第4話 誤算と結果

 走る。走る。ただひたすらに少女は走る。何故こうなった?何を間違えた?自分を助けたあの人はどうなった?自身はどうするべきだった?考えることは山ほどある。けれどそのすべてを無視して今はただ走る。逃げるために。生きるために。


 ――もう嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!


 数日前のことを思い出す。燃え盛る故郷の光景を。燃えながら死んでいった村の皆の姿を。


「うぅっ…うっ…」


 情けない。思い出すだけでも涙が溢れてくる。あの日涸らすほど流したはずの涙が、今も止めどなく溢れてくる。ゆっくりと足を止める。あの部屋からはもうだいぶ離れていた。自身を助けてくれた彼は、きっともう死んだだろう。見ず知らずの少女を、命がけで助けたあの人は。


 ――何故?


 わからない。理解できない。なぜそのような考えに至ったのか。彼が真正の善人だったからだろうか?それも知りもしない人のために命を張れるほどの。いや、そんな人間が存在するはずがない。もしも存在したとして、そんな人間は狂っているとしか言えない。


 ――では何故?


 そんなことはどうでもいいはずだ。彼は少女を救うために命を捨て、結果として少女は助かった。それでいいはずだ。いいはずなのだ。


 ――本当に?


 自身に問いかける。本当にそれでいいのかと。自分はまたそうやって逃げるのかと。諦めの理由を探して、自分で自分を納得させた気になって。けれど一度だって心の底から納得出来たことは無い。今回も、そうして自分は逃げるのだろうか。そんな自問が少女の頭の中で繰り返される。


 ――だってしょうがない。私一人でどうにかできるものではない。


 少女にとってゴブリンは恐怖の対象だ。憎しみはあるが、それを上回るほどのトラウマが深く根付いている。


 ──そうだ。私じゃ勝てない。


 一匹ならまだしも、あの部屋にはあと三匹もいたのだ。逃げなければ、間違いなくゴブリンたちに殺されていただろう。そうなれば恩人である彼の死も無駄になってしまうのだ。

 ならばこれが最善のはずだ。自問に対する答えは出た。であればもう止まっている理由は無い。手に持つ杖を強く握りしめる。


 そして少女は再び駆け出した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 


 蘇生に気付いたゴブリンが一瞬固まる。青年はその隙を見流さない。右腕で、斧を持ったゴブリンの足を引く。支えを失いバランスを崩したゴブリンが倒れる。


 ――やはり戻っているか。


 混乱のまま振り下ろされるゴブリンの棍棒を、今度こそ両手で防ぐ。痛みはあるが耐えられないほどではない。ゴブリンの腕を掴み、斧持ちが倒れている方へ投げ飛ばす。


 ――柔道じゃ反則なんだっけか?


 蘇生の影響か、そんなくだらないことを考えられるほど頭も落ち着いていた。腹部に矢の刺さったゴブリンは完全に静止している。これで障害は無い。転んでいる二匹が起き上がる前に棍棒へと駆け出す。


 ――よしッ!


 棍棒を拾い上げ、二匹のゴブリンと相対する。ゴブリンはその小さな見た目通り、体重も軽量だ。青年は先の攻撃でそれを理解した。であれば攻撃の際飛び掛かるのは、威力を上げるためだと推測できる。故に警戒すべき動作はジャンプだ。呼吸を整え、目の前の敵を注視する。


 「グゲァッッ!!」


 ゴブリンの叫びで青年も走り出す。二匹のゴブリンは並走している。


 ――ならッ!


 棍棒を前に掲げガードの姿勢をとる。左の斧持ちのジャンプを確認する。棍棒程度なら切断出来ると判断したのだろう。

 だからこそ前に出した。


「ッッッ!!!」


 棍棒でのガードを解く。ガードの構えは相手のジャンプを誘発するためのフェイント。がら空きの斧持ちの腹を思い切り蹴り飛ばす。それと同時。右から来たゴブリンの棍棒によって背中に衝撃が走る。大したダメージではない。けれど体勢を崩すには十分な威力だった。青年は大きく前へと倒れ掛かる。


 ――これでいいッ!


 倒れかけの前傾姿勢から駆け出す。立ち上がろうとしている斧持ちの顔面を思い切り蹴りつける。再び地面に叩きつけられたゴブリンの頭を棍棒で全力で殴る。何かが砕ける音と共に、ゴブリンの頭からは液体が飛び出す。


 ――二匹目ッ!


「ガギガァッッッ!!」


 死体から斧を拾い上げる。最後のゴブリンが青年に向かい走る。


「フッッッ!!!」


 拾い上げた斧を飛び掛かってくるゴブリンに全霊の力で叩きつける。斧はゴブリンの皮膚を裂き、肉を裂く。緑色の肉体から大量の赤色が噴き出す。そのまま地面に叩きつけ、完全にその息の根を止める。


 ――三匹目…これで終わりか…。


 上がった息を整える。逃げた彼女は無事だろうか。咄嗟に逃げさせたはいいものの、逃げた先で別のゴブリンに遭遇する可能性を考慮してなかった。正確には考慮する余裕などなかった。ゴブリンを倒し切り、頭に余裕が出来たからこそそう考えることが出来た。それは生死をかけた極限の集中状態からの脱却を意味する。


「グガァッッ!!」


 死角からの声に振り返る。そこに居たのもまたゴブリン。すでに彼に向かって走り始めている。新たな敵の登場を頭は理解している。けれど体が動かない。肉体は既に完全に弛緩しきっている。今更になってその手に持つ斧の重量感に気付く。


 ──この斧結構重いんだな。


 目の前に迫る死を見つめながら、そんなくだらないことしか思い浮かばない。ここで死ぬのも仕方ない。本来あり得ざる死からの蘇生。それを短時間で経験しすぎた彼は、既に死に対する抵抗など無くなっていた。


 ──それはもともとか。


「炎よッ!」


 突如聞き慣れぬ声が響く。驚きで一瞬足を止めたゴブリンを、火の玉が襲う。声がした方向を見ると先程逃げ出したはずの彼女が立っていた。彼女は両手で木製の杖のようなものを握り締め、その杖を強く突き出していた。

 突然の事態に青年の思考も中断される。まず浮かんだのは疑問。それも至極単純な疑問。


 ――何故戻ってきた?


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 時間は少し遡る。

 走り出した少女の足は止まらなかった。彼女自身それが何故なのか理解できていない。何故のだろう。戻ってもおそらく彼は死んでいる。それに戻ったところで何かが出来るわけでもない。一匹倒せたのも偶然だ。三匹同時なんて無理に決まっている。


 ――それでもッ!


 少女は走る。今度は逃げるためではなく、戦うために。既に涙は止まっていた。最善でなくていい。それが間違いでもいい。それでも、もう自分自身に嘘はつきたくなかった。ゴブリンに殺されることは勿論怖い。それでも最後くらい、否、最後だからこそ、自分の気持ちに正直になりたかった。彼女の生に、これ以上の悔いを増やしたくなかった。


 ──それに、あの人が生きている可能性だってある!


 そんな僅かな希望に賭けて少女は駆ける。


 ――どうか!どうか生きていて!


 それが所詮エゴであることを彼女も理解している。彼は自分の命を犠牲にしてでも少女を助けたかったのだ。少女が死ねば、その意思その覚悟を踏みにじることになる。それでも。しかしそれでも。


 ――逃げ続けて終わるのは嫌だッ!


 そうして少女は再びあの部屋に辿り着く。ゴブリンの死体の中に青年は立っていた。


 ──よかった、生きてる!


 安堵しそうになった瞬間、彼に向かい走るゴブリンが視界に入る。しかし彼は気付いていない。


 ――ッ!!!


 杖を構える。少女が幼い頃に母から与えられた杖。魔法の勉強は得意ではなかったけれど、それでも今はやるしかない。

 魔力を杖の先に集中させる。

 

 ──大丈夫。


 イメージするのは燃え盛る炎。


 ──私ならできる。


 それを球状に圧縮する。


 ──私はやれる。


 ゴブリンの気を一瞬でも逸らす為に大きな声で思い切り叫ぶ。


「炎よッ!」


 声に驚き足を止めたゴブリンに火球が直撃する。火球がゴブリンの肉体を焼き尽くす。


 ──やった。やったんだ。助けることができた。


 その事実に再び涙がこぼれる。けれどそれは先程流したものとは違い、とても温かく感じた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「大丈夫ですか!」


 少女が青年に駆け寄る。


「あ、はい…そちらこそ大丈夫ですか?」

「はい!私は大丈夫です!貴方の方こそ腕が…あれ?付いてる?」


 青年は言葉に詰まる。当然ながらこの世界でも不死なんてものは基本的にありえない。慎重に言葉を選ばなければ、貴重な情報源を失うことになる。それだけは何としても避けたい事態だった。


「えぇっと…その説明も踏まえて、情報交換がしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 少女が涙を拭いながら答える。


「はい!もちろんです!」


 少女は深々とかぶっていたフードを外した。

 現れたのは端正な顔立ち。あまりにも綺麗な顔立ちは、人形を想起させる。肩まで伸びた髪は宝石のような銀色。その瞳も、髪と同様に銀色に輝いている。肌はこの世のものとは思えないほど白く透き通っていて。


「私はウェスタ。エルフです。」


 笑顔で名乗った少女のその耳は、長く尖っていた。

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