第3話 出会い

 男は歩きながら先の戦いを頭の中で整理していた。

 まずは反省点。相手が遠距離から攻撃してきたとはいえ、音や気配等で気付けたはずだ。これからはもっと周囲を警戒しなければいけない。

 次に疑問点。胸や喉に刺さった矢について。蘇生したときそれらの矢は抜けていた。というよりも。彼の肉体を貫いていた部分だけが。

 ここには考察の余地があった。


 ──この蘇生は単純な再生ではない?


 矢が刺さった状態で再生が始まれば矢は刺さったまま残るはず。だがそうではなかった。消えたように見えることが、どうしても引っかかる。


 ――再生する際に障害となるものが除去されている?


 些か都合がよすぎる気がするが。現状これ以上は考察材料が足りなかった。色々な死に方を試したいところではあったが、もしも蘇生に回数制限がある場合これは悪手となる。次も蘇生する保証はないのだ。


 ――


 脚を止める。


 ――


 そうではない、と頭の中に響く声を否定する。それはまるで問答のように。誰かとの対話のように。


 ――


 そんなことは理解していた。これも何かの罰に違いないと、そう思うことにした。幾度も死の痛みを、苦しみを噛み締めるのだ。そう考えると、彼の胸の内には不思議な納得感があった。


「ハァ…ハァ…」


 頭が痛む。額にじんわりと汗が浮かび上がる。深呼吸をし、気持ちを落ち着ける。今更になって、ゴブリンを殺したという事実が恐ろしくなり始める。自身が生物を殺してしまったという事実に対する恐怖。それは真っ当な人間が持つ感性だ。


 ――それでいい。そうあることが正常だ。


 ふと、つい先ほどの反省を思い出す。再び周囲の警戒に脳の容量を割く。しっかりと警戒をしたうえで、再び情報の整理を始める。

 最後に懸念点だ。ゴブリンの使っていた弓について。弓はおそらくゴブリン用のサイズで作られたものだった。この世界では小さい子供が弓を使うのが普通なのであれば、そうとは言い切れない。けれどそれは現状排除していい可能性だろう。そうなるとゴブリンには武器を使うだけでなく作る知能が存在することになる。であればあの焚火もゴブリンのものである可能性が高くなる。

 抱いていた僅かな希望を不安が覆い隠していく。得た情報を基にした推測が、新たな推測で否定されていく。これではきりがない。


 ――やはり確実な情報源、この世界の人間を探さなければ。


 この建物からの脱出を考えた際、飛び降りるというアイデアもあった。しかし人間がまだこの建物内に居る可能性を考慮するとそれは得策ではない。それゆえ彼は探索しながら出口を探すことにした。


 ――やっとか。


 暫く歩くと、上下に続く階段を見つけた。ようやく目標に近づいたという実感を得られた。普通、出口があるとしたら一階だろう。しかし屋上が存在した場合、先に上から周囲の状況が把握できる。そうすれば村や町の一つや二つ見つかるかもしれない。


 ――いや、遠回りをすれば奴らとの遭遇確率も上がるな。


 ゴブリン相手の戦いは、まだ到底完璧とは言えない。先の二匹との戦いはどちらも正面からの遭遇ではない。故にいざ正面から相対したとき、確実に勝てるとは限らない。それどころか二匹同時に遭遇する可能性だってある。そうなればまず勝てないだろう。ならば一刻も早く出口を探すべきだ。


 ゆっくりと階段を下っていく。踊り場から下の階の様子を窺う。まだ階段は続いている。周囲を最大限警戒し、一歩また一歩と下っていく。

 三階ほど下ったところで階段は終わった。最初に窓の外から見えた光景も含めて考えると、そこが一階で間違いなさそうだった。階段を下りる過程で一度もゴブリンに遭遇しなかったのは幸運だったと言えよう。そして現在も見える範囲にはゴブリンは居ない。出口を探し、再び足を進める。


  ――これは?


 少し歩いたところで床に刻まれた模様のようなものが目に入った。大小様々な円に、文字の様なものも刻まれている。


 ――読めないな。


 元の世界では一度も見かけたことのない文字。そもそも文字かどうかすら定かではない。彼がおそらくそうであろうと思っただけのものだ。しかしこれで新たな懸念が生まれる。


 ――この世界の人間と俺は会話できるのか?


 これが文字であった場合、筆記での会話は出来ないということになる。もし言葉も通じないのならば、意思の疎通は困難だろう。また一つ希望が消えようとしている。


 ――いや、これがゴブリンのものである可能性もあるか。


 彼自身もそれが苦しい現実逃避であると理解していた。そもそも遭遇したゴブリンは言葉らしい音を発していなかった。それにもしこれがゴブリンの言葉だとすれば、ゴブリンは意思疎通に文字を使うということになる。


 ――ゴブリン、どれだけ知能が高いんだ…。


 結論としてこれがゴブリンの文字であれ人間の文字であれ、喜ばしいとは言えない。それでも貴重な情報だ。スマートフォンで写真を撮るために、ジャージのポケットへ手を入れる。


「あれ?」


 しかしそれらしきものはない。どころか何も入っていない。考えてみれば、この世界に来た時からポケットに重みは感じなかった。この世界に来る際に紛失したのだろうか。


 ――本当にそうか?


 新たな疑問が浮かぶ。


 ──そもそも俺はこの世界にのか?


「いやっ!!!」


 突然の声に身構える。明らかにゴブリンの声とは違う、人間のものと思しき声。すぐに声の方向に駆け出す。反響のことを考えてもそこまで遠い距離ではない筈だ。右手の棍棒と左肩にかけた矢筒をしっかりと握りしめ全力で走る。すると奥に明かりのようなものが見えてくる。


 ――あそこかっ!


 明かりは大きな部屋の隅に灯っていた。部屋の中にはゴブリンが四匹と。


 ――人間!


 大きなローブのようなものに身を包んだ人影。体格から見るに女性だろうか。三匹のゴブリンに囲まれている。少し離れた位置にいるゴブリンは倒れている。


 ──あの人が倒したのか!?


「うおおおおおおお!!!」


 わざと大きな声を出しながら駆け寄る。三匹のゴブリンが一斉に彼の方向に目を向ける。


「オラァッッッ!!!」


 一匹のゴブリンを蹴りつける。吹き飛ぶゴブリン。すかさず追撃に走る。奴らが混乱している隙に一匹ずつ倒す。それが今の彼に思いつく唯一の勝算だった。ゴブリンにとどめを刺すため思い切り棍棒を振りかぶる。


「ゲアァッ!!」


 右の脇腹に衝撃。ゴブリンが棍棒を彼の脇腹に叩きつける。彼の想定よりもゴブリンの判断が早い。

 右腕から力が抜け、握っていた棍棒が落ちていく。踏ん張り切れず、崩れるように倒れる。矢筒から矢が零れ散らばったが、それを無視して転がるように起き上がる。


「ガァッッ!!」


 ゴブリンが追撃に来る。手に持っているのはやはり棍棒。ゴブリンが飛び上がり、棍棒が振り上げられる。それと同時に矢を一本拾い、前方に駆け出す。棍棒が振り下ろされるより先に、がら空きの腹に矢を突き刺す。直後、振り下ろされた棍棒の衝撃で視界が揺れる。


 ――とりあえず一匹ッ!


 揺れた視界のまま辺りを見回す。腹に矢の刺さったゴブリンは着地するなりうずくまっている。その前に蹴り飛ばしたゴブリンはすでに体勢を立て直しているようだ。


 ――彼女は!?


「ガグアァッッ!!」


 確認するよりも早く、右から近づいてきていた三匹目のゴブリンが飛び掛かる。


 ――クソッ!仕方ないッ!


 頭を右腕で庇う。さらに左腕で右腕を支え衝撃に備える。利き腕が使えなくなるのは痛手だ。ゴブリンはまだ二匹残っている。それに、今はうずくまってる一匹も立ち上がるかもしれない。

 だがそれよりも今死ぬほうがまずい。未だ蘇生の全容は掴めていない。ここで下手を打てば彼女も助からないだろう。だからこそ彼は、今この場で死ぬことだけは避けなければならなかった。


「あ?」


 しかし右腕を襲った痛みは棍棒の衝撃とは違った。その正体を探るため目を見開く。彼の右腕からは血が噴き出していた。


 ――ああ、ああ…。


 右腕の前腕部から先。先ほどまで左腕で支えていたそれが、宙を舞っていた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」


 悲鳴、というより咆哮に近いものが溢れ出る。

 痛い。痛い。痛い。

 想像を絶する痛みに崩れ落ち、うずくまる。すかさず背中に棍棒の衝撃が走る。

 痛い。痛い。

 左足に斧が振り下ろされる。

 痛い。痛い。

 棍棒と斧、攻撃は止まない。しかし死なない。途絶えかける意識は痛みによって無理やり引き戻される。


 ――こいつら、俺が苦しむのをみて楽しんでいるのか…?


 痛い。痛い。痛い。苦しい。辛い。だが今はそれより重要なことがある。振り絞るように叫ぶ。


ッッッッ!!!」


 彼女に向かって、懸命に叫ぶ。何度も何度も繰り返す。声が出る限り叫び続ける。


「っ!?」


 駆け出す彼女の背中を見送る。ゴブリンたちは気付かない。気付かせない。そのために叫び続ける。彼女の足音をかき消すように。


 ――あぁ…言葉、通じたのか…よかった…。


 瞬間、首に痛みを感じた。そして意識が途切れる。


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