第40話 変化

 見開かれた瞳。

 頬を伝う大粒の汗。

 まるで幽霊でも見たような顔でこちらをみつめるシオンは、俺の声を聞くや否やその場を走り去る。

 ここまでやってきたということはルーカスの護衛は彼女だったんだろうが、護衛対象なんて目もくれずに脱兎の如く逃げてしまった。


「お、おい!」


 辛うじて状況に思考が追いついた俺が店の扉を開け放って出ていくシオンを呼びとめるが、全く耳に入っていない。


「な、なんだ? 知り合いだったのか?」


「……昔の仲間だ」


 困惑して問うてくるルーカスに端的に返し、俺は席を立つ。


「まて、クリス。私がいく。お前では今の彼女とまともに会話をすることができないだろうからな」


 オリアナが制止して彼女も席を立つ。

 シオンのあの様子。まるで俺を恐れているようだった。

 どうしてシオンが俺を怖がる必要があるのかはわからないが、今でも彼女と接点を持つオリアナが対応した方がいいだろう。

 俺はテーブルに手を添えたままオリアナと目を合わせる。


「すまない。頼む」


「まかせろ」


 微笑して答えると、オリアナは鋭い目つきでシオンの後を追って走り出す。

 頼もしい限りだ。二年前もこうしていざこざが起きる度にオリアナが間に立って取り持ってくれた。


「我々はどうしますか?」


 空気を読んで大人しくしていたアルテナが俺を見上げて訊いてくる。

 俺はルーカスを見て黙考する。

 本当なら関わるつもりはなかったが、同じ『聖剣士』なら他人事にはできない。

 護衛がいない現状で一人にするのは危険だろう。言っちゃ悪いが今の王都は油断できない。


「……そうだな。俺たちは予定通り、爺さんのところへ向かおう」


 グランの爺さんは住民区にある館で仕事をしているはずだ。

 冒険者ギルド本部を再建するまでの仮宿兼職場ということで、最低限の設備を置いて職員も活動している。


「なんか、悪いな」


 ルーカスが控えめに言う。


「気にすんな。元を辿れば俺が悪いんだ。自業自得だよ」


 未来だけではなく、過去も等しく厄介な敵なのだと思い出す。

 俺はあまりにも敵を作りすぎた。その代償はいかほどか。願わくば地獄に落ちるまでにもう少しだけ善行を積んでおきたいものだ。





 俺はアルテナとルーカスを連れて住民区に足を運ぶ。

 館の位置は住民区に入ってそう遠くはない。元々はある貴族が所有していたものらしいが、現在は住んでいないようで土地も国に返されているという。

 門前までやってくると、冒険者ギルド本部には劣るものの広い庭が目に入る。仮の職場として決まって間もないから人道以外は雑草が伸び放題で、大きな建物の外装も廃屋のそれだ。

 しかし全開にされた扉の奥から覗くエントランスの風景は見知った冒険者ギルドで、内装の整備はしっかりしているのだとわかる。


 住民区のくせに冒険者が次から次へと出入りする新鮮な様子を目に焼きつけながらエントランスに入ると、受付にグランの爺さんの所在を問う。

 俺が『聖剣士』ということもあり受付の人間は快く爺さんの居場所を教えてくれ、部屋まで案内してくれた。


「たく、この忙しい時に何の用だよ」


 爺さんはあまり歓迎ムードではなかった。

 珍しく憔悴した面持ちで書類を睨んでいる爺さんには悪いが、俺はさっそく本題を切り出す。


「こいつ、ルーカスなんだが。さっき街で会ってな。いま王都にいる数少ない『聖剣士』ってことで一緒に行動できないかと思ってよ」


 隣に立つルーカスを顎で指す。

 爺さんはルーカスに目をやると、はぁと息を吐いた。


「聞いてるぞ。オマエ、このあいだ受付口で騒いだんだと?」


「そ、そりゃあ職員の対応が悪くて……」


 無垢な一般人なら卒倒するレベルの強面に眼付けられてルーカスは見るからにうろたえた。

 爺さんは怒っているわけではない、本当にただ呆れているだけだ。怒っていたらこんな程度じゃすまない。田舎育ちのルーカスでは立っていられないだろう。


「まあそれは別にいいんだがよ。護衛はどうした。外出には護衛の最上級冒険者がつくはずだが。

 クリス、オマエもだ。外出する時はオマエとアルテナとオリアナの三人行動が必須だと言ったはずだぞ」


 ルーカスの護衛やオリアナの不在については、会ったら確実に訊かれるだろうとは思っていた。

 尋問するような声音で俺たちに問いを投げてきた爺さんに、俺は言葉を返す。


「それについては俺が原因だ」


「どういうことだ?」


「コイツの護衛がシオンだったんだよ」


「……マジか、それ」


 爺さんは書類を机に置いて目を瞬かせる。

 ルーカスも目を見張って俺を見るが、気づかないフリをする。

 実際はルーカスがシオンを騙して逃げ出したことが原因だ。しかしここで爺さんにそれを伝えてしまうと話がこじれる。何よりルーカスを追跡していたシオンがこの場にいないのは俺のせいだしな。

 さらに詳しく状況を説明しようとしたが、爺さんは納得したような素振りで椅子の背もたれに寄りかかる。


「そうか……まあ、それなら仕方ねえか」


「仕方ない?」


 訳知り気に呟くものだから訊いてみると、爺さんは投げやりな素振りで手を振る。


「いや、これについてはオレの出る幕じゃねえよ。前にも言ったがこれは好転気だぜ。てめえの過去とはてめえ自身で向き合え」


「なんだよ急に。少しくらい教えてくれたっていいだろ」


「こっちは過労死寸前なんだ。オマエらで解決できることはオマエらでどうにかしろってことだ。

 状況を見るに、オリアナはシオンを追ったってとこか? あの事件の直後だ。『聖剣士狩り』も大胆なことはしねえとは思うが、念のために早めに合流しておけ」


 頑固な爺さんにはこれ以上問い詰めても意味はないだろう。

 爺さんの言う通りだ。これは俺自身の問題でしかない。


「……それはいいけどよ、ルーカスの件はどうなんだ」


「無論許可する――と、言いたいところだが、残念ながらその必要性はないな。レインの奴がやっとクハナに到着したらしい。あと三日もすれば王都にくるぜ」


「クハナ? もうそんな近くまできてるのか」


 クハナは王都から西方に位置する商業の街だ。

 王都ほどではないが活気があって人の往来も盛んだ。

 クハナから王都へ向かう商人も多いことから交通路も他より入念に整備されている。俺がいたカイエほど近くはないが、特急馬車を使えば三日もかかることはない。恐らくレインたちはクハナで一息つくつもりなんだろう。


「なら、俺はどうなるんだ?」


 不安げにルーカスが問う。


「そんなに『聖剣士狩り』が恐いならオレと一緒にいろ。今は超警戒態勢だ。この住民区に王国魔法師団の協力で結界を張ってもらってる。魔法系最強職の『賢者』が十人規模で気張ってんだ。怪しい奴を検知したら総爆撃だぜ」


「おお、凄いな王都! 是非とも傍にいさせてください!」


 ルーカスは瞳を輝かせる。

 どうやら身の安全を保障してもらえれば何でもいいらしい。

 こちらとしてはシオンをどうにかしたいからグランの爺さんが面倒を見てくれるなら大賛成だ。


「なら、悪いがルーカスを頼むぞ爺さん」


「任せろ。お前も今日はさっさと宿に帰れよ。シオンも大事だが、そんな場合じゃねえってのはわかってるだろ」


「……ああ、わかってる。いくぞ」


「はい」


 いままで横で静かに佇んでいたアルテナに一声かけると、普段通りの短い言葉が返ってきた。

 息抜きのために外出したというのに、こちらの都合でアルテナを振り回していしまっていることに罪悪感を覚える。

 ルーカスを置いて部屋を後にすると、歩みを進めながらアルテナに声をかける。


「すまんな。こんなことに時間つかわせて」


「いいえ。今回の一件は私も好機だと思っています」


「どういうことだ?」


「過去の因縁を克服することはクリスさんにとって成長の糧になるでしょうから」


「なんだそれ」


 アルテナの都合を慮っての謝罪だったのに、当の本人はこちらの都合しか考えていない素振りだ。


「……あ」


 ふと気付き、足を止める。

 二、三歩俺を追い越してから振り向くアルテナは怪訝な目でこちらを見る。


「どうしました?」


「いや」


 互いに与えあうことで支え合う、パーティーの理想形。

 以前にアルテナが語ったことだ。

 あの時は初級冒険者が得意気になにを言っているんだと思っていたが、今は無自覚にそれを実践していた。


「アルテナ」


「はい」


「また今度、魔物売店にいこう」


「どうしたんですか、突然」


 眉を寄せて首を傾げるアルテナ。

 俺は再び歩きだし、彼女と肩を並べる。


「結局店内に入れなかったからな。次は落ち着いた時にしよう」


「私は構いませんが……クリスさんが可愛いもの好きだったとは思いませんでした」


「可愛いものが嫌いなやつとかいるのかよ。価値観はそれぞれだろうが、誰だって可愛いと思うものの一つや二つあるだろ」


「確かに……これは虚を突かれましたね」


 アルテナは真剣な顔で深く頷く。

 彼女が時折見せる空虚な表情。それが『聖剣士狩り』絡みで感情を抑えつけていることが原因だとするなら、余計な事情を全て払拭してやるしかない。

 リトアを倒すことがアルテナにとっての救いになる。そう思うと俄然次なる戦いへの意欲が増す。成長のためならトラウマの一つくらい克服してみせる。


 戦って勝つこと。

 それこそが俺にできる、アルテナという『仲間』への施しだ。

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