第5話 それぞれの決意

「少し待っていてください。今簡易結界を作るので」


 自身をウェスタと名乗ったエルフの少女は、そそくさと何かの準備を始めた。青年はそこで重要なことに気付く。


 ――名前が思い出せない。


 今まで気づかなかった記憶の欠陥。確かに存在するはずの名前が、いくら考えても出てこない。果たしてそれがいつからなのかすらわからない。


「お待たせしました。これで大丈夫なはずです」


 少女の声で思考が引き戻される。気付けば床には先程見たような円を組み合わせたようなの図形があった。よく見ればそこに文字の様なものも刻まれている。そのどれもが青年にとっては見慣れぬものだった。


「先程の炎やこの、結界?はえっと、魔法…ですか?」


 大丈夫だといわれても、見た目には何の変化もない。バリアが張られたという訳でもなかった。青年にとってみれば、一体何が大丈夫なのかわからない。


「はい。魔法です、けど…?あなたの腕も治癒魔法で直したのではないのですか?」


 一つ知識が得られた。この世界には魔法が存在するということ。そしてどうやらそれが一般的であろうということ。ゴブリンと魔法。元の世界でファンタジーとされるものが、この世界には存在する。信じがたいが、今は無理やりにでも納得するしかなかった。

 それよりも問題なのは青年自身についてだ。別の世界から来た等と、たとえ真実を伝えたとしてそれを信じてもらえるとは到底思えない。だからと言って嘘を吐く意味も無い。


 ――信じてもらえないとしても事実を伝えるべきか。


「えぇっと…信じていただけるのかわからないのですが、私はおそらくこの世界ではない別の世界から来まして。それでえっと、この世界について何も知らなくてですね。なのでいろいろと教えていただけると助かるのですが…」


 ウェスタはキョトンとした顔で青年を見つめる。


 ――やっぱりだめか…。


 それからウェスタは少し思案した後、一呼吸を置いて口を開いた。


「えっと。つまりあなたはもともとこの世界の人間ではなく、何らかの原因によってこちらの世界に来てしまった。その為この世界がどういった世界なのかわからないと」


 どこかオウム返しの様な気がしたがそれを口に出すことはしなかった。若干の不安があったが、理解しているのならそれでいい。続けて青年が口を開く。


「はい…おかしなことを言っているのは分かってるんです。けどそうとしか言いようがなくて」

「いえ、わかりました。ではこの世界についてある程度お話すればいいのでしょうか?」

「本当ですか?ありがとうございます。」


 存外スムーズに進んだ会話。青年はようやくこの世界についてを知ることが出来ると、一つ目の目標達成に胸をなでおろす。

 しかしそんな青年とは裏腹に、ウェスタは重いため息をつきこの世界について語りだす。


「まず、基本的なことについてなのですが。魔法や魔力についても何も知らないんですよね?」

「はい。そうですね」

「ではそこから始めますね」


 そこからウェスタはこの世界についてを事細かに説明した。ウェスタの説明は非常にわかりやすいもので、まるで教科書の読み聞かせのようだった。

 青年は頭の中で大まかに元の世界との違いを整理する。

 まずは魔力が存在するという点。この世界は大気中から海の中まで、至る所に魔力が存在している。それこそ空気と同じように、至極当たり前に。その魔力に命令を与え特定の動作をさせたものを魔法と呼び、この世界では誰もが当たり前に行使する事が出来る技術だ。多くの魔法は、魔力を置換することによって行使される。例えば炎の魔法なら、魔力を炎に置換することで炎を出現させている。

 そこで一つの疑問が浮かんだ。


 ――なら俺も魔法が使えるのか?


 興味はあったがそれは後でいい。

 人の体内にも魔力は存在する。生まれたときから体内に魔力を持ち、体内の魔力や大気中の魔力を置換することによって魔法を発動する。

 そういった魔力や魔法によって様々なことを行うこの世界は、青年が居た元の世界とは技術体系や文明発展の仕方にあまりにも相違があった。


「一つ、質問しても?」

「はい。何でしょう」

「魔力を置換し魔法を発動する。それを繰り返していたら、いつか世界や体内の魔力は尽きるのでは?」


 恐らくそうではないことを青年は理解している。自然における空気がなくならないように、魔力にも循環システムが存在するはずだ。青年はそれが知りたかった。


「それは無いですね。この世界の魔力は常に、女神様の力により尽きないようになっています。置換し不足した魔力は、時間をかけて女神様より再び与えられます。」


 ――女神だと?


 青年の予想は大きく外れていた。ウェスタにとっては当然なのだろうか、女神という突拍子のない存在まで出てきてしまった。けれど魔力や魔法が存在するのだ。神が実在していようと否定は出来なかった。


「なるほど。ありがとうございます」

「はい。では次に魔物についてですね」


 魔物。今まで戦ってきたゴブリンのような生物たち。それはこの世界にはごく普通に存在する生物、その一部の総称。ゴブリンだけではない。世界には様々な魔物が存在する。それは例えばオークやスライム、果てはドラゴンまで。

 それら魔物を普通の動物と大きく区別するのもまた魔力の存在だ。犬や牛や豚などの普通の動物たちは、体内の魔力量が極端に少なくほぼ無いに等しい。対して魔物は体内に人間と同じように魔力を有し、魔法を行使することもできる。


「これまで遭遇してきたゴブリンは魔法を使ってきませんでした。何故なのでしょうか?」

「えぇっとそれは恐らくなんですけど、知能の問題だと思います」

「知能?」

「はい。ゴブリンは人間に比べ知能が大きく劣っています。その為置換のイメージ、またその理論を理解できないのだと思います」

「なるほど」

「いや、これはあくまで私の推測です!あの、学校じゃそんなこと詳しく教わらなかったので…」

「いえ、確かに納得のできる理由です。基本的に狡猾さはあれど、知能はそこまであるように見えませんでした」


 確かにウェスタの説明は納得のできる理由ではあった。魔法を行使するのに必要な知能がどれほどかはわからない。けれど人間のような知能を持つ生物が存在する、というのも青年の居た世界との大きな違いだった。


「それじゃあ最後に、今のこの世界についてですね…」


 少し俯いたウェスタは、改めて青年を見つめる。これまでとは明らかに違う、真剣な表情で語り始める。今のこの世界を。

 

 今よりずっと昔は、この世界の空も青かったそうだ。しかし、ある日を境に世界は姿を変えた。それがの登場。魔を統べる者。人類の敵対者。その存在により世界は分厚い雲に覆われ、人類は衰退の一途を辿り始める。魔物の軍勢による人類侵略。突然の事態に暫く抗った人類だったが、次第に形勢は魔物側へ傾いていった。敗北を喫した人類は数を減らし、そうしてこの世界は魔物の支配するものとなった。


「本来は、私たちエルフも魔物なんです。人間に限りなく近い見た目をしていて、けれど人間とは決定的に違う存在。けれど大昔。エルフの長と人の長が手を取り合ったことで、私たちは人間との共存を選んだのです。ですが魔物の軍勢の侵攻により、私たちエルフも人間の敵とされ始めました。そうして人間側にも魔物側にもつけなくなった私たちは、独自の集落で生活するようになりました。ですがそれにも限界がきて…私の暮らしていた村も…ゴブリンの軍勢に見つかって…それで…」


 気付けばウェスタは大粒の涙を流していた。


「ありがとうございます。すみません…辛いお話をさせてしまって…」


 酷い話ではあるが、理由ならいくらでも見つかった。あくまでエルフも魔物の一種。ならばそのうちの誰かが魔王側と繋がっていてもおかしくはないだろう。そういった発想に至るのは当然だ。非情な現実の話。どこまでも救いのない話。しかしそこにこそ、青年は意味を見出した。何故青年がこの世界に来たのか。


 ――魔王を倒すこと…か。


「一つ、話していなかったことがあります」

「はい…何でしょうか…?」

「私の体についてです」


 これは自身に与えられた使命であり罰なのだと、青年は納得する。これが恐らく贖罪で、償いだ。ならば《《》》やり遂げなければいけない。そうすることで救える命があるのなら、自身の命なんてどうだっていい。


 。けれどそれに気付く者は少ない。それはその精神が美徳とされる故。


「私は、死なないんです」

「え…?」


 ウェスタの動きが止まる。当然だ。普通に考えてそんな話があるわけがない。しかしこれは事実だ。青年の肉体には死が存在しない。死んでも終わらない。


「正確に言えば、死んでも蘇生するんです。先程のゴブリンとの戦いで一回、それよりも前に二回ほど死んでいます」

「えっと…どういう…」


 ウェスタは理解できないというような顔だ。青年は矢を一本手に取る。


「何をして…!」


 その矢を思い切り喉に突き刺す。痛みには慣れてきた。それとも麻痺し始めているのだろうか。大量の出血と共にゆっくりと視界が暗くなっていく。


「待っててください!今治癒魔法を!」


 理解してもらうには見せるのが一番早い。驚かせてしまったがしょうがないだろう。


「あぁ…血が!間に合わな…」


遠くなるウェスタの声。そこで意識が途絶える。


 残されたウェスタは混乱していた。そもそも訳が分からなかった。別の世界から来ただの。この世界について知らないだの。挙句の果てには死なないだの。そんなことあるわけがないのだ。不死者なんて伝承の存在だ。きっと彼は既に狂っていたのだろう。

 それでもこうして人と出会えて、彼女の気持ちが楽になったのは事実だった。それに危害を加えようとする様子もなかった。だから安心していた。それがまさかこんなことになるなんて。また人が死んだ、目の前で。救えたと思っていた命がたった今。


「え…?」


 それはあり得ないはずの出来事だった。不死を自称する男は立ち上がった。矢が刺さったはずの喉には傷跡一つない。ウェスタは何度も目を擦る。しかし確かに彼はそこに立っていた。


「驚かせてすみません」


 ウェスタはその姿に希望を見た。伝承の英雄。不死の戦士。救世主の存在を。


「こうすれば信じてもらえるかと思って」


 青年は、英雄というには頼りない。筋骨隆々の肉体を持っているわけでも、他を圧倒する魔力を持っているわけでもない。


「でも、これなら可能性があるかもしれません」


 彼女の村にいた男たちの方が、きっと彼より強いだろう。それでも。


「私が、いや俺が」


 その瞳には一点の曇りも無く。


「魔王を倒します」


 決意と覚悟に満ち溢れたその姿は、どこまでも眩い希望に見えた。


「私も…」


 初めての感覚だった。その存在をずっと待っていたような、そんな錯覚さえ感じた。初めから自身は彼と出会うために生きていたのではないかとすら思えた。

 だからゆっくりと、確実に、その言葉を紡ぐ。


「私も、協力します!」


 自身に何ができるのかなんてわからない。足手纏いになってしまうことだってあるかもしれない。それでも、何もせずに終わりたくない。それが彼女の本心だった。


 青年は驚いた顔を浮かべ、ほんの少し思案した後。


「じゃあ、よろしくお願いします」


 その手をウェスタに差し伸べた。


「はい、よろしくお願いします!」


 ウェスタは決意と共にその手を取る。


「改めまして、私はウェスタ。エルフのウェスタです」

「あー…実は自分の名前が思い出せなくて。名乗ってもらったのに申し訳ないです。俺のことは好きに呼んでください。」

「では不死者様と」

「えーっと…様って必要です…?」

「その方が私が呼びやすいので、駄目ですか?」

「いや駄目じゃないですけど…」


 少女はその日、初めて自分の意思で道を選んだ。それがどんな過酷な道であろうと、進んでいくと決意した。

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