聖剣士招集会

第36話 知られざる戦い(三人称)

「ぐ、ううう!!」


 群青色の長髪を激しく靡かせ、少女は空中から着地する。

 全身に浅い創傷をいくつもつくり、汗を吸った薄い衣服が血と混ざって黒ずむ。

 幾度も肺の酸素を入れ替え、朦朧とする視界で敵の姿を捉える。


 黒い髪。

 黒い瞳。

 漆黒の服は機動性重視。

 右手に持つ片手剣を軽く凪ぐように持ち上げ、人形染みた冷徹さで景色を俯瞰する男。


「『レイン・マグヌス』……まさかこれほどとは……!」


 危機的状況に瀕して、少女は噛み殺すように口にした。

 『剣神の寵児』レイン・マグヌス。数多の武勇伝を持つ、生きる伝説。

 目的のためにやむを得ず交戦したが、結果はこの有様だ。並の実力ではないと自負する自分が、圧倒的戦力差をその身で体感させられる。


「『聖剣士狩り』。貴様らの目的はなんだ?」


 レインが平坦な声音で問う。

 傷どころか汗一つかいていない様子を見るに、自分は単に情報を聞き出すために生かされているのだと少女は悟る。


「……はっ、答えるとでも?」


 一向に治まらない己の喘鳴の音を無視して、少女は毅然として言葉を返した。


(とはいえ、まずいな)


 少女は覚束ない思考で状況を考察する。

 せっかく標的の『聖剣士』を見つけて、あと一歩で始末できる寸前だっというのに。一つのイレギュラーで算段が全て崩れてしまった。


(早いうちにを達成しておきたいところだけど……)


 しかし、目の前に立ちはだかる男がそうさせてくれない。

 少女――タウリア・ターコイズは『魔導師』の職業を持つ。

 魔導を歩む者。魔に生きる者。『魔導師』とは魔法概念の設計者だ。ゆえにこそ、自身こそが『魔王』に最も近い存在であると信じる。


 そんな彼女をして、全く歯が立たない相手が現れるなんて想定外と言う他ない。


「答えないか。ならばこの場で貴様を拘束する」


「簡単に捕まるとでも?」


「俺は簡単には思わない。いつも思いがけずに終わる、ただそれだけのことだ」


 レインが静かに片足を上げる。


――来る!


 達人同士の刹那の読み合いの如く、予兆を感知したタウリアは声を張り上げる。


「『真空璧エル・エアリエル』っ!」


 タウリアを囲む空気が凝固し固定される。

 『真空璧エル・エアリエル』は幅数メートルに及ぶ見えざる壁があらゆる脅威を退け、任意の時間において絶対的な防御力を実現する最強の防御魔法だ。

 その堅牢な護りはタウリアの知り合いである『槍使い』ですら容易に突破できないほどの代物だが――


「――――!!」


 スパンッ、と小気味のいい音と共に見えざる壁が横一線に両断される。

 十割の直感で身を屈めたタウリアは己の後ろ髪の先端が風に乗って舞い散る光景を目で追う。


 絶対の護りが紙切れ同然に破られた。

 しかし、タウリアは動じない。

 知っていたからだ。

 戦闘を始めてわずか数分ではあるが、レインがこの程度の妨害で止まるような人間ではないことはすでに身に染みてわかっている。


「打つぞ」


 いつの間にか横に佇んでいたレインが剣を振り上げ、タウリアの頭頂部に柄頭を叩きつける。


「ガッ」


 一切の無駄を削ったレインの攻撃は一瞬にしてタウリアの意識を刈り取り、無力化させる。あっという間の出来事だった。

 しかし、何かを感じたのか。レインはドサリとその場に倒れるタウリアを見下ろすと、視線の先を上空へと向ける。

 直後、虚空からピントが合ったように姿を現すタウリア。チラリとレインが倒した方の彼女を見ると、うっすらと実態をなくしていく。


「侮ったな! 私はそこらの魔法使いザコとは違う。詠唱文の細部に異なる魔法式を組み込むことで二重詠唱を行ったのさ!」


 宙に浮き、タウリアは合わせた両手から漆黒の光を生みだす。

 黒光はやがて電撃のように迸り、時が満ちた頃、タウリアは両手を天に掲げて詠唱する。


「潰れろ――『黒天落グランド・ミーティア』!!」


 タウリアの手から放たれた黒光が円形に弾ける。

 異変はすぐに訪れた。

 レインの周囲の空気が激しく振動する。地響きが起こり、何かに強大な圧力をかけられているかのように地面が抉れていく。

 状況を静観していたレイン自身の体も壮絶な圧力に襲われ、ガクンと上体が下がる。


「……これでも足りないか。ならば、『黒炎砲撃ブラック・フレア』!」


 全てを圧壊する力を以てしても屈することのないレインに、タウリアは追い打ちとばかりに最大級の魔法を放つ。

 万物を一瞬にして焼き払う黒炎がタウリアの両手から光線のように放たれ、レインに向かって一直線に向かう。

 空気が焼かれて空間が歪んで見えるほどの熱をまともに受ければ、流石のレインといえども命はないだろう。

 身動きが取れない今、黒炎を回避する術はない。


「……仕方ない」


 黒炎が眼前に迫った頃、レインは小さく呟いた。

 違和感を瞬時に感じ取ったタウリアはレインの挙動を見逃さず、その瞬間を目視する。

 先ほどまで見えない圧力に耐えていたはずのレインはフッと上体を持ち上げると、片手剣を両手で握って下から斬り上げる。


 瞬間、全てが裂けた。


 大地を圧し潰していた不可視の力が二方向に霧散する。

 凝縮された超出力の黒炎が、ゴオッ、という音と共に縦一閃に裂け、あらぬ方向に飛んでいき爆散する。

 空間をも切り裂くレインの斬撃は剣筋が補足する全てを両断した。そして、それらの先にいるであろう人物は……。


「…………」


 レインは目を眇める。

 左右に切断されたタウリアどころか、その姿形までもが存在しなかった。

 恐らくはレインが剣を振った直後から行動を起こしていたのだろう。


「空間跳躍、か」


 レインは半ば確信を込めて口にする。

 あの一瞬で姿も気配も消失させる方法は限られているのだから。


 殺すよりも五体満足で捕らえる方が難しい。

 レインは拘束は諦めて命を奪おうとしたが、一手遅かったようだった。

 流石に空間を飛び越えられてしまえば追う術はない。生きる伝説であるレインといえども、魔法的痕跡を感知できる能力は持ち得ていなかった。


「レイン」


 背後から自分を呼びとめる声がして、レインは振り向く。

 煌びやかな金髪を一本に束ねた女性、ティオナは愁眉の面持ちでレインのもとに歩み寄る。


「ティオナ、危険だから離れていろと言っただろう」


「でも……」


 何度目かもわからないやり取り。

 幾度言っても頑なに傍にいようとするティオナに小さく嘆息するレインは、今度は彼女の横に立つ少女に目を向ける。


「ちっ」


 ティオナと同じ金髪を短く切り揃えた少女は、片手で後頭部を押さえて赤い双眸を反抗的に逸らす。

 ティオナの回復魔法のおかげで外傷はほとんど見受けられないが、ボロ布と化した衣服と肌に付着している土汚れが激しい戦闘の後を容易に想像させる。


「とりあえず、これで四人目だ」


 レインはそう言うと、踵を返して歩き始める。


「王都へ帰還する。どうやらも見つかったようだからな」

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