光について

きさらぎみやび

光について

「ハツヒノデ?」


 頭に疑問符を浮かべてリリィが呟いた。宇宙服のヘルメット越しでもきょとんと不思議そうな顔をしているのがよく分かる。いつでもくりくりと表情豊かなのが彼女の可愛いところ。宇宙空間での単調なメンテナンス作業の時でも彼女といると退屈しない。


「そう、初日の出。ニューイヤーを迎えるときの最初の太陽の光のことなんだけど、良かったら一緒に見ない?」


 彼女の疑問にそう答えながら、私は作業の手を止めて足元を指さした。私の指先に沿ってリリィが視線を動かす。すぐにその視線は私たちが立つ宇宙船の表面を覆う無数の耐熱セラミック板に遮られた。


 いま私たちが立っているのは地球の静止衛星軌道上に係留されている宇宙船「エウトピア」の上部デッキ外壁部分だ。宇宙に上も下もないけれど、この場合上部とは地球から遠い側を指す。そして係留、つまりは繋ぎ止められているということで、確かにこの宇宙船は地上と軌道エレベータで繋がったまま地上35,788kmを漂っている。


 船外活動E.V.Aエンジニアの中でも私、ショーコ・イブキとリリィ・マクダニエルは軌道エレベータ担当なので、本来はこの場所を訪れることはないのだけど、どうやら先日何かしらのトラブルがあったらしくソーラーパネルを含めた外壁モジュール担当の人員が足りない、ということで私たちが急遽こちらに回されたという次第。この船の人員は常に不足気味なのである。


 地球の海が原因不明のウイルスで汚染されてから、人類は史上初めて一致団結してウイルスの駆除を目論んだものの、見込みが立たないと判断してからは人類のおよそ2/3が外宇宙への進出に駆り出されてしまった。これは当時「棄民政策」として相当批判されたらしいけれど、一部の大国を中心に予定の半分ほどが出発を強行した。これが人類の1/3にあたる。わずかに生存領域が残された地上に留まったのが1/3で、残り1/3は静止衛星軌道上に軌道エレベータで繋がれたまま停泊しているいくつかの宇宙船にスタッフ兼住民として住み着いている。


 船の居心地は悪くないものの、元々必要最低限で割り振られた人員ではマージンがなく、ちょっとしたトラブルで常に人手が不足することになるのだ。そんなわけで私たちはいま宇宙船の外壁に取り付いて、経年劣化した耐熱セラミック板の交換作業をしている。今この宇宙船は地球の夜の側にいるから、太陽はちょうど私の足元からずーっと線を引いて地球を通り抜けた反対側に位置しているはずだ。


「光を見るって、それは太陽の光を見るってこと?もしかしてショーコの故郷の風習なの?」

「そう。というか地球ではけっこうどこの国でもやってたみたいだけど」

「そうなんだ。私の両親はここ生まれだから、知らないのかも」


 彼女が言うようにリリィの両親はともにエウトピア生まれの人だ。ちょっと前までは珍しい存在だったけど、きっとすぐにそうでもなくなるだろう。そのうちに地球のどこ出身だったかなんて誰も気にかけなくなる。良いことでもあると思うし、でもなんだか少し寂しくもある。そんな気持ちが私に初日の出を見ようなんてことを提案させたのかもしれない。

 そしてリリィは私の提案に乗り気だった。


「オッケィ。面白そうだし、やってみようよ」


 微笑みながらこちらに顔を向ける彼女のヘルメットの内側で、船体からの反射光を受けて金髪がキラキラと輝いているのが見えた。私はしばしその輝きに見とれた後、頬のあたりが熱くなってくるのを感じて、慌てて割り当てられたメンテナンス作業を再開した。


 ***


 リリィとの待ち合わせ場所はエウトピアの下部デッキにした。

 前回と同じ上部デッキでも良かったのだけど、あそこだと船体を構成するソーラーパネルや対デブリ防護壁などの構造部が色々と邪魔で肝心の日の光がよく見えないと思ったからだ。その点、下部デッキなら軌道エレベータのワイヤー以外に人工物で視界を遮るものはない。それに私達が普段仕事をしているのも船体のこちら側だし、慣れているというのもあった。

 宇宙服の足裏にある電磁石方式のハードポイントをカチャカチャと鳴らしながら私はリリィを待つ。

 ちょっと早めに来すぎただろうか。

 そっと顔をあげれば私の頭の上に覆いかぶさるようにして視界一面に大きな地球が広がっている。地表の大半を占める海はウイルス汚染によって真っ赤に染まってしまっていた。


「お待たせ」


 掛けられた声に振り向いて、ハッチを開けて現れたリリィの姿を見るなり私は思わず吹き出してしまった。

 彼女はヘルメットの頭頂部にオレンジ色のボールを括り付けており、さらにまるで稲妻のようにギザギザの形で白と赤に塗り分けられた2本の布切れを首元からぶら下げている。私はその形状の意味するところに心当たりがあった。


「もしかしてそれって……鏡餅?」

「そう、カガミモチ!」


 確かに宇宙服のヘルメットは白くて丸いけれど、その発想はなかった。相変わらず突飛な発想をする子だ。先入観が無いのがいいのかもしれない。


「よく知ってたね」

「私、あれからいっぱい調べたんだよ」


 ふふん、と鼻息を荒くしながら両手を腰に当て、リリィは自慢げに胸を張る。私はすごいすごい、と彼女を褒めそやしながら彼女の手を引き、船体からところどころ飛び出ているドッキング用モジュールのそばへと誘導するとその場に座り込んだ。ポンポンと地面、というか船体を叩いて促すとリリィも私の隣に膝を抱えて座る。


 ここは以前から目をつけていたポイントで、船外監視モニタの死角となっている。普段から仕事でしょっちゅう船外活動を行っているからあまり自覚はないのだけど、原則として特段の事情がない限り許可なき船外活動は禁止されている。いちおう今日は名目としてメンテナンス作業、船体の目視チェックという形で船外活動の申請を通しているけれど、一か所に長くとどまっている所を見られてしまうと後が面倒だ。

 日の出まではまだもう少し時間があるから、それまではここでゆっくりしているつもりだった。

 座り込んだまま隣を見ると、リリィは忙しなく足をぱたぱたと上下させたり、頭上の地球を眺めたかと思えば、お尻の下の耐熱セラミック板の継ぎ目を指でなぞったりとなんだか落ち着かない様子だった。


「どうしたの、リリィ」


 彼女がここまでそわそわしているのは珍しい。

 第一印象では落ち着きがなさそうに見える彼女だが、一緒に働いてみればすぐにそれがとんでもない誤解だということが分かる。彼女ほど落ち着いて業務をこなすエンジニアを私はこれまで見たことが無かった。普段からおしゃべりなのは確かなのだが、例えば船体のメンテナンス作業時に他愛もない話をしている間も彼女の手元は素早く正確に作業をこなしている。それはまるで首の上と下が別の生き物のように独立して動いているかの様だった。


 そんな彼女が今は私の横で一人の人間として動いている。

 当たり前の事なのに、なんだかとても不思議だった。

 もしかしたら、私はいま初めてリリィのことを人間として認識したのかもしれない。


 そんな思いに駆られながら、私よりも随分と座高の低いリリィの姿を少し上の視点から見下ろすように眺める。ヘルメットの中で彼女の金髪が動くたびにふわふわと揺らいでいるのが見てとれた。


 その時、彼女の金色の糸束が輝きを放ち始めた。私は目に飛び込んでくるその光を漏らさぬように抱きとめる。


 私の視線につられるようにリリィが顔を上げて私を見つめてくる。


 彼女の瞳は目も覚めるようなブルーに煌いていた。


 そうか、彼女の瞳はこんな色をしていたのか。ウイルスに汚染される前の地球の海の色も、もしかしたらこんな色だったのかもしれないな。ぼんやりとそんなことを考えている私に向かって彼女が大きく口を開く。


「ショーコ、ほら、見てよ!ハツヒノデ!」


 その言葉に我に返ると、私はリリィの指さす方を振り向いた。


 すぐさまレーザーのような強烈な太陽光線が私の黒目を灼こうとするが、それは自動的に降りてきたヘルメットの減光バイザーに遮られた。

 バイザー越しでも分かる強く鋭い光。一瞬だけ目を閉じると、瞼の裏に残像のように光がこびりついていた。


 地球の裏側から顔を出した今年初めての光は、時の流れに押されるようにしてその姿を徐々に露わにしていった。まるで地球を縁取るかの様に光が走り、外周を包み込んでいく。私とリリィは二人寄り添うように並んで世界で最も巨大な指輪を眺めている。


 いつの間にか私も彼女も立ち上がっていた。


 放心したように下げていた私の右手を、リリィがそっと握る。

 凄まじい温度差にも耐えられる宇宙服のグローブ越しでは彼女の体温など感じられるはずもないのに、何故か握られた手はじんわりと暖かい。


「ああ、新しい光だ」


 私のつぶやきにリリィが答える。


「そうだね。ニューイヤーだよ。おめでとう」


 彼女の言葉がきっかけでもないだろうが、船体横から飛び出しずらりと並んでいるソーラーパネルたちが新年を祝うパレードのように一斉に動き出した。聞こえるはずのないモーター音を賑やかに響かせながら、くるくると向きを変え、まるで向日葵のように差し込む光に向かって整列する。


「私、なんだか今年はいいことありそうな気がしてきた」

「うんうん、なるほど、これがハツヒノデの効能なんだ。ショーコの故郷には素敵な風習があるんだね」


 リリィが感心したように言うけれど、さすがにそれは買いかぶりすぎというものだろう。こんな行事はきっと世界中にある。

 私たちの遥か頭上に浮かぶあの赤い地球の上でも、誰かが私たちと同じように新年の光を浴びているのだろうか。

 それはきっと素敵な光景だ。


 私たちはしばらくの間そこから動けずに、ただただ染まりゆく世界を眺めていた。どれだけそこでそうしていたのかは分からないが、リリィがふと思い出したように言う。


「ちなみに調べたところによると、ニッポンには『オトシダマ』っていう年上が年下にお金をくれる習慣があるんだよね?」

「さーて、怒られる前に帰ろうか」


 不穏なことを言い出したリリィに背を向けて私は船内へ繋がるハッチへと歩みだす。ちょっと待って無視するな、と慌てて私の後を追いかけながら抗議の声を上げるリリィ。

 彼女に笑いかけながら私は颯爽と歩みを進める。


 電磁石でがっちりと地面に吸い付くはずの靴底も、今、この時に限ってはなんだか左右揃って浮足立っているようだった。

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