第10話 険しい道を越えた先に

「ナターシャ様。この先に沢がありやした。そこで一度休憩を取りやしょう」


「それもそうですね。では、モレーノにも沢で休息を取るから周辺の物見を頼んでおいてください」


「了解しやした」


 ダレンは単騎先を急ぎ、モレーノへナターシャからの伝言を伝えに向かった。


「まったく、ダレンったらナターシャ様への態度というものが分かっていないんだから……」


「そのようなこと、私は気にしていませんし、昔からダレンはああではないですか。むしろ、礼儀正しいダレンなど想像すら出来ません」


 クレアも脳内で礼儀正しいダレンの様子を思い浮かべてみる。すると、自然と笑いがこぼれていた。あまりの可笑しさに笑えて来るのである。


「確かに、ダレンが礼儀正しいと調子が狂いますね……!」


「そうでしょう?ですから、あのままにしておいてやってください」


「はい、そうします」


 しばらくしてクレアの笑いも収まったが、再び沢でダレンの顔を見た時に笑いだしたので、詳細を知らないダレンもどうして笑われているのか分からず困り顔であった。


 ともあれ、モレーノとダレンが先行して見つけた沢は、左右に切り立った崖がそびえており、伏兵を配置するにはもってこいの地形であった。それゆえに、周囲の偵察を行なわせたのは正解であった。偵察してみれば伏兵もいないということで、みなが安心して休息をとることができていた。


 結局、1時間ほど沢で水を飲んだり、仮眠を取ったりしているうちに1時間ほどが経過。


 あまりのんびりはできないため、行軍を再開した。沢を抜け、しばらく進むと、地形は進行方向右に切り立った崖がそびえ、左には底の見えない谷が口を大きく開けている。


 二列では通ることも出来ない狭さのため、やむを得ず一列へと隊列を組みかえ、足元に気を付けながら慎重に進んだ。特に、騎馬武者たちは馬が暴れ出さないように上手く操りながら進む必要があるため、少し進むだけでも疲れが出ていた。


 このように進むのは困難を極めたが、何時間もかけて細い崖路を通過、無事に木々の生い茂る森林へと足を踏み入れた。


 木漏れ日の心地よい赤と黄の空間を抜けていくと、開けた場所に出た。目的地のシムナリア丘陵地帯である。


 見渡す限り、薄茶色をした草が生えた、なだらかな起伏や小山。これこそまさに秋の丘陵地帯であることを感じながらも、ナターシャは敵部隊を手近な丘から探すことにした。


 しかし、その丘を越えると、真下には雲霞のごとき大軍が鎧がこすれるガチャガチャという音とザッザッザッという足音が幾重にも重なり、地響きのような振動と共に耳へと届く。


 まさか、こんな間近を敵が通っているとは思わず、ナターシャもさすがに焦りを覚えた。高低差のある地形のため、進む場所によっては敵の場所が死角になっていることもある。


 予め、そのことを想定した上で動くべきだったと唇を噛む。だが、ナターシャが動く前に敵に動きがあった。


「やぁやぁ、そこの部隊はそも敵か味方か!合言葉を答えるなり、軍旗を見せて、敵か味方かを示されよ!」


 1人の騎馬武者からの声に、ナターシャはごまかさず、ヴォードクラヌ王国の旗を振らせた。これに敵も驚いた様子で、すぐさま臨戦態勢に入っていた。


 だが、それよりも早くナターシャは最後尾のアマリアの部隊から来た道を引き換えさせていた。


 ――とにかく細い道へ!来た道へ戻れ!


 指揮を執る立場の者は急いで、兵たちを森林地帯へと下がらせた。幸いにも、森林を抜けてすぐの場所だったため、今なら敵に攻撃を受ける前に撤退できる。


 アマリアの指揮の下、新兵5百が下がり、続いてクライヴ率いる3百の兵が後退する。ナターシャ率いる先頭の部隊もクレアたちが懸命に指示を飛ばして撤退させることに成功していた。


 1人丘の上に残ったナターシャであったが、全部隊が森へと下がったのを確認し、一気に来た道へと丘をかけ下る。


 一目散に逃げだした敵に唖然とするフレーベル帝国兵たち。しかし、そんな彼らを率いて追撃に当たる武将が現れた。


「あれは敵の斥候部隊に違いない。なんとか捕縛し、敵の情報を得る必要がある……!皇帝陛下は戦場において情報を大事になさる御方。敵兵を1人でも捕らえれば、褒賞に預かれるぞ」


 この将軍の言葉に兵士たちの戦意は高揚した。士気を褒賞をちらつかせて向上させたこの男、ヴィクター・エリオットという。


 帝国三将の1人に数えられるほどの将軍で、誰もが認める帝国最強の戦士であった。


 ヴィクターは配下のミハイルとアナベルの両名を呼び寄せ、参謀のミハイルに2万の歩兵を率いて後に続くことと皇帝にこの一件を伝えるように命じた。


 自身はアナベルと共に騎兵3千を率いて、ナターシャたちの追撃に当たった。背中の大剣を引き抜き、自らが先頭に立って追撃していく。


 アナベルはヴィクターに代わり、部隊の指揮を取りながらヴィクターに続いた。ミハイルもヴィクターから命じられたことの手配を済ませ、歩兵たちを指揮して進軍を開始。


 こうして二万を超える大軍に追われる羽目になったナターシャたちであったが、そこまで恐れることはないとナターシャは感じていた。


 アマリア隊、クライヴ隊に続き、ナターシャ隊が撤退していく中、敵の追撃の勢いは激しさを増していく。


「クレア、先にみなを連れて撤退していてください」


「ナターシャ様、何を……!」


「私自ら殿しんがりし、撤退の時間を稼ぎます」


 クレアも反論したいところであったが、敵の騎兵が目の前に迫っている以上、議論を交わす暇もなかった。なにぶん、ナターシャの部隊の大半は歩兵なのである。騎兵に追われたのでは、逃げ切れない。


 それゆえに、一番腕の立つナターシャ自身が敵を食い止めることを決断したのだ。クレアもそれ以上に良い手が見つからなかった。


「分かりました。ナターシャ様、ご武運を!」


 クレアは采配を取り、部隊の兵たちを撤退させていく。ナターシャはそれを見送り、来た道を引き返した。


「来たれる奴は何者だ!名を名乗れ!」


 ヴィクター率いる騎兵3千は追撃の足を止め、目を見張った。道を塞ぐのは黒馬にまたがり、黒鎧を身に纏う女騎士。黒いのは馬と鎧だけでなく、剣、髪、瞳に至るまでが黒で統一されている。


「私はヴォードクラヌ王国の将軍、ナターシャ・ランドレス。そちらの大将の名を伺っても?」


「オレはフレーベル帝国の将軍、ヴィクター・エリオットだ」


「ヴィクター・エリオット……あの帝国三将の?」


「いかにも。だが、もう押し問答はよかろう。そなたの勇敢さに免じて名は記しておくゆえ、安心して逝くがいい」


 ヴィクターがそう言い終えるなり、敵の騎兵がナターシャへと殺到。早々にナターシャを斬り、敵の追撃を再開できると見ていたヴィクターたちであったが、戦いは予想もしない方向へと展開し始める。


 殺到した先頭の騎兵は一番槍であったが、渾身の突きをナターシャに見切られ、回避されてしまう。もう一撃と思った時にはもう、その首が落ちていた。


 その後に続いた2騎が左右から挟撃するも、瞬きするうちに討ち取られてしまう。1人は胴を境に上と下に分かたれ、残る1人は頭頂部から馬の背に至るまでを真っ二つにされてしまったのだ。


 そんな討ち死にを遂げた3人はヴィクター率いる騎兵の中でも、腕の立つことで有名だった者たちばかり。そんな猛者3人が存分な働きもせず斬り殺されたとあっては、敵も思わず躊躇してしまうのであった。

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