第2話 堕落

「テメエいつまでツケ支払わねえつもりだボケ! 酒飲んでる暇があんなら魔物の一匹でも狩ってきやがれ!」


「ッてェなクソジジィ! ぶっ殺すぞ!」


「殺してみろよ! 『低級冒険者』がやれるもんならな!」


 酒屋のオヤジに尻を蹴飛ばされ、俺は跳ねるようにして店から叩きだされた。

 酒が回った覚束ない足取りで立ち上がって振り向きざまに殺害予告をするも、知名度が地にまで失墜した今では脅し文句も効きやしない。


 いつか払う、必ず返すと豪語しては浴びるように酒を飲んでいた俺には一生真面目に働いても返し切れないツケが滞納していた。

 10割こちらに非がある自覚はあるから公的機関を呼び出される前に退散する。


 人気のない深夜の路肩を歩きながら、苛立ちを小石にぶつけて蹴りつける。


「……チッ」


 腹が立つ。

 なにが『低級冒険者』だ。俺だって一応は『最上級冒険者』だっていうのに、誰も信じちゃくれない。

 ライセンスだって持っている。それを見せても偽装だの盗品だのと騒がれるものだから嫌になって今はもう誰にも見せないことにしている。


 まあ無理もないか。

 ライセンス取得時の見た目と今の俺の姿では似ても似つかない。

 短く切り揃えていた金髪は今じゃ伸びて適当に一本に束ねているだけ。髭の処理も面倒になって無精髭が目立つ。毎日酒に浸っているせいか目に生気もない。


 齢22でアラサーと間違われるくらいには老けこんでいる。

 二年前まで最上級冒険者パーティーのリーダーをやってました、なんて到底信じられないだろう。


 二年前、俺はレインとの決闘に敗れた。

 約一年間の修行の果てに強大な力を手にしたアイツは、自分を追放し、そして容赦なく叩きのめした俺に恨みを持って闘いを挑んできた。

 とはいえ特別職に分類される『聖剣士』の俺と汎用職の『剣士』であるレインとでは底力が違う。俺だって日々努力してきたつもりだ。

 間違っても負けることなんてあり得ない、そう思ったがゆえにリスクの高い賭けに出た。


 しかし結果として、俺はレインに惨敗した。

 内容は思い返したくもないレベルで酷いものだった。

 俺はアイツに傷一つ与えることができなかった。火力に特化した俺のスタイルはレインと相性が悪く、異常な反射神経と俊敏性で俺の攻撃は悉くスカされた。


 加えてアイツの卓越した剣技だ。

 剣閃が見えたと思えばそれが二つ三つと一瞬にして襲いかかってくる。

 なんの技術か壁や地面をも容易く両断する剣は一撃必殺と言えるだろう。

 火力不足と判ぜられたかつてとは比較にならない殺傷力をアイツは身につけていた。


 『剣士』のレインは俺の下位互換。

 そう思っていたが、その認識はまるで間違いだった。

 俺はあの決闘においてレインの下位互換に成り下がっていた。俺を上回る火力に超人的な技と身のこなしだ。勝てる要素が皆無だった。


 闘いは長くは続かなかった。

 手加減されている、そんな感覚はあった。レインは俺を殺さないように立ちまわっていた。

 それが俺にはどうしようもなく耐え難く、本気でアイツを殺すために全力を出した。観客なんて関係ない。ありったけの力を込めてレインを葬ろうとした。


 それを察したレインが、動いた。

 一瞬だ。

 天に掲げ、剣身に溜め込んだ聖なる力を地面に叩きつけようとした時、視覚に捉えていたレインの姿が

 次の瞬間には俺は地面に伏していた。単純な膂力で叩きつけられたのだと理解した時、更なる衝撃が頭部を襲い、俺は意識を手放した。


 意識が回復したのは一日後のことだった。

 ギルドの宿のベッドで俺は目覚めた。個室には俺以外に人はいなかった。幾度か人が出入りした形跡はあったが、それが誰なのかはわからない。


 人の気配がないことを確認した俺は、まだ痛む頭を押さえながら部屋を出た。

 そしてその足でギルド本部まで向かい、レインの名をパーティー加入手続きに出し、リーダー推薦もしておいた。あとは本人の承諾だけというところまで持っていき、俺はパーティーから自分の名前を消した。


 ただ、誰にも会いたくなかった。

 落ちるところまで落ちたのだという自覚があった。

 俺は物語で言うところの『かませ犬』だ。醜い感情で仲間を切り捨て、汚い方法で想い人を手に入れようとした。最低な人格者の辿る結末に相応しい幕切れだろう。


 俺はその日の内に活動拠点としていた王都を出た。

 腐っても最上級冒険者だ。資金はそれなりにあった。レインやティオナと接点のある故郷の村には帰れず、いくつもの街や村を点々と渡り歩いた。

 やることはどこへ行っても変わらない。酒に溺れるだけだ。寝ても覚めても嫌な記憶がチラつく。脳味噌がバカになるくらい酔っていないと気が済まなかった。

 そうこうして過ごしているうちに資金も底が見え始め、王都から少し離れた東の街『カイエ』で飲んだ暮れ生活を送るようになった。それがここ二年の俺の遍歴だ。


「あークソ。まだほろ酔いだな。次から次へと思いだしちまう」


 どこかにツケ払いできる酒場はないか。

 カイエを拠点にしてかれこれ三カ月。めぼしい店は大抵出禁をくらっている。最後のツテもそろそろ出禁にされそうだし、拠点を変えるしかないか。


 月すら見えない曇り空の夜。

 何度か道に躓きながら帰路につく。

 とはいえその日暮らしの俺にまともな寝床なんてあるはずもない。

 最低限屋根に守られた路地裏の隅。それこそが俺の帰る場所だ。地面で何やら頬張っているネズミを足で追い払い、壁にもたれかかって座る。

 もう疲れた。なにもしてないのに、なにもできないくらいに疲れている。ここ最近は立ち上がることすら億劫だ。いよいよ末期かな。なんて思い、なぜか笑みがこぼれる。


 そうして、くだらない人生のくだらない一日がやっと終わる……。


 と、その時だった。


 顔面に冷たい液体が容赦なくぶち当たる。

 髪も服も瞬く間にびしょ濡れになり、俺はハッとして朧気な意識が覚醒する。


「な、なんだ! 雨……!?」


 心許ない屋根では守りきれないほどの豪雨にでも見舞われたのかと思い、慌てて周囲を見渡す。

 しかし他に濡れているような場所もなく、非常に局所的な現象だとわかる。と同時に、その原因も確認した。


「クリス・アルバートさんですね?」


「……誰だ、オマエ」


 俺は久しく警戒する。

 酒屋のオヤジに向けたこけおどしとは違う、本当の殺気を滲ませて相手を見る。

 俺の前には見下ろすように立っている少女が一人。バケツを手に持っている。俺を水浸しにした犯人はコイツで間違いないだろう。

 髪は夜闇に溶け込むような漆黒。瞳は暗くてよく見えないが、おそらくダークパープル。輪郭や背丈から見て十代後半か。

 この時間帯にこんな薄汚い場所にいていい風袋ではない。俺の名前を知り、今の姿から本人と識別できる点も不可解だ。

 

「私はアルテナという者です。私は元最上級冒険者パーティー所属、クリス・アルバートを探しています。手にした情報によると数カ月前からカイエの街にいるということでしたので、とある情報提供者の証言から同姓同名のあなたを割り出しました。あなたは元最上級冒険者パーティー所属、クリス・アルバートさんで間違いありませんか?」


「…………人違いだ」


「幾度か逡巡しましたね。怪しいので持ち物を確認します」


「お、おい、勝手に触んな!」


 アルテナとかいう女は何の躊躇いもなく俺の懐に迫ると、胸元や下半身を弄り始める。

 唐突に薄ら寒いことをされた俺は突き飛ばそうとヤツの肩に手を伸ばすが、それより前に手首を片手で掴まれる。

 なにかの職業持ちか、普通ではない握力で抵抗される。その間にも片手で俺のポケットを物色するアルテナにムカついた俺は二年ぶりに『聖剣士』の力を使う。

 全身から右手に聖なる力を送り、掴んで離さないアルテナの手を振り払うついでに解き放つ。横凪ぎに暴風が吹き荒れ、路地裏のゴミを一瞬にして消し去る。

 

 力をぶつけられた張本人は驚いた表情のまま吹き飛び、対面の壁に激突する。

 常人なら大怪我だが、アルテナは何事もなく復帰する。

 酔いが完全に覚めた俺も立ち上がる。


「……その力。間違いありません。あなたは『聖剣士』のクリス・アルバートさんですね」


「チッ……。だったらなんだよ。どっかの店主が食い逃げで俺を訴えでもしたか?」


 嫌な予感がする。

 自慢じゃないがこんな時の予感は必ずと言っていいほど当たるんだ。

 あの時もそうだった。あの時、レインが帰ってきたとき。俺は心のどこかで恐れていた。アイツの圧倒的な空気に気圧されたんだ。だから、俺は――


「いいえ。私とあなたの罪とは無関係です。単刀直入に告げます。私と冒険者パーティーを結成してくれませんか?」

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