第5話 亡国の姫君

「……マリアナ様?」


 その名を口にするなり、我に返ったナターシャらは膝をつき、こうべを垂れた。


 マリアナと呼ばれた少女は、ナターシャの主君であり、ロベルティ王国の王子カルメロの娘にあたる。


 すなわち、マリアナ・ロベルティこそロベルティ王家の直系にあたり、次代女王の座にあった者である。年はまだ8つだが、顔つきや立ち居振る舞いからは8歳などとは思えない気品を感じさせる。


「ナターシャ、数カ月ぶりに会うわね。健勝だったかしら?」


「はい。むしろ、元気など売りたいほど余っております」


 ナターシャはカルメロに仕えていることもあり、マリアナと会って話をする機会が多かった。ナターシャが非番の日などは、カルメロから遊び相手を任されることもしばしば。


 そんな二人は数カ月ぶりに顔を合わせ、互いの無事に表情を緩めた。そこへクライヴからセルジュへ、疑問の言葉が投げかけられる。


「セルジュ殿、マリアナ様は……」


「うむ、王宮に敵が攻め入った時、陛下と共に玉座の間におられた。無論、私も職務でその場にいたのだが」


 王宮にヴォードクラヌ王国の兵が攻め入った時、国王パヴェルは王宮の地下からマリアナだけでも逃がすようにセルジュに命じた。


 セルジュは国王夫妻も共に逃げることを勧めたが、『一国の王が民や兵を置いて逃げるわけにはいかない』と言って聞かなかった。ゆえに、セルジュは一族郎党と共にマリアナを護衛しながらここ、港町へと逃れてきた。


「そうでしたか。落城時にマリアナ様の姿が見えぬので、行方を案じておりましたが、本日この場で対面が叶い、嬉しい限りです」


 マリアナの無事を自らの目で確認したナターシャは自分が考えている事のすべてを打ち明けた。


 まず、時をおいて必ず王城をヴォードクラヌ王国から奪回するつもりでいること。次に、そのために王家に所縁ゆかりのある者や王国内での影響力が強かった人物を押し立てるつもりでいること。


 すなわち、ヴォードクラヌ王国への反乱の計画を暴露したのである。クライヴとクレアの両名も知らされていなかった事実に、その場に居合わせた者全員が驚愕する。


 しかし、ナターシャの考えに反対する人間など、誰一人としていなかった。むしろ、早く打ち明けて欲しかったとクライヴは不満を述べたほどである。


 ともあれ、反乱軍の総大将としてマリアナを立てられるうえに、王国内で顔の広いセルジュも無事だったうえに、協力を取り付けることができたのだ。それだけでもナターシャにとっては満足のいく成果であった。


 さらに、セルジュからトラヴィスへ宛てた書状を預かることとなり、東での反乱は一先ず平定完了と相成った。


 セルジュたちと話をしたりしたものの、結局アマリアの兄であるジェフリーと会わずじまいに終わった。


「姉さん、ジェフリーと会わずに済んだのは良かったね」


「ええ、私としてもあの人は苦手ですし、向こうもそれは同じでしょう」


 誰であれ、人は嫌いな人間に会わなかった時、ホッとするものである。今のナターシャの心情はまさにそれであった。セルジュから聞いたところによると、セルジュの妻アリソンは息子のジェフリーを伴って、海沿いの屋敷へと向かったとのことだった。それゆえに、会うことはなかったのだ。


 海沿いの屋敷には共に逃げてきた貴族の夫人や令嬢がおり、今ごろはお茶会でもしているころだろうとセルジュは言っていた。


「ナターシャ様。次は南方に向かわれるようですが、セルジュ様同様、『時期を見て反乱を起こすからそれまで堪えてほしい』と伝えるつもりですか?」


「もちろん。今はホルヘ率いる大軍が駐屯していますが、時間が経てば我々への警戒心も薄れてくるはずです。その時を待って、ヴォードクラヌ本国からの増援が来る前に片をつけてしまわなければなりませんから」


 すなわち、兵力差がギリギリの状態では長引く恐れがあり、そうなればヴォードクラヌ本国から大軍が送り込まれ、鎮圧に乗り出してくるのは火を見るより明らか。それを避けるためには、とにかく短期決戦しかないのである。


 ナターシャのその想いが実を結ぶようにするためには、とにかく兵力を損じないこと。そのためにも、トラヴィスとの話し合いも穏便に収める必要があるのだ。


 そうして馬上でホルヘたちに聞かれてはならない話はほどほどに切り上げ、後は次の休みはどうしたいかなど、親しい者同士で話すような事を話しながら移動していった。


 そうして東方の港町を出発してから4日。ようやくトラヴィス率いる南方守備軍の拠点のあるブンテル高原へと足を踏み入れた。


「そこの部隊、止まれ!その方ら、何者の隊であるか!」


 ……さすがに見回りの小隊に見つかってしまった。が、ナターシャはホルヘの命令でやって来たが、戦うつもりがないことを伝え、兵たちにも武器を地面に放らせ、敵意がないことを示した。


「我々の用向きはあくまでトラヴィス将軍と話をするため。将軍にナターシャが来たとお伝え願います」


 小隊長もナターシャの名を聞くなり、馬上から飛び降り、頭をこすりつけながら無礼なことをしたと謝罪の言葉を述べた。


 さすがに大げさだが、ナターシャとしてもかえって申し訳ない気持ちとなり、彼を立ち上がらせ、彼の小隊にトラヴィスのいる拠点までの案内を頼んだ。


 そこからはトントン拍子に準備は進み、無事にトラヴィスとの面会が叶った。トラヴィスは身に大鎧を纏い、いつ戦になっても良いように身支度を整えていた。


「トラヴィス将軍、まずはご無事で何よりです」


「ああ、お前たちも無事で良かった」


 しばらく横たわる沈黙。されど、それは嫌な沈黙ではなかった。


「ナターシャ、クライヴ。2人には謝らなければなるまい」


 トラヴィスは悲しみと悔しさをにじませた表情で、頭を下げた。突然の謝罪に戸惑うナターシャとクライヴだったが、なんとか顔を上げてもらった。


「本当にすまない。俺たちの軍がもっと早くキバリス渓谷に到着していれば……」


 トラヴィスは悔やんでいた。あの時、少しでも進軍速度を速めていれば戦友ドミニクを死なせずに済んだものを、と。そして、2人で共に戦っていれば、ヴォードクラヌ王国軍を撃退し、今もロベルティ王国は健在であっただろうに、と。


 悔やんでも死んだ友は生き返らないし、滅んだ祖国は蘇らない。だが、せめて死んでいった者たちの無念だけでも晴らしたい。そう考え、に屈しない道を選んだ。


 胸の内を明かされ、ナターシャとクライヴは自分たちは侵略者に屈しこそすれ、まだ心の底から屈服し、諦めたわけではないことをトラヴィスに伝えた。


 そんな2人の話を真摯に受け止めるトラヴィス。彼は最後に大きな決断を下した。


「分かった。俺もヴォードクラヌ王国に投降しよう」


 もちろん、ナターシャの計画通り、時期が来れば反乱を起こすつもりではある。が、ここで対陣し、日々を虚しく過ごすよりは……


 そう考えてのことであるが、何よりナターシャの考えがトラヴィスにも賛同できる内容であったこと、セルジュからの書状でマリアナの無事を知ったことが大きな割合ウェイトを占めていた。


 この日、トラヴィスがヴォードクラヌ王国に降伏したことで、東と南の反乱は平定され、一時的にではあるがホルヘ統治の下、ヒメネス領こと旧ロベルティ王国領に平和が戻ったのであった。

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