第11話 事態急変

 ──失敗したッ!


 薄れゆく意識の中で思考する。次の一手、その最善手を。頭蓋骨が軋む。ほんの一瞬割れるような音がして、意識は途切れる。

 

 しかし状況は変わらない。再び全身に訪れる衝撃。身体が宙を舞う。立ち上がることすらままならないほどのダメージ。2mはあろうかという巨体の醜い生き物が、下卑た笑みを浮かべながら不死者へと近づく。

 豚に似た顔に二足歩行、恐らくオークと呼ばれるもの。今まで戦ってきたゴブリンとはレベルが違う、大きさや力の強さは勿論だが何よりも。


 ――こいつらは、ッ!


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 遡ること数時間前、エスペロ王国を出た不死者は鬱蒼とした森の中を東へ向かい歩いていた。

 旅立ちの際騎士団長から得た情報によれば、東に城があるらしい。人間は既に使っていないが、廃墟となった様子もない。おそらく魔王の軍勢の拠点とされているであろう城。それが唯一魔王へ近づくための情報だった。

 故に一人、その城へ向かい歩いていた。道すがら数匹のゴブリンに遭遇したが問題なく殺せた。ゴブリンの動きの癖を理解した不死者は、単独のゴブリン相手ならダメージを受けることなく殺せるようになっていた。

 だが山に差し掛かろうとしたところで、初めてソレを見つけた。オーク。豚のような見た目をした巨体の魔物。しかし背後からの襲撃によりこれも撃退。

 問題はここからだった。オークは、知能を持っていた。


「ダズゲデ、ゴロザナイデ…」


 その魔物は、命乞いをした。知能を持った魔物がいる事はウェスタから聞いていた。しかし実際にそれに遭遇して、死に恐怖する魔物に遭遇して、動揺した。


 ――違う。これは魔物だ。人じゃない。


 自分に言い聞かせようとした。しかし手の震えは止まらず、滝のように汗が噴き出す。故に背後から近づくオークの仲間に気付かなかった。


 そして現在。いつの間にかオークの群れに囲まれていた不死者は、既に5回ほど殺されていた。


「ヨワイナア、ニンゲン」


 オークたちは確かに人の言葉を喋っていた。それに不死者に驚きこそすれど、ゴブリンのような隙は生まれない。不死と理解しているからこそ、立ち上がらなくなるまで痛めつける。

 慣れたと思っていた痛み。けれど実際はそうではなかったらしい。激痛のせいか、不死者の瞳からは涙が止まらない。

 目覚めるのが怖い。立ち上がるのが怖い。不死者の一挙手一投足その全てに痛みが伴う。怖い。終わらない痛みがただただ怖い。


 ――立ち上がらない方が楽だ。


 そんな考えまで浮かんでしまった、その時だった。


「ゴレナラ、ニンゲンノグニ、ゼメルノ、ガンダン」


 ――人間の国を攻める?


 確かに一匹のオークがそう言ったのが聞こえた。何匹ものオークが不死者が来た方向へと歩き始めていた。傷を負った彼相手なら数匹で対処できると踏んだのだろう。

 実際、オークの一撃は一発一発が致命傷レベルだ。実力の差は明確だった。


 ――だから見過ごすのか?


 痛みと恐怖で震える身体を無理やり動かす。しっかりと剣を握りしめる。オークたちがエスペロ王国に辿り着けば、騎士団たちからまた被害者が出るだろう。


 ──それは駄目だ。俺が諦めれば、また人が死ぬ。


「マダダヅノガ」


 目の前のオークは三匹。それぞれ獲物は棍棒、ハンマー、槍。幸い今のオークたちは彼を敵として見ていなかった。自分より絶対的に弱い獲物、そう考えている。だからゆっくりと歩いてくる。だからハンマーの振りかぶりが遅い。


「ッ!!!」


 だから剣の間合いを考えていない。だから喉に剣を突き刺すのが間に合う。オークの喉から血飛沫が舞う。両隣のオークは、いや刺されたオークですら今起きたことを呑み込めていない。

 だからそのうちに削る。勢いよく引き抜いた剣で棍棒を握るオークの腕を斬りつける。無茶苦茶な斬撃。当然ながら不死者は今まで剣を振るったことなどなかった。けれど今は斬れればいい。ダメージを与えられるのならそれでいい。

 直後、脇腹を鋭い痛みが襲う。槍が肉を裂き、内臓に穴を開け、骨を砕く。しかし止まらない。右腕を斬られ、痛みに悶えるオークに剣を突き刺す。


「ガッッ!!!」


 オークが叫ぶ。声と共に体の奥からこみあげてきた血液が口から溢れ出る。それは不死者も同じ。口の中の血液を吐き捨て、脇腹に刺さった槍を掴む。


「グゾッッ!!」


 オークが槍を手放し距離をとろうと後ろへ下がる。だが不死者はそれは許さない。オークの下がる動きに合わせて距離を詰める。オークの腹に剣が突き刺さる。なおも踏み込む。剣はさらに深くオークの腹を抉っていく。


「ガアッ!」


 オークの拳が頭に直撃する。一瞬で意識が消え去る。それは不死者にとってアドバンテージだ。即座に目を覚まし、オークの腹を蹴り飛ばしながら刺さった剣を抜く。


「イヤダッッ!!ヤメロッッッ!!!」


 叫ぶオークの口の中に剣を突き刺す。倒れて動かなくなったほかの二匹のオークにも同様に、しっかりととどめを刺す。

 それはあまりにも鮮やかに行われた虐殺。両の手を見つめ、呼吸を整える。


 ――俺が、殺した。


 自覚と同時に嫌な過去を思い出す。堪えきれず腹の中のものをぶちまける。


 ──今やるべきことはエスペロ王国に向かったオークたちを殺すことだ。


 頭を切り替える。

 オークの武器は大きすぎて使えそうにない。ゴブリンの斧を拾い上げ走り出す。視界不良の森の中、不意打ちで確実に一匹ずつ殺す。それが今の不死者に出来ることだ。気付けば頭の中から、迷いや躊躇は消えていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「団長!東方向魔力結界に感アリ!魔力量大量!魔物の群れです!」

「ゴブリンどもか!?」

「カラスにて視認!これは…!オークの群れです!その数、数十匹!」


 それは最悪の知らせだった。数十匹のオークの群れ。騎士団のオークとの戦闘経験はゴブリンの群れを率いていた数匹のみ。数十匹の群れの対処となると絶望的だ。それについ昨日ゴブリンの群れとの戦闘で疲弊したばかり。武器の整備はおろか、団員の体力回復すら完璧ではない。


「そういうことか…!」


 騎士団長は先日のゴブリンの群れとの戦闘を思い出す。一匹一匹の戦力は低く、また統率もとれていなかった。だがそれを補うようにいつもより大量のゴブリンが居た。現に数名の団員が死亡、十数名が怪我を負っている。あの攻撃の目的は消耗だったということだ。

 今更気付いたところでどうにもならない。今は一刻も早く戦場に出るしかない。そこで報告の言葉が引っかかる。


 ――東だと…?


 その方向は、今朝不死者を見送った方向だった。


「ッ…!」


 彼女は少なからず不死の男に希望を抱いていた。もしかすると、奇跡が起きて魔王を倒してくれるかもしれないと。

 けれどオークの群れが迫る方向から考えて、そうはならなかったことが理解できてしまう。彼女の些細な希望は、一晩と経たずに打ち砕かれる。


「総員出撃準備!全力で防衛する!」


 嫌な考えを振り払うように自身を、団員全員を鼓舞する。それでもまだ、やるべきことがあるのだから。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ウェスタは突然外が騒がしくなったことに気付いた。屋敷の外の人々は皆、逃げるようにして家の中へ入っていく。何かが起こっているのは明らかだった。それもおそらく、よくないこと。

 ウェスタは急いで館から飛び出す。もう何もせずに見ている自分は捨てた。


 ──それにきっと不死者様なら戦うはず。


 騎士団の城に着く。そこでは案の定多くの団員が出撃の準備をしていた。


「君はエルフの!どうしてここに!」


 騎士団長が目を丸くする。


「今何が!」

「魔物の群れが攻めてきている!だから早く避難するんだ!」


 嫌な予感というのは当たるものだ。ウェスタの想像通り、今まさによくないことが起こっていた。

 今までの彼女なら大人しく避難していただろう。でも今は違う。不死者のように戦うと、そう自身の心に決めたから。


「不死者様は今どこに!」


 彼となら、不死者と一緒なら戦える。少しでもいい。彼女は自身の命を救ってくれた者の力になりたかった。


「…彼はもう、この国には居ない」


 だからその一言が呑み込めなかった。目の前の女性が発した言葉の意味が理解できなかった。不死者は彼女に、まだ検査があるのだと告げた。

 騎士団長の瞳は真っ直ぐウェスタを見つめている。その瞳で嫌でも理解してしまう。この人は嘘を吐いていない。嘘を吐いていたのは不死者だった。

 置いて行かれたという事実が、ウェスタの目の前に立ちはだかる


 ――何故?


 理由はわかりきっている。


 ──私が弱いからだ。


 零れそうになった涙をグッと堪える。ここで逃げては弱いままだ。戦わなければ強くなれない。強くならなければ、あの人の隣に居られない。

 初めてこの世界に見えた希望を手放したくはない。意地でもついていく、そして助けになってみせる。


 ──それこそが今の私の生きる意味だから。


 杖を強く握りしめ、固い意志を持って告げる。


「私も同行させてください!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 エルフの少女は、そう告げた。不死の男と同じ目。曲がることのない確かな意思を持った目。自身がかつて失った、輝きを持ったその目。

 だから断れなかった。その意思の強さを知っているから。曲がらないことを知っているから。


「…わかった。しかし同行する以上命の保証は出来ない」

「大丈夫です!自分の命は自分で守ります!」


 騎士団長である彼女は多くの命を守ろうとしてきた。だが実際には多くの命がその掌から零れ落ちていった。

 彼女は知っている。皆が信じる彼女の強さを。だから守らねばならない。この国を、無力な人々を。

 けれど彼女は知っている。すべてを護れるほど強くはないことを。多くの救えなかった命のことを。

 それでもこれが使命なのだ。不死の男のように、自身もやり遂げなければならない。この命が尽き果てるまで。


「総員!出撃!!!」


 そして戦いは始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る