でるだけで、拘束していた鎖が断ち切られた。

 足がないはずなのに、老人は中空に浮き、こちらに向いた。


「結晶を出し抜いた。これ以上望めぬほどの成果だ。汝には褒美を取らせよう」


 干からびた腕が、カザリの腕を掴む。痛みと熱さが、じわりと広がった。その痛みの中心から、静かな風が吹いた。それに満足すると老人は手を放した。


「汝に、風の印を刻んだ」

「はあ、乱暴な報酬だこと」


 茶々を入れる三白眼の男を視線だけ向ける。だが、それだけだ。拍子抜けたようで、ソルティーは肩をすくめた。


「魂魄に刻んだ印は奪えぬ、与えた我ですら。あとは好きに使うがいい」


 老人ザイオンはそう言い切る。そうしてから、カザリの方に虚空より白い鳥の羽根が落ちてきた。手を盆のようにして、ふわりと受け止めた。羽根は付け根にある方は咎っており、わずかに赤黒い血が滲んでいる。あまり見たことはないが、おそらく書き物などに使う羽ペンらしい。


「さあ、帰るがいい。そこの猿ならば、使い方も知っておろう」

「をい」


 ソルティーは渋い顔をしたが、承認したとばかり、手をひらひらと躍らせた。それに老人は満足げに頷いた。


「汝には期待している。ふたたび、我が四肢を捧げたならば褒美を取らせよう」


 カザリが頷くかどうかも確認せず、言い切る。そして、ザイオンは腕を薙ぐように振るった。老人の姿は霞むように、すうっと消えた。


「ったく、あのジジイめ。もっときちんと話せよ。つーか便利なもの持ってるなら、最初から寄越せよ。勿体ぶりやがって」


 虚空に文句を叩きつけた後、ソルティーはふうと息を吐いた。


「まったく案内したオレが言うのもあれだが、お前さん、いろいろ信用しずきだろう」

「だ、大丈夫。必要なこと、だったから」

「ま、そういうならいいけどよ」


 苦笑するように言い放つソルティーは、羽根ペンを指さしながら言葉を続けた。


「まずは帰還の羽根、クソ古い呪具だな。造りは簡単だが、その分信頼できるぞ。そいつで印を最後につけた場所と、自分が家だと思っている場所を行き来できる」

「家」


 まず、あの埃っぽい神殿を思い出す。女神の像と蜜蝋の香り、神官戦士、そして呪い師。トロルの商人が長椅子で寛いでいるあの場所だ。


「あ、おい、説明のとち」


 三白眼を丸くして、さらに白目を大きくするソルティー。その言葉をすべて聞く前にカザリの意識はぷっちりと途絶えていった。




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