第3話 名前がトイレにつきました!

 トイレの施工が完了した翌朝。

 眠っている間に事件は起こった。


「……?」


 体の上に、何か重たいものが乗っている。

 しかも、何故か下半身が寒い。


「……んぅ」


 寒さから逃れるため布団をかぶり直そうとするけど……そもそも布団がなくなっている。

 代わりに何か生温かい感触があり、


「やばっ」


 急に鈴を鳴らしたような声が聞こえた。

 次の瞬間、下半身に危機感を覚え――がばりっと起き上がる。


 すると、


「あ、おはよう……えっと、すぐ済ませちゃうからね?」


 俺のパジャマを擦り下ろし、パンツを脱がそうとする銀髪の美少女が困り顔で笑っていた。



「こんのっ――変態スケベンキっ!」


 びくりっと彼女の肩が震える。

 だが、こわい思いをしたのはむしろこっちだ!


「おい、さっき何しようとしてたんだよ」

「何って、朝の一番搾りを直飲みしようかと……やっぱりコップに注がなきゃダメ? お行儀悪い? 人として?」


 こてんっと可愛らしく首を傾げる美少女は、中途半端に人間社会へ順応し始めていた。


「そうだな……コップを使わなきゃ――違うわっ!」

「ひゃっ――」


 小動物みたいな悲鳴をあげて見せるが、この女に反省する気配はない。


「な、なに熱くなってんのよ! ちょっとおしっこ飲も味見しようとしただけでしょ?」

「そんな『一口ちょうだい、って言っただけ』みたいな言い方はやめろ! あれは間違いなく同意なしのだよ!」

「なっ――どこがなのよ! 大失敗だったじゃないっ!」

っ――」


 と、お互いの頭へ血が上り始めた頃……ふとした思い付きで、俺は突然冷静になった。


「……なあ、――名前ってあるのか?」

「……ないけど、それがなんなのよ」



 今更だが、このスケベンキに名前をつけようと決めた。

 ロボットに些細なきっかけで感情がインストールされるみたく、この変態にも羞恥心の芽生えを期待したのだ。




「まさかこの歳でこんなのを買うとはな」


 本屋から家に帰り次第、彼女へ『こどもの名付け辞典』なる本を渡す。

 すると、少女は首を傾げてみせた。


「なにこれ?」

「人間の名前がたくさん載っているありがたい本だ」


「ふーん?」


 自分の名付けに興味はあるようで、細い指がペラペラとページをめくり始める。


「いいか? くれぐれも名前にしろよ?」


 俺がてきとうにつけても良かったんだが、三流アイドルみたいな名前しか浮かばなかった。

 それに、自分から本をめくる彼女の姿は……何か良い兆候に思える。


 このままいけば、案外すんなりと人間社会に順応してくれるのではないかと思った時、


「ねぇ」


 少女は、雑に本のページをつまみあげながら言った。


「よめないんだけど……これ」 


◇ ◇ ◇


 結局、俺がだいぶ手伝う形で彼女――陶子とうこの名前は決まった。


 ――便座。

 ――雲子。

 ――都依麗。


 と、中々トイレから離れなかった彼女へ『トイレは陶器で出来てるんだから陶子でいいだろ』と助言した瞬間の俺を褒めてやりたい。


 それからというもの、


「ねぇねぇ、もう一回書いてよ」

「なぁ、もぅ、いいだろぉ」


 陶子は俺に、永遠と紙へ自分の名前を書くよう迫ってきた。


「……」


 じぃっと自分の名前を見つめたかと思えば、彼女は急にこちらを向き、


「ねぇ、かわいい?」


 と俺が書いた『陶子』という字を見せつけてくる。

 だが、


「ああ、かわいいかわいい」


 と、適当に相槌を返すだけで、


「え、えへへ……そっか。名前って、なんかいいね」


 なんて、便器らしからぬ柔らかい表情を浮かべるものだから――ひどく調子が狂った。

 



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