第6話 仮初の平和

 トラヴィス・ハワードの投降より3カ月。ヒメネス領はホルヘの統治に落ち着きを見せ始めていた。


 反乱平定により、ナターシャは戦功大なりと称され、ホルヘのとりなしもあり、ホルヘ配下の将軍からヴォードクラヌ王国の将軍に取り立てられた。さらに、ホルヘからも軍政において頼りにされるなど、着実に信頼を得つつあった。


 そこでナターシャは反乱平定直後にホルヘに進言し、南方の守りをトラヴィスへ一任させた。それにより、トラヴィスは自らの弟であるローランにシドロフ王国方面、ローランの息子ノーマンにプリスコット王国方面の守りを任せた。そして、トラヴィスは愛娘のセシリアをフォーセット王国方面の守りに派遣した。


 これにより、南方守備軍はトラヴィスたちハワード家の統括となり、各方面の守備もトラヴィスの血族で固められたことになる。


 この状況に危機感を覚えたのは、ホルヘの養子のコリンであった。


「親父、ナターシャを信頼してはいけねぇ。あの女は危険だ!」


 再三そのことを父に訴えたが、すべて退けられ、挙句の果てに父から疎まれたコリンは本国へと送り返された。


 ナターシャが反乱計画を実行する上でもっとも厄介な相手としてクライヴからも忠告を受けていたのは、かのコリンであった。ナターシャたちにとって邪魔な存在が1つ消えた。これはホルヘの運命に暗い影を落とすこととなる。


「姉さん、コリンが本国に送り返されたそうだ」


「ええ、それはクレアからも報告を受けています」


「トラヴィス殿の指揮する南方守備軍1万は我々から連絡があれば、いつでも動かせると連絡も来ています」


「セルジュ殿もマリアナ様と共に港町に身を隠されたまま、機会を窺っている。長く潜伏するのも難しいでしょうから、なるべく早く決行したいものですが……」


 このように城の外側には協力者が多い。それはナターシャが反乱平定の際に、協力を取り付けたためである。しかし、城内にいる協力者はクライヴとクレアしかいない。


 母親であるシャノンもいるにはいるが、ナターシャの屋敷に留まっているだけで、何か宮中で職に就いているわけではないため、協力者とは呼べない。


「ナターシャ様、城内に協力者がいない現状を何とかしないと……」


 クレアの言うことはナターシャも分かっている。だが、協力者など、見つけようと思って見つかるものではない。むしろ、都合よく見つかった場合は怪しみ、疑う必要すら出てくる。


 ナターシャもロベルティ王国軍に顔なじみは多いが、ヴォードクラヌ王国軍には知り合いなど1人もいない。だからこそ、手間取っているのだ。


「……悩んでいても仕方ありません。今日は久方ぶりに全員休みが取れたのですから、3人で出かけましょうか」


 部屋の中で悶々としていても仕方ない。ナターシャの意見に、クライヴもクレアも大いに賛成だった。


「以前、トラヴィス将軍の説得に向かう道中に休日の話をしましたが、クライヴは一日中部屋に籠もって読書、クレアはボードゲーム、私は武器を磨いたり、日当たりの良い場所で眠ることと答えましたが……」


 3人に共通の趣味があれば、迷わずにその趣味に興じるところ。だが、3人とも趣味が異なり、休日の過ごし方も違っていた。だが、基本的にはインドアであることは共通していた。


 そうして話し合った結果、普段ならしないようなことをしようという話になり、クライヴが以前に家臣のモレーノから聞いた見晴らしの良い山に登ろうという話に決まった。その山はここ、テルクスの南に位置し、標高400メートルほど。


 頂上までの道のりも緩やかであるため、騎馬で向かうことも可能。登山好きのモレーノは徒歩で勾配のキツイ道を登るらしいが、3人は馬に乗り、楽なルートで行くことで合致したのだった。


 ちなみに、モレーノはクレアの養父であり、キバリス渓谷へドミニクと共に出陣し、敗戦以来、行方知れずとなっている。また、モレーノの実の子であり、クレアの義弟にあたるダレンも同じく行方が分かっていない。


 ともあれ、3人は行くと決めたらすぐに支度を整え、騎馬で山の頂上へと出発した。馬に乗りながらの道のりであるため、馬蹄の音と共にのどかな時間が過ぎていく。


 風に揺れる草木の音、鳥たちのさえずり、旅人たちの何気ない会話。実に平和な風景であり、その平和な風景にこそ酔いしれそうであった。


 そうこうしているうちに頂上に到着し、3人は酒を片手に見晴らしの良い場所へ腰かけた。


「姉さん、こうしてみるとテルクスもかなり復興しつつある」


「ええ、丘の上からであれば町が復興し、活気を取り戻しつつあるのが容易に分かる」


「ナターシャ様。反乱を起こして国を再興したとして、この町はまた戦場になるんですよね……」


 クレアの何気ない一言。何の悪意もないその言葉がナターシャの良心を刺し貫いた。反乱を起こして、マリアナを女王としてロベルティ王国を復興させる。


 確かに、臣下としては正しい道なのは間違いない。だが、騎士として、将軍として正しいのは王国の民を守ること。決して、民を傷つけることではない。


 それを今、改めて実感した。そして、反乱への決意は鈍ってしまった。いっそ、このまま協力者など見つからなければ……


 そう思ってしまうほどに、ナターシャの心に迷いが生じていた。


 結局、陽が西の空に沈むまで3人は山から町を眺め続けた。陽が沈み、町に人々が夜闇を照らし始める一連の景色を観覧したのち、3人は下山した。


 暗い山道を下る3人の気持ちも、闇にとけ込んでしまうほどに暗かった。そんな暗く長い道のりを踏破し、町へ戻った時。町明かりは眩しく思えてならなかった。それは人々の生きる明かり。命の灯火。一時はこの灯火は消えてしまった。


 それが数カ月の時をかけて戻りつつある。それをまた戦争で暗闇へ沈めようとしているのだ。


 ナターシャはそんな思いが反芻し、その夜は眠ることができなかった。


「カルメロ様……私がやろうとしていることは間違っているのでしょうか?」


 その口にした想いに帰ってくる言葉はない。死者の声が届く術があるなら、意味はあっただろうが、そんな術は存在しない。


 ナターシャは自室に立てかけてある愛剣ヴィントシュティレを見つめる。漆黒の鞘に収められた漆黒の刀身。


 カルメロからナターシャにこそ相応しいと与えられた一級品の剣。世間一般では魔剣と称される代物で、王国が滅亡した時も、その後も肌身離さず携帯している。


 ふと、その愛剣がカルメロに代わって、自分に道を示してくれるのではないか。そう考えたが、そんな甘い考えを振り払った。


「フッ、このように弱気では漆黒の戦姫が聞いて呆れる。冥土でカルメロ様もお笑いになっていることでしょう」


 ナターシャは反乱計画について、諦めるか、諦めないかを改めて考えを整理した。その末に至った答えは。


 ロベルティ王国を復興させるためにも反乱を諦めるわけにはいかない。だが、民衆とこの町を巻き込まずに済むやり方もきっとある。ならば、その方策を見つければいい。


 何も急いで決起し、民衆を巻き込んだり、事を仕損じることこそ危うい。急いては事を仕損じるとはよく言ったものだ。


 そう思いながら、一睡もできなかったナターシャの下に、朝日は昇った。


「さて、今日も一日頑張るとしましょう」


 意気込み新たに、ナターシャは部屋から一歩を踏み出すのであった。その顔は朝日のように晴れ晴れとしていた。

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