第44話 お人好し(三人称)

 一つ嘆息すると、ジェシカは常人離れした脚力で人目も気にせず跳躍する。

 一瞬で屋根の高さまで跳んだジェシカを通行人が物珍しそうに見上げるが、特別さわぐ様子はない。多くの人種が入り乱れるクハナでは、このくらいの珍事は日常茶飯事ということだ。


 ジェシカは人混みに紛れようとする少年の目の前に着地して立ちはだかる。


「うわっ」


 少年は突然視界に現れたジェシカの姿に動揺するのも束の間、急停止が間に合わず体当たり。正面からぶつかったジェシカはピクリともせず、肉体的に貧弱な少年だけが衝撃で尻餅をつく。


「私と鬼ごっこなんて百年早い」


 唖然と見上げてくる少年を見下ろし、ジェシカは鼻を鳴らす。

 伊達に『聖剣士』をやってはいない。

 近い年齢といえども手にした職業によって能力の差は天地まで隔たるのだ。


 ジェシカは手を差し出すが、少年はその手を取らずに自分の力で立ち上がる。


「カネ、返せよ」


「……いやだね」


 見た目の年齢はジェシカとそう変わらない。

 こんな歳で盗みなんてするくらいだ。なにか訳ありなのだろう。

 強引に奪い返してもいい。ただ目の前の少年が同年代ということもあり、多少思うところもあった。


「どうしてこんなことしてるんだ」


「…………」


「理由次第じゃくれてやってもいい」


「っ! ……ほんとに?」


「ああ、私は嘘が嫌いだからな」


 少年は迷う素振りを見せるが、静かに頷いて承諾の意を伝えた。

 どうせ逃げてもすぐに捕まる。だったら正直に理由を話した方がいいと判断したのだろう。思いのほかよく考えているとジェシカは少年への印象を変える。







 近場のベンチに腰掛けると、フレッドと名乗った少年は理由をポツポツと語り出した。


 病に倒れた母親に花をあげたかったという。

 それもただの花ではない。

 魔力を宿した花だ。一般的に『魔草』と呼ばれるそれらの植物は特殊な効能を有し、口に含むとすぐに効果が現れる。

 その魔草の中に病魔を打ち消すものがあると知ったフレッドは、それを手に入れるために金を集めていた。


 しかし普通の花屋に魔草はまずない。高価すぎて取り扱っていないのだ。


「病を治す花……〝ゲルベリア〟か? 相場だと銀貨十枚くらいだったかな」


「たぶんそれだ。そんな名前だった気がする」


 フレッドの家庭は決して裕福とは言えないものだという。

 しかし銀貨十枚という金額は、そこまで生活で不自由していない家であってもなかなか手が出ない。


 父はフレッドが物心つく前に死んでしまった。

 そして女手一つで生計を立てていた母が倒れた現状、フレッドが弟子入りという名目で店に置いてもらって稼ぐしかない。

 だが、子どもが一日中働いたところで手に入る額なんてその日を食い繋ぐ分で消えてしまう。

 貯蓄もそこまでなかった。日に日に衰弱していく母の命を助けるには、もう他人の金を盗むしかなかったのだ。


「医療協会にも行ったけど、病気は治せないって……」


「治癒魔法はあくまで肉体の再生だからな。下手に手を出せば病原菌まで元気にしちまう。こんなケースじゃ使い物にならねえよ」


 少年の手持ちはジェシカから盗んだものも合わせて銀貨三枚と銅貨七枚。とてもではないが足りない。

 母親の容態を見ても、猶予はあと一週間ほど。


「おれが職業に恵まれてたら、『迷宮ダンジョン』に潜って自分で花を探せたのに……」


 フレッドは膝に置いた両手を握りしめる。

 「泣き言いってんじゃねえよ」と叱責するジェシカだが、職業の有無によって自分の運命が左右される理不尽を彼女は知っている。


 沈鬱な顔で視線を落とすフレッドを見つめていたジェシカは、ベンチの上で胡座をかいて腕を組む。


「わかった。私がその魔草を見つけてきてやるよ」


「え?」


 思いもしなかった発言にフレッドは目を丸くしてジェシカを見る。


「そんなことできるの?」


「ああ、こう見えて私はけっこう強いんだぜ。クハナの迷宮なんて怖くもなんともない」


 胸を張って威張るジェシカ。

 『聖剣士狩り』とやらにボロ負けしたことは記憶に新しいが、自分とて戦闘系特別職の最高位とされる『聖剣士』の一人。

 知識や経験は他に劣るが、潜在能力では負けていないとジェシカは自負している。


「私に任せろ。一気に最下層まで行ってしらみ潰しに探すさ。明日またこれくらいの時間になったらここに来いよ」


「そ、それならおれも……!」


「ダメだ。戦闘能力のない奴がついてきたって足手纏いでしかないからな。お前は吉報を待って母の看病でもしてろ。わかったか?」


 身を乗り出して進言するフレッドだが、ジェシカの言葉を聞いて口を閉ざす。

 母のことを考えているのだろうとジェシカは想像する。

 しばらく待ち、何かを決意したような目に変わったフレッドはジェシカに向き合う。


「……わかった。その、ありがとう」


「礼は明日でいいさ」


 ニッと笑ってジェシカは応えた。

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