本山らのと誰かのゆめ

七条ミル

本山らのと誰かのゆめ

 令和三年の一月二十一日午前零時零分、埼玉の端の方にある小さなアパートの一室でクラッカーの音が鳴り響いた。

 夜の寒さに負けじと分厚く着込んだダウンジャケットが、窓にひときわ大きな影を作っていた。

 クラッカーを鳴らしたのは、ごく一般的な大学生だった。ただ、人よりも少しく所謂サブカルチャーと呼ばれる種の文化を好み、殊ライトノベルに於いて彼の愛は並々ではない。彼の背後には茶色い本棚が、そこには、一冊ごとに色を違えるライトノベルがどころ狭しと並んでいた。

 彼の前にぼうと青白く光るパソコンのディスプレイには、ツイッターのある一人のバーチャルユーチューバーが表示されている。尤も、彼女は配信をしていない。それは過去の動画、三年前に投稿された彼女の一番最初の動画だった。画面の下半分で狐耳を持つ少女がぴょこぴょこと動き回り、上半分には青空をバックに、まだ動画編集ソフトに慣れぬのか、標準ゴシック体の色だけを変えた字幕が彼女の語りを助けんと大きく表示されていた。

 歳は、今年で二十一。寒いマンションの一室でパソコンに向かう彼と同じだった。ただ、彼は早生まれでは無かったから、とっくに二十一になっていたけれど。だと言うのに、彼女は彼とは違って、大きな夢を持っていて、そして彼女はその夢を実現させようとひたむきに努力していた。彼は、推していた。それは彼女が自分の好きなライトノベルに関することを動画にしているというだけではなく、自分の遠く力が及ばず諦めたことを成し遂げようとする彼女のひたむきな姿勢を、心の底から好きになれたからだった。

 そこで彼はふと立ち上がり、小さな冷蔵庫の中から最後の一本になった廉価なビールを取り出した。横着し、机に戻る前にカシュ、と音を立てて開けられたそれは、彼の小さな声を冥途の土産と彼の口へ流れていった。一年前も、同じように安い酒を飲んだ。それは、確か彼女が仲間と二人でお酒を楽しむ配信を見ながらだった。

 彼は再び、パソコンに向かった。画面には、まだ駆け出しで、名も今ほど知れていなかった頃の彼女の夢が大きく映し出されていた。安かったのだろうか、あまり音質の良くない彼女の声は、今も昔も、変わらず彼の耳にすっと届いていた。

 短い動画が終わりを告げ、パソコンの画面には幾つかの関連動画が表示される。彼は迷わずに、一番上に出ていた最初の生放送をクリックした。

 バーチャルラノベ読書会と銘打たれたその生放送には、彼自身昔から好きだった作家先生が出演していた。ちょっと気の抜けた彼女と先生のふたりごとに、彼の口元は緩む。今となっては経験を積み、そして随分と流暢に話すようになったのだなぁと、ふと思う。けれど、このころからやっぱり、彼女の芯は変わっていないのだ。そう思った。

 彼は程ほどに、次の動画を開いた。それは、真夏に投稿された、彼女の二つ目の自己紹介動画だった。3Dだった可愛らしい彼女の身体からだは、素敵な2Dの身体に変わっていた。

 いつの間にか設定も増えたなぁ、なんて失礼なことを彼は思う。

 けれどやっぱり、彼女の語る夢は変わっていなかった。半ばにして途絶える物語を一つでもなくすために、好きな作品が悲しき諦念の先に終わってしまわないように、ライトノベル業界がもっと盛り上がるように――彼女は、ひたむきに行動していた。行動力お化けとはよく言ったものだが、自分で作家先生方に声を掛け、公式アンソロジーを出してしまうのなんて、なるほど行動力お化けそのものに思われた。そんなことを考えて、彼は少し笑った。机の上には、国立まで出向いて買った本人のサインが入ったアンソロジーが置かれていた。

 次に彼が開いたのは、彼女の声がただループし続けるという、二分半の短い動画だった。彼は当時画面に向かっていた自分と、そして狼狽える彼女を思い出して微笑んだ。

 続いて開いたのは、大手サブカルチャー関連商品販売店でイベントをやったときの、記念の配信だった。彼も池袋まで出て、当日そのイベントに参加していた。ちょっと早い時間についてしまって、時間を持て余し、しかしそれは同じ彼女を推す人と話す契機きっかけともなった。

 ――それも、二年近く前のことなのだ。

 そのまま見ていたら自分の声が聞こえてきて、彼はそっと動画一覧に戻った。

 それから、同じ販売店のブックフェアでのタイアップ記念の配信アーカイブを開いた。

 ふにゃふにゃと話す彼女は、嬉しそうにお店のブックフェアの特典や、準備された自分のコーナーの写真を紹介していた。自分の好きなものを語る彼女は、きらきらと輝いて見えた。

 彼はサイトを閉じて、また別のサイトを開いた。それは、クリエイターをお金で支援できるというサービスを展開しているサイトだった。

 月々百円しか支援する余裕が無い、というのは彼の悩みの一つだった。漫画一冊分、或いは文庫本一冊分、その上には単行本一冊分の値段を月々支援することが出来るコースが用意されているのに、彼はそれが出来なかった。でも、それでも微力でもいいからと、考えた結果のことだった。――それでも、なのだ。少しでも、自分には出来ないことを頑張る彼女を応援したかった。

 彼は、一度溜息を吐いてから、一番新しい投稿のところにマウスカーソルを移動させた。

 そこには、就活のために書いたライトノベルの企画が書かれている。気合を入れて書かれたそれは、それを見ただけで読んでみたいと思うほどだった。

 アンソロジーの没タイトルも見た。上から列挙されるタイトル案たちは、いつか読んでみたいと思うものばかりだった。

 ――けれど。

 彼はふと思い至る。それは、彼女自身も折に触れて言ってきたことだ。

 就活が終わって、就職したら、彼女の活動はますます減ってしまうかもしれない。

 そうしたら、自分の好きが一つ減ってしまうんじゃないかと、彼はほんの一瞬だけ思った。それから、すぐに思い直した。

 夢を追いかけているのだ。

 彼女はもとより、夢を追いかけてバーチャルユーチューバーを始めた。だから、仮令その活動が著しく減ってしまうのだとしても――


「俺たちの夢、叶えて欲しいよなぁ」


 寂し気なアパートの一室に、あまり綺麗とは言えないその声が発せられ、そしてどこかへ消え去ってしまう。

 本心だった。

 彼は、心の底から彼女のことを応援していた。だからこそ、彼女の夢を、自分がかつて諦めた夢を叶えて欲しかった。

 息を吐いて、彼はパソコンを消した。画面に映っていたは消え、真っ暗い画面には自分の顔が反射していた。

 ――俺も……

 頑張らないといけない。そう思った。

 彼は立ち上がり、缶に残っていた安い酒を一気に飲み干した。そして、まだ明けぬ外を見やる。


「いつか、本山らのプレゼンツのライトノベル、読んでみてぇなぁ」


 クラッカーはちょっとやりすぎたな。彼はそう思って、口から飛び出した紙をクラッカーと一まとめにして、ビニール袋の中に落とした。

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本山らのと誰かのゆめ 七条ミル @Shichijo_Miru

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