第15話 希望と共に発つ

 目を覚ます。開き切らない瞼をこする。ぼやけた視界に、徐々にピントが合っていく。自分の部屋じゃない。当然のことが不死者の頭に浮かぶ。ここは彼の家でなければ、彼の居た世界ですらない。


「おはようございます」

「…おはようございます」


 先に起きていたらしいエニュオと挨拶を済ませる。ウェスタはまだ眠っているようだ。部屋を見回すと時計のようなものが目に入る。しかし。


 ――読めねえな。


 この世界に来て幸いだったことが言葉が通じたこと。だが文字は彼の知るものとは違った。言語体系は一致しているが文字体系は異なっている。であればこの世界の文字を学ぶ必要がある。


「考え事?」

「はい、ちょっと」


 やることが無いのかエニュオは不死者の顔をじっと見つめている。その表情から悩みの共有を求めているのがわかる。仲間になった以上少しでも協力したいという気持ちの表れだろうか。


「実は、この世界の文字が読めなくて」

「そっか。じゃあお勉強しなきゃね」


 不死者が悩みを打ち明けるとエニュオは嬉しそうに微笑んだ。騎士団長だったからだろうか。たどたどしい言い方からため口に不慣れなのだということがわかる。


「まず、数字だけ教えてもらってもいいですか?」

「うん、ちょっと待っててね。紙とペン借りてくる」


 ──ペンもあるのか。


 再び時計に目をやる。書かれている文字は読み取れないが、その数が十二個であることがなんとなくわかった。どうやらこの世界と不死者が元居た世界は、根本的な物事は同じらしい。


 ──もちろん違うこともあるが。


 今度は窓の外に目をやる。朝だというのに日の光は入ってこない。それもそのはず、魔王が現れてからこの世界の空はずっと分厚い雲に覆われているらしい。故に地上に日の光が差すことはない。日中であろうと世界は不気味な薄暗さに包まれている。


「…ん、おはようございます!」

「うおっ!」


 ぐっすりと眠っていたウェスタが突然出した大きな声に思わず驚いてしまう。


「おはようウェスタ」

「おはようございます!」


 ウェスタとも朝の挨拶を済ませたところで、ちょうどエニュオが戻ってきた。

 紙もペンも元の世界のものと大きな違いはなかった。強いて言えばペンというよりは万年筆に近いものだ。

 エニュオが紙に文字を書き始める。十個の文字を丁寧に書き終える。どうやら数字の数え方も十進法らしい。文字を記憶して改めて時計を見る。


「ということは今は9時20分?」

「うん、そうだね」

「ちなみに一日の長さは?」

「24時間です!」


 ウェスタが元気よく答える。やはり一日の長さも同じ。一月や一年の長さも同じらしい。時間の概念に関しては元の世界と完全に同じのようだ。もしも向こうの世界と違っていたら、時差ボケのようなものが発生していたのだろうか。そんなくだらないことを考える。


「そういえば国王様が朝食を用意してくださるって」

「久しぶりのまともなご飯です~」


 不死者にとってはちょうどいい機会だった。最も確認すべきは食文化の違い。元の世界ですら地域ごとにその差異は大きかった。であれば世界が違う以上食文化もまた大きく異なると思っていいだろう。


 ──まあ食えればそれでいいんだが。


 エニュオに案内され辿り着いたのは大きな食堂のような場所だった。騎士団の人間だろうか、食事をしている人がちらほら見える。不死者は彼らが食べているものに目を凝らす。それは向こうの世界でも存在したパンに近しいものに見える。胸を撫で下ろす。食文化にも大きな差異は無さそうだ。

 三人は配給のように食事を受け取り席に着く。


「いただきます」

「何ですかそれ?」


 ウェスタが不思議そうに聞いてくる。思わず口にしたが知らなくても当然だろう。元の世界でも海外にはいただきますの文化は無いと聞いたことがあった。食材に対しての感謝の表明であり挨拶、そういった要点だけを簡単に説明する。


「いい言葉だね。私も、いただきます」

「私も!いただきます!」


 食事はパンと干し肉、それに何らかの野菜。決して豪華とは言えないが、こちらに来てから何も食べていなかった不死者にはとても美味しく感じる。

 食事中に軽くこれからの目的を整理する。まずは東の城へ向かうこと。そこに何もなければその時にまた考えるということ。そんなことを話していると食事の時間はあっという間に過ぎていった。


「ごちそうさまでした」


 二人も不死者を真似するように手を合わせる。

 部屋に戻った三人は出発の準備を始める。不死者は国王から支給された服に袖を通す。ボロボロのジャージよりは着心地がよく動きやすい。国王は鎧も勧めたが、不死者には重すぎてまともに動けそうになかった。それに自分の体を守る必要性が低い以上、身軽であることに越したことはない。同じく支給された鞄にもう一着を詰める。

 まだまだ鞄には余裕がありそうだった。昨日洗った黒ジャージも詰め込む。ただの普段着だったが、妙に愛着がわいてしまった。あとは水筒。水筒があれば水辺が見つからなくても暫くは持つはずだ。

 不死者はなんとなく、小学校の遠足前日を思い出す。彼にとってはあまりいい思い出ではないのだが。


「よし」


 それぞれ荷物をまとめ終える。

 ウェスタの洋服も新しい綺麗なものへと変わっている。とはいってもその上からローブを羽織るのだが。背中には不死者のそれより一回り小さい鞄を背負い、武器は変わらず木の杖を携えている。

 エニュオは比較的軽そうな鎧を身に纏い、大きめの鞄に加え剣や盾も背負っている。防衛戦のときのような重厚な鎧や巨大な槍と盾は旅に不向きだという理由で変更となった。比較的軽い鎧ではあるものの、それでも不死者が動けなくなりそうな重量だ。けれどエニュオはそれを着ながら軽快に動いている。


「…それじゃあ行こうか」


 城を出ると多くの騎士が集まっていた。皆口々にエニュオへの感謝の言葉や応援を飛ばしている。


「行くのだな」


 門の前には国王が立っていた。投げかけられる言葉は、三人の決意を確かめるものだ。だからこそ、はっきりと口に出す。


「「「はい!」」」


 三人の声が揃ったのは偶然か、はたまた必然か。確かなのはそれぞれの想いが同じ目標へと向かっているということ。


「では、頼んだぞ」


 国王は微笑みと共にそんな彼らを送り出す。無茶な戦いだとは理解している。それでもなお、三人の姿に希望や期待を抱かずにはいられなかった。

 三人は足を踏み出した。皆の声を、人類の希望をその背に受けながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る