第3話 最初の部屋 3


「だけど証拠がないし、犯人が自分から告白するとも思えない。そこで私は古い知り合いの力を借りてある実験を行うことにしたんだ。生きている者を魂と肉とにわける悪魔の実験をね」


 悪魔の実験?……生きている者を魂と肉とに分ける?祖母は加齢によって荒唐無稽な妄想に取り憑かれのだろうか?


「……あんたが呆れて私の正気を疑ってることは想像がつくよ。でもね、これは本当なんだ。この部屋の真ん中にもう一つ、小さな部屋があるだろう?あれは交霊室なんだ」


「交霊室?」


 私は馬鹿馬鹿しいと思いつつ、祖母の話に引きこまれていった。


「この部屋の下にはお前の伯父や伯母が住んでいて、今は特殊な技術で『生ける肉』にされている。お前が顔を出しても何も感じず、会話もできない言わば動く屍さ。お前は交霊室で叔父や叔母の生霊を呼びだし、話をする。そしてあの子たちの本音を探りだして誰が莉亜を殺したかを私の代わりに推理するんだ」


 私は唖然とした。霊と会話するだって?無茶にも程がある。


「いよいよ私が狂ったと思っているね?どっこい正気さ。部屋にはテーブルと椅子がある。椅子に座ってテーブルに手を乗せ、壁にかかっている絵に話しかけると霊が現れるんだ」


 この話のどこが正気だというのだろう。私は目覚めた時に感じた吐き気に加え、軽い頭痛すら覚えていた。


「霊が現れたら後は話をするだけでいい。推理に詰まったら電話室の電話を使うといい。一人だけあんたと話せる人間を準備しているよ。交霊術のやり方で何か戸惑った時も、その人に聞けば多少はわかるはずさ」


 私は人形を放りだしたい衝動に駆られた。こんなでたらめな話があっていいものか。


「引き受けるものか、そう思っているね?だけどそうはいかないよ。なぜならお前の身体には六時間以内に解毒しないと死ぬ薬物が打ってあるのさ」


 とんでもない告白に私は一瞬、眩暈を覚えた。六時間?毒?いったい何が起きているの?


「これからあんたがやることは、全ての階の親せきから手がかりを得て無事一階までたどり着くことさ。見事犯人を言い当てられたら、すぐに解毒剤を打つ手筈になっている。ただし、エレベーターは各階の住人、つまり『生きている肉』にしか動かせない。あんたは霊から手がかりを貰って『肉』たちをエレベーターのロックを解除するよう、仕向けなきゃいけない」


 私ははっとした。目覚めた時に感じた吐き気、頭痛……身体に起きた異変はもしかしたら毒の作用によるものかもしれない。部屋の形をしたエレベーター、解毒剤、霊、生きている肉……まるで悪夢の中へ迷いこんだようだった。


「信じる信じないは勝手だけどね、あんたが目を覚ました瞬間から毒の効果は始まってるんだ。ひどいお婆ちゃんだと思うだろう?だけど私にとっちゃ莉亜こそが最大の理解者であり、宝物だったんだ。親族の誰ともしがらみのない人間、今まで自由を満喫してきた人間が探偵役に選ばれるのは当然さ。


 さあ、わかったら真ん中の部屋に行きなさい。最初はただ、テーブルにつけば下の階まで運んでくれるよ。……そうさ、交霊室は部屋そのものがエレベーターになってるんだ。私は一階で待ってるから、必ず六時間以内に来るんだよ」


 私は沈黙した人形を手にしたまま、しばしその場に呆然と立ち尽くした。


 この『プッコちゃん』は元々、莉亜の物だったらしい。母が実家を出る時、姉の莉亜に「気持ち悪いからあんたにあげる」と押しつけられ、以後二十年近く母の元にあったのだ。


 私が独立し、母が念願のアメリカ生活を始める時に「もう帰ってこないのなら返して」と莉亜に言われ、その後どうなったか知らないままだったのだが、まさか祖母が持っていたとは。

 

 ――あとでまたメッセージを聞くことがあるかもしれないな。仕方ない、持っていこう。


 私は人形を携えたまま机の前を離れると、部屋の中央にある小部屋の前へと移動した。


 一見、柱にも見える小部屋には古めかしい扉があり、私が取っ手を引くと難なく開いた。


「これが……交霊室?」


 部屋の中へ足を踏みいれた私が見た物は、祖母の言葉通り真ん中にぽつんと並んだ丸テーブルと椅子だけだった。


 部屋は狭く、四隅のうち三か所から内側に柱がせり出していた。残った一角には柱の代わりに人一人がやっと入れるほどのガラス張りの囲みがあった。


「電話だわ」


 ガラス越しに囲みの中を覗きこんだ私は、声を上げた。囲みの中には黒い電話機が置かれており、街角に時たまみられる電話ボックスか古い映画に出てくる電話室を思わせた。


「あの絵……」


 私は何もない部屋の唯一の装飾とも言える壁の絵に見入った。それは成人女性の肖像画で、モデルの風貌は私の母によく似ていた。


 ――でもお母さんじゃない。あれはたぶん、若い頃の莉亜伯母さんね。


 私は母と比べるとどこか翳りを帯びた女性を、おぼろげな記憶を手繰りながら見つめた。


「あと六時間か……とにかく下に降りてみないことには始まらないわ」


 私は意を決すると、部屋の中央にある古びたテーブルに歩み寄った。椅子の背凭れを引き腰を据えると、驚いたことにテーブルの真ん中から球状の物体がモーター音と共にせり出した。


「下に参ります。座って手を乗せて下さい」


 突然、球体が抑揚のない声で言い、私は促されるまま謎の球体に両手を乗せた。するとごうん、という音と共に床が震え、部屋全体が動く気配があった。


 ――霊だか肉だか知らないけど、こうなったらどこへでも行ってやるわ。


 私は目を閉じると、エレベーターの動きが止まるのを待った。

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