第2話 廃砦を歩みゆく
不死。どれだけの人間がそれを夢見たことだろうか。ある者はそれを求めて水銀を飲み、死に至ったという。避けられぬ死から逃れる方法。誰もたどり着けなかったその力を、なぜか青年は手にしてしまった。
しかし現状、これは嬉しいことではない。訳も分からない世界で、死という逃げ道すらも失ったのだ。
「勘弁してくれ…」
思わず悲観的になってしまう。気持ちを切り替えるため目標を定め、そこに向かい行動することにした。まず必要なのはこの世界について知ることだ。となれば現地の人を探すのが一番だ。その為にはこの建物を出る必要がある。とりあえずそれを目標とする。
「よし」
歩きながら考える。次にゴブリンに遭遇したらどうするか。小さな体ではあったが、力は想像以上にあった。それに彼には武器が無い。となれば。
――不意打ち、か。
意識外からの攻撃。これなら力の差は関係ない。一方的に攻撃し、殺す。外見から見るに体の構造は人間と同じようだ。ならば頭を狙えば殺せるはずだ。
そこまで考えて、先ほどまでしていなかった音に気付く。わずかだが水の流れる音がする。耳を澄まして、水音の方へ足を進める。
――ツイてないな。
そこには確かに水場があった。遠目で見ても透き通っている事がわかる水が、水路のような窪みを流れていた。そしてそこから水を飲むゴブリンの背中があった。おそらく先ほど出会ったゴブリンだろう。近くには不格好な棍棒が置いてある。
あたりを軽く見回す。他にゴブリンは居ない。
──ならばやれる。殺せる。
大きく息を吸い、一気に走って距離を詰める。物音に気付いたゴブリンが青年の方へ振り返るが、その勢いは緩めない。寧ろ加速するかのような勢いでゴブリンの顔を蹴りつける。蹴り飛ばされたゴブリンは水場へ落ち、水しぶきが上がる。
水場は思っていたよりも深く、30cmはありそうだ。
──丁度いい。
「グゴァッッ!!!」
ゴブリンの叫びが反響する。しかし既に彼の両手はゴブリンの頭を捕らえていた。ゴブリンの頭を思い切り水中に押し込む。もがきながらも抵抗するゴブリンにさらに体重をかける。数分も経たずに抵抗の力は弱まり、やがて動かなくなった。
──念には念を入れておくか。
水場からゴブリンを引き上げる。ゴブリンの持ち物であった棍棒を手にし、大きく深呼吸をして。
「ッッッ!!!」
力を込めて頭を殴る。一度や二度ではなく何度も何度も。原型がわからないほどぐちゃぐちゃになったゴブリンの頭を確認し、一息つく。返り血の付いた両手を見ると、わずかに震えていた。
――俺が殺した。
至極冷静に、それが当然のことであるかのように殺した。まるで自分が自分で無くなったかのように。
思い出したくもないことを思い出しそうになる。喉元まで来ていた何かを水と一緒に押し戻す。冷たい水は興奮した頭を冷やすのにもちょうどよかった。
思わぬところで武器が手に入った。そう考えれば寧ろ運が良かったのかもしれない。ただの棍棒だが何も持たないよりはずっとマシだ。
血みどろの棍棒を手に、歩みを再開する。ゴブリン一匹程度なら自分の力でも殺せることが分かった。それも大きな収穫だろう。
暫く歩くと、少し開けた部屋に炭化した枝のようなものが積み重なっていた。おそらく焚火の痕跡。時間まではわからないが、少なくともここで休息をとった何かが居る。
当然それがゴブリンである可能性も否定できない。だが人間である可能性も無くは無い。その事実が彼の心に些細な希望を与える。どこか、もう人間は居ないのかもしれないと、そんな考えが浮かんでいた。けれど確かに人間のものらしき痕跡が存在する。そんなちっぽけな希望が、彼に進むための活力を与える。
「…行くか」
少しの高揚感と共に歩き出す。心なしか先ほどまでよりも歩みが軽く感じる。わずかな希望に、胸が躍る。
それがよくなかった。
「あ?」
背中に激痛が走る。殴打のそれとは違う痛み。
「ゲッゲッゲッ…」
振り返ると弓を携えたゴブリンがこちらを見て笑っている。
「クッソ…ふざけんなよ…」
胸を貫いている矢を見て、吐き捨てるように呟く。内臓を貫かれたのか、逆流した血液を口から吐き出す。棍棒を握りしめ距離を詰めるべく駆け出す。しかしそれより早く二射目の矢が喉を貫通し、再び意識が途切れる。
そして目を覚ます。
先の死に比べて明らかに蘇生が早い。ゴブリンはまだ彼の目の前に居る。ソレは獲物の死を確認するため近づいてくる。
──ん?
胸元に先程まで自分を貫いていた筈の矢を視認する。しかし明らかに短い。これではまるで。
――今はそんなことどうでもいいッ!
ゴブリンの脚に矢じりを突き刺す。
「ゲガァッ!」
ゴブリンが体勢を崩す。その隙に棍棒を手に取り、立ち上がる。
「ッッッ!!!」
振り上げた棍棒を全身全霊の力でゴブリンの頭めがけて振り下ろす。ゴブリンが悲鳴を上げるよりも先に素早く振り上げ、再び振り下ろす。何度も何度も振り下ろす。
「フーッ…!フーッ…!」
完全に頭の砕けたゴブリンを見下ろし、荒い呼吸を徐々に整えていく。既に殺すという行動に躊躇は全く存在しなかった。
──人に出会うまでにどうにかしないと。
ゴブリンの死体に目を向ける。このゴブリンは弓を使っていた。つまり多少なりとも知性が存在するということになる。ならば焚火をしていてもおかしくは。
――いや、決めつけるのはよくない。
ゴブリンの持っていた弓を手に取る。ゴブリンの体躯に合わせて作られたであろうそれは、人間が使うには少し小さかった。
――矢だけでも貰っていくか。
弓は使えなくとも、矢は人間の肉体を貫くほどには鋭い。貴重な刃物として使うことができるだろう。数は十本。決して多くはないが、消耗品として使わないのであれば十分な数だ。矢筒に入れ、左肩に掛ける。
――人間だといいんだが。
焚火の主に一縷の望みを抱きながら、再び重くなった脚を動かしていく。
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