第20話 噂の人物
オリアナの誘いを受け、俺は二年ぶりに王都の街道に出た。
カイエから来た時は冒険者ギルド本部の前に停まったし、冒険者宿はすぐ隣にあるものだからしっかりと王都の道を歩くのは本当に久しぶりのことだった。
いつも通りと思っていた景観だが、よく見ると細部には記憶とズレがある。知っている店がなくなっていたり、知らない店があったり。オリアナの奢りで昔に通っていた居酒屋に入ってみたら、店主が代替わりしていて驚いた。
「たかが二年。されど二年、か」
「変わるものだろう?」
カップル特典なるサービスで半額になった三段アイスを食みながら、オリアナは謎に得意気な顔を見せた。デートじゃないと言ったのに、しれっとアイスクリーム店に立ち寄るものだから逃れられなかった。
俺たちは商店街の一角にある休憩スペースでベンチに座っている。冒険者宿を出たのが大体二時間前ほどだから、今は十五時過ぎ頃だろうか。
「食後のデザートにしては重いな……」
俺の手にも三段アイスが握られているが、もともと甘味が好きなわけでもない。
オリアナは美味しそうに食べている。そういえば甘党だったか。
「なんだ、食べないのか? なら私がもらうぞ」
「バカ言え俺のもんだ」
まだ自分の分も食べ終えていないくせに俺のアイスに手を伸ばしてくるオリアナ。
俺はその手を叩いて即座に貪りつく。が、勢いが過ぎたせいで頭が痛くなる。
「食い気ではなく貧乏性だな……焦らずとも奪いはしないからゆっくり食え」
「あ、ああ……」
キンキンと痛みが走る額を押さえながら、ゆっくりとアイスを口にする。
こっちは多額の借金をしながらギリギリの生活をしていたんだ。タダでもらえるものは何でももらうし、一度手にしたものは絶対に譲らない。
そういえば借金はどうするか。冒険者パーティーを結成してそれなりに成果を上げれば、順調に進んで五年程度で返済できるか。面子は悪くないからパーティーとして最上級に上がればさらに短縮できるかもしれない。
それについてオリアナが肩代わりしてくれると言い出したりもしたが、流石にそれは違うと思って断った。彼女にそれをさせてしまったら、俺は本当の意味で終わる予感があった。
「さて、そろそろ帰るか。扉も直ってる頃合いだろうしな」
「そうか……。もうそんな時間か」
アイスを食べ終え、一息ついてからベンチを立つ。
オリアナは名残惜しそうにしつつも文句を口にすることはなかった。
そのまま帰路に着こうと足を進めると、隣を歩いていたオリアナははたと立ち止まる。
「悪いが少し待ってくれるか?」
「なんだ、小便か?」
「……肯定も否定もしない。デリカシーがないところは変わっていないようで安心したよ」
安心した、と言うわりには抗議的な瞳で睨んでくるオリアナ。語気も少し強い気がした。
こんな田舎育ちの不良児にデリカシーを求められても困る。まあ、そんなことを言っているから想い人に振り向いてもらえないのだろうが……。
ふんっ、と鼻を鳴らして踵を返すオリアナを見送り、胸の内で反省する。男勝りで懐が広い彼女もしっかりと乙女心というものを持っているということだろう。
昔は気にせず振舞っていたが、せっかく取り戻した稀有な縁だ。嫌われるようなことはあまりしない方がいい。
「仲間のご機嫌取りに必死とは、確かに卑屈になったな。他人の好感度なんて見えやしねえってのに」
反省を反省。
やはり俺は今のままでいい気がする。
急に優しくなったってオリアナも気味悪がるだけだろう。もちろん多少の気は遣うが、本心を隠してまで良く見せることはない。
とりあえずオリアナが戻るまで道の脇にいようと身を翻した時、
「あっ」
「おっ、……と」
俺のすぐ横を過ぎ去ろうとしていた女性とぶつかってしまった。
パサリと地面に紙袋が落ち、中から本が散乱する。
どうやら女性は脇に紙袋を挟んで本を読みながら歩いていたようだ。手に持った本から目を離し、驚いた様子でこちらを見てくる。
「あ、あらあら。ごめんなさい。読書に夢中になってしまって」
「いや、こっちこそ悪い。注意が散漫だった」
こんな街中で考え事をするものじゃないな。
俺はすぐに周りが見えなくなる。
そそくさと紙袋に本を収めていく女性を手伝うために地面に落ちた一冊を手に取る。
「『冒険者ライフ』? アンタ冒険者なのか」
「ええ、そうなの。とは言ってもこのあいだ登録したばかりなのだけれど」
困ったように笑う女性。
俺は改めて彼女の姿を確認する。
アルテナと同じ長い黒髪。瞳はルビーのごとく赤い。歳は二十代前半ほどか。
黒い布地の服に鉄の胸当てを着け、手甲と足甲はそれぞれ右手と左足のみ。何か武器を持っている気配はない。初級冒険者にしては冒険しすぎなスタイルだ。
職業がまるで予測できない。というか、職業持ちなのだろうか。
本を仕舞い終えた女性は辟易した顔で溜息を吐く。
「冒険者って案外覚えることが多いのねぇ。こんなに勉強に集中したのは久しぶり」
「一般人がよく勘違いしているところだな。勉強量についていけなくて脱落する初級冒険者も少なくない」
「あらそうなの? 辛いと感じているのが私だけじゃないようで安心したわ」
女性はにこりと感じのいい笑みを浮かべる。
街の花屋なんかが似合いそうな風貌だが、こんな女性がどうして冒険者になろうとしているのか疑問だ。
「冒険者の知り合いはいないのか? 一人だと余計にシンドイだろ」
「それがいないのよねえ。以前に知り合った冒険者とはお別れしちゃったし」
どうやらティオナのように付き合いで半ば強引に、というタイプではなさそうだ。
「まあ、一人でも――」
「待たせた。……誰だその女は」
忘れていた。俺はオリアナを待っていたのだ。
背後から迫るオリアナの声は、扉を破壊した時と同じ抑揚だった。
俺は咄嗟に振りかえって状況を説明する。
「い、いや。不注意で彼女にぶつかっちまって、落ちた荷物を拾うのを手伝っていただけだ」
「そのわりには楽しそうに会話していたように見えたが?」
「気のせいだろ」
アルテナの件が許されたから大丈夫と思っていたが、どうやら他の女といることは許せないらしい。
冗談では済まされない面持ちでこちらを見るオリアナに恐怖を覚え、後ずさる。
別に付き合っているわけでもないのにどうしてここまで嫉妬されないといけないのだ。やはりオリアナの精神状態は安定しているとは言えない。
「ふふ……」
「なに笑ってる!」
何が琴線に触れたのか噛み殺すように笑う女性に思わず怒鳴ってしまう。
そんな俺の怒声には全く動じず、弧を描く口もとを手で隠しながら女性は答える。
「いえ、可愛らしい彼女さんだと思って」
「か、彼女!?」
不意の一撃で顔を真っ赤にするオリアナ。
「おい、クリス。私達は恋人同士に見えるようだぞ」
「勘違いすんな。男女が肩並べて歩いてりゃ他人目線じゃ大抵カップルに見えるもんなんだよ」
「なんだ照れてるのか?」
「照れてねえよ」
女性のファインプレーでオリアナはすっかり機嫌を良くする。
しかし肘でこちらをつついてくるのは正直ウザいからやめてほしい。
「『クリス』?」
「ん? 俺の名前がどうしたか?」
「いえ、何でも。……ああそう、冒険者の知り合いについてなのだけれど。もしよかったら私の先生になってくれないかしら。私よりずっと先輩でしょうし、ささやかだけれどお金も払うわ」
柔らかい笑みを浮かべてこちらに提案してくる女性。
一瞬、怪しい表情をしたように見えたが……。
「先生か」
「ダメかしら」
「いや、実はすでに一人見ている状況でな」
「あら、そうなの? だったら一緒に教えてもらいたいわ。同じレベルの知り合いがいた方がやる気も出るでしょうし」
確かに、それは一理ある。
勉強に対して不真面目な俺がなんとかやっていけたのはレインやティオナの存在があってこそだった。
アルテナも勉強は不得意のようだし、意識を高めるためにライバルを用意した方が捗るかもしれない。
「……わかった、少し相談してみる。悪いが明日の昼頃、冒険者ギルド本部横の冒険者宿に来てくれないか? 事情があってあまり外に出られんからな」
「本当に? 嬉しいわ。良い返事を期待しているわね」
「まあ、アイツが拒否する理由もないだろうし相談は形だけだ。そういえば、アンタの名前は?」
「ああ、名乗っていなかったわね。私はリトア。リトア・ガーネット」
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