第2話

「ジュリアス。まだ着かないのか」

 毛深く強靭な脚で積もった雪に蹄を深く突き刺し、重厚な馬車を前へと進める。切り拓いた森林で、轍の跡以外残らない白雪の地に轍を重ねる馬車のその内側で、寒さが余程堪えたらしく、カルノ師はいつものタイトな薄着から耐寒性の優れた服で全身を固め、覇気の無い震え声で問いかけた。

「ニコライさんの話ではあと3日前後らしいです」

 僕の代わりに堪えたテラさんの言葉に顔を強ばらせる。

「御者をやるニコライさんの方が寒いんですから」

「……飯にしよう。火を焚けジュリアス」

「雪の上にですか?馬車を停めるようニコライさんにお願いしてきます」

「馬鹿野郎!この寒さで外に出られるか!馬車の中でいいだろ」

「この馬車も馬も国からの借りもんですからね、無茶言わんで下さいよ」

 黒馬から伸びた手綱を引きながら、それだけ言って通気口を閉める。

 耐寒性の馬車は内観だけ一回り小さく作られた3人がけだが、優れた体躯のカルノ師にはあまりにも狭かった。

 僕達は慣れない寒さに一日中体力と精神力を奪われ続けて1週間、保存食は硬度を増す中、再びのニコライさんの通気口からの言葉に外を見やると、木材を組んで立てられた柵が顔を出し、漸く目的地に到着した。

 前方180度に広がる柵に囲まれた林立する木材の建物群は、越えてきた雪道を思えば文明の力強さを感じさせる。

「この地にまだ名前は付けとりませんが、みんなホワイトホープと呼んどります。魔素の濃い森林を数年かけてやっとここまで――」

「長い。寒い。ジュリアス行くぞ」

 ニコライさんは駐屯基地へ歩き出したカルノ師の背を見て葉巻に火をつけると、馬の背を撫でて馬を小屋に送った。


 §§


「カーッ!美味い!」

 火酒を一口で呷り、喉の焼ける痛みにカルノ師が唸り声をあげる。ここはバーでも自宅でもなく、ホワイトホープ南門駐屯基地。そこで4人は小さなカップに波々注がれた火酒を一杯飲まされる。ここは小さな子供でさえ蒸留酒で体を暖めるらしかった。喉体の芯から指先にかけてポカポカと暖まっていく感覚と強い酩酊が心地よく、脳が少し放心してしまう。

「ユリウス様も良い飲みっぷりですね」

「ありがとう」

 カップを返却しながら口ひげを蓄えた壮年の駐屯兵に返事をする。

 ニコライさんを先頭に、漸くホワイトホープへと足を踏み入れた。外から見えたように5メートル程の正方形の建物が6つ程寄り集まり、碁盤の目のように規則正しく置かれ、屋根のおかげで通路に雪はなく、湿った地面とキラキラと輝く小さな石が散らばっていた。連なるその1つに身を少しかがめながら入り、二重扉を抜けると、室内は木の匂いと暖かな風で充満し、室内は外見よりも狭く、小さかった。内壁は数十センチおきに立てられた木の板が柱の役割をしており、その間から枝葉が覗く。

 壁に沿うように取り付けられた50センチほどの段差に座るよう促すと、それは収納家具らしく、上板を外して鉄のポットを取り出す。道具が少ないのはこうしたスペースに全て収まっているのだろうと、自分の座りを確かめた。

 ニコライさんは再び外に行き、四角く切り出された氷を詰めて戻ってきた。

「上着はテキトーに壁に掛けて下さい」

 中心に立つ柱に擬態するように埋め込まれた暖炉に付けられた2つの扉を開け、下に薪を焚べ、上にポットを入れる。

 床に落ちた薪を強く押し入れると、手袋を外し、焚き火に手をかざす。

「当然ですけど、ここで使う水は全て雪から取りますんで、水には困りませんよ。でもしっかり沸騰させないとお腹壊しますから、ここに居る間だけは覚えといて下さい」

 僕は金属の蓋の内側でパチパチと音を立てる薪の煙がどこに向かっているのか気になった。外から見た時は平屋で煙突も無いため、全ての家屋で薪を燃やしているとすれば、空がいくら白んでいようと目立たないはずがない。質問すればニコライさんは微笑を浮かべた。

「ははは。不思議でしょう?この柱は中を刳り貫いていましてね、そこを上って屋根に積もった雪を解かすんです。溶けた水を裏手のタンクに溜めて精製するんですがね――」

 ピーっと籠り気味の高温がニコライさんの言葉を遮る。ニコライさんは収納から取り出した4つのカップに室内に干された葉を入れ、手袋をつけなおしてからポットの湯を注いでいく。

「お待たせしました。ここ特産の紅茶です」

 それは1部が赤く染まった緑色の雑草を煮出しただけの見た目をしているだけで、とても紅茶とは思えなかったが、鮮明で花の甘い香りにそそられ、恐る恐る唇をつける。

 熱さに直ぐ口を離したが、唇に残った香りが口腔を充満し、フルーティーさに驚きと安らぎを感じた。

「こりゃ美味い」

 火酒を呷って以来口を開かなかったカルノ師はここで漸く正気と元気を取り戻したようで、一息に飲み干すとカップを差し出しおかわりを貰っている。

「お話の続きですが、ここは水の精製過程にある特別なことをしているんです。それは何故でしょう?」

「どうしてそう思われた?」

「馬車を降りて雪を踏みしめた時、足先が少しピリピリとしたんです。だから試しに舐めてみたら、魔素が多い気がしました。あとこれはただの知識ですが、その焚べる木に覚えがあって、午角ごかくですよね。螺旋状に皺を付ける樹皮を特徴とし、魔力の多い方向に幹をうねらせて育つ樹。その用途は魔素から魔石を生成すること。道中に落ちてた小さい魔石は掃除するのが面倒だったんですかね。辺境の雪国に主要な道とはいえ轍の跡が残っていたのは不思議でしたから、魔石の輸出と考えれば一応自分の疑問に筋は通りました。どうでしょう」

 ニコライさんは長々と語り終えた僕を真剣に見つめ、手を叩き賛辞する。

「完璧にこの街の主要部を見透かされてしまった。その通り、この街は魔石を輸出することで成り立っています。駐屯所も家も道も塀も技術も、輸出の支援という名目で国から借りている。さすがユリウス家当主!素晴らしい観察眼ですよ。しかし、まさか足から魔素を感じるとは思ってもみなかった」

「1番の手がかりはずっと黙っていたカルノ師ですよ。寒さに弱いから静かにしているのかと思えば、目だけは修行の時と同じでしたから。とりあえず何か来ないかと注意していたのが功を奏しました」

「ははは!そう謙遜なさるな。まあ今すぐには出来ませんが、後々精製工場をご案内しますよ。それが陛下への報告に必要でしょう?それと、この家の構造もお教えしますよ。まあ、15代目グナウス様が設計されているので聞いた事があるかもしれませんがね」

「じい様がですか、初耳でした。じい様は作る事が得意なのに僕には少しも教えてくれなくて」

「ここの連中はグナウス様に感謝していますから、誰だって喜んで教えてくれますよ」

 ニコライさんは空になった僕のカップに紅茶を注ぎながらそう言った。改めて礼を言いつつカップを受け取ると、カルノ師がパンっと太ももを強く叩いた。

「ジュリアス、十分休んだなら仕事だ」

「はい!」

 壁に掛けた上着を取り外へと出る。行きましょうというテラさんの声にドアの前に立っているカルノ師を振り返ると、カルノ師は片手をあげた。どうやらここで待つつもりらしい。

「ここ二日ずっと晴れていましてね、ここじゃ太陽を二日も拝めるんは珍しいことです。何が言いたいかというと、雪が解けて足元が滑りやすいんでお気をつけて」

 ホワイトホープ周辺の伐木されきった午角の群生地は、午角の破片が雪に埋もれ、道中いくつも微小の魔石が落ちている。午角は成長する過程で、魔素に含まれる成分を養分とし、その副産物として魔石が精製される。転がっている魔石は自然に生成されたが、使い道がないからそのままにされたのだろう。

 平野を一歩抜ければ、ホワイトホープ一帯とは異なり人の手が全く入っておらず、午角やその他の植物が縦横無尽に繁茂し、その面持ちを形成している。

「たぶん、アレですね。アレが一番大きな標的です」

 テラさんが腰を落とし身をかがめ進むのを、その足跡をこぼさないように追従する。目線の先は少し開け、そこ鎮座するのは毛深く全長3メートルもない大型の獣だった。戦いの前に相手を見くびるのはご法度だが、このレベルならわざわざ勇者爵を勅命で南部から呼び戻す必要はなかった。名を売る時期は終わったと思っていたが、そうではなかったのだろうか。いや、今は終わらせることだけを考えよう。僕は右手を左胸のシェムハザにあてて祈る。そうするだけで、雪とは違う光のかけらが次第に周囲に集まり、やがて掌に一本の剣が現れる。光剣「ジュリアス。まだ着かないのか」

 毛深く強靭な脚で積もった雪に蹄を深く突き刺し、重厚な馬車を前へと進める。切り拓いた森林で、轍の跡以外残らない白雪の地に轍を重ねる馬車のその内側で、寒さが余程堪えたらしく、カルノ師はいつものタイトな薄着から耐寒性の優れた服で全身を固め、覇気の無い震え声で問いかけた。

「ニコライさんの話ではあと3日前後らしいです」

 僕の代わりに堪えたテラさんの言葉に顔を強ばらせる。

「御者をやるニコライさんの方が寒いんですから」

「……飯にしよう。火を焚けジュリアス」

「雪の上にですか?馬車を停めるようニコライさんにお願いしてきます」

「馬鹿野郎!この寒さで外に出られるか!馬車の中でいいだろ」

「この馬車も馬も国からの借りもんですからね、無茶言わんで下さいよ」

 黒馬から伸びた手綱を引きながら、それだけ言って通気口を閉める。

 耐寒性の馬車は内観だけ一回り小さく作られた3人がけだが、優れた体躯のカルノ師にはあまりにも狭かった。

 僕達は慣れない寒さに一日中体力と精神力を奪われ続けて1週間、保存食は硬度を増す中、再びのニコライさんの通気口からの言葉に外を見やると、木材を組んで立てられた柵が顔を出し、漸く目的地に到着した。荷馬車がいくつも並べられた場所に馬車を停めると、ニコライさんの誘導で

 前方180度に広がる柵に囲まれた林立する木材の建物群は、越えてきた雪道を思えば文明の力強さを感じさせる。

「この地にまだ名前は付けとりませんが、みんなホワイトホープと呼んどります。魔素の濃い森林を数年かけてやっとここまで――」

「長い。寒い。ジュリアス行くぞ」

 ニコライさんは駐屯基地へ歩き出したカルノ師の背を見て葉巻に火をつけると、馬の背を撫でて手綱を門兵に任せ小屋に見送った。


 §§


「カーッ!美味い!」

 火酒を一口で呷り、喉の焼ける痛みにカルノ師が唸り声をあげる。ここはバーでも自宅でもなく、ホワイトホープ南門駐屯基地。そこで4人は小さなカップに波々注がれた火酒を一杯飲まされる。ここは小さな子供でさえ蒸留酒で体を暖めるらしかった。喉体の芯から指先にかけてポカポカと暖まっていく感覚と強い酩酊が心地よく、脳が少し放心してしまう。

「ユリウス様も良い飲みっぷりですね」

「ありがとう」

 カップを返却しながら口ひげを蓄えた壮年の駐屯兵に返事をする。

 ニコライさんを先頭に、漸くホワイトホープへと足を踏み入れた。外から見えたように5メートル程の正方形の建物が6つ程寄り集まり、碁盤の目のように規則正しく置かれ、屋根のおかげで通路に雪はなく、湿った地面とキラキラと輝く小さな石が散らばっていた。連なるその1つに身を少しかがめながら入り、二重扉を抜けると、室内は木の匂いと暖かな風で充満し、室内は外見よりも狭く、小さかった。内壁は数十センチおきに立てられた木の板が柱の役割をしており、その間から枝葉が覗く。

 壁に沿うように取り付けられた50センチほどの段差に座るよう促すと、それは収納家具らしく、上板を外して鉄のポットを取り出す。道具が少ないのはこうしたスペースに全て収まっているのだろうと、自分の座りを確かめた。

 ニコライさんは再び外に行き、四角く切り出された氷を詰めて戻ってきた。

「上着はテキトーに壁に掛けて下さい」

 中心に立つ柱に擬態するように埋め込まれた暖炉に付けられた2つの扉を開け、下に薪を焚べ、上にポットを入れる。

 床に落ちた薪を強く押し入れると、手袋を外し、焚き火に手をかざす。

「当然ですけど、ここで使う水は全て雪から取りますんで、水には困りませんよ。でもしっかり沸騰させないとお腹壊しますから、ここに居る間だけは覚えといて下さい」

 僕は金属の蓋の内側でパチパチと音を立てる薪の煙がどこに向かっているのか気になった。外から見た時は平屋で煙突も無いため、全ての家屋で薪を燃やしているとすれば、空がいくら白んでいようと目立たないはずがない。質問すればニコライさんは微笑を浮かべた。

「ははは。不思議でしょう?この柱は中を刳り貫いていましてね、そこを上って屋根に積もった雪を解かすんです。溶けた水を裏手のタンクに溜めて精製するんですがね―――」

 ピーっと籠り気味の高温がニコライさんの言葉を遮る。ニコライさんは収納から取り出した4つのカップに室内に干された葉を入れ、手袋をつけなおしてからポットの湯を注いでいく。

「お待たせしました。ここ特産の紅茶です」

 それは1部が赤く染まった緑色の雑草を煮出しただけの見た目をしているだけで、とても紅茶とは思えなかったが、鮮明で花の甘い香りにそそられ、恐る恐る唇をつける。

 熱さに直ぐ口を離したが、唇に残った香りが口腔を充満し、フルーティーさに驚きと安らぎを感じた。

「こりゃ美味い」

 火酒を呷って以来口を開かなかったカルノ師はここで漸く正気と元気を取り戻したようで、一息に飲み干すとカップを差し出しおかわりを貰っている。

「お話の続きですが、ここは水の精製過程にある特別なことをしているんです。それは何故でしょう?」

「どうしてそう思われた?」

「馬車を降りて雪を踏みしめた時、足先が少しピリピリとしたんです。だから試しに舐めてみたら、魔素が多い気がしました。あとこれはただの知識ですが、その焚べる木に覚えがあって、午角ごかくですよね。螺旋状に皺を付ける樹皮を特徴とし、魔力の多い方向に幹をうねらせて育つ樹。その用途は魔素から魔石を生成すること。道中に落ちてた小さい魔石は掃除するのが面倒だったんですかね。辺境の雪国に主要な道とはいえ轍の跡が残っていたのは不思議でしたから、魔石の輸出と考えれば一応自分の疑問に筋は通りました。どうでしょう」

 ニコライさんは長々と語り終えた僕を真剣に見つめ、手を叩き賛辞する。

「完璧にこの街の主要部を見透かされてしまった。その通り、この街は魔石を輸出することで成り立っています。駐屯所も家も道も塀も技術も、輸出の支援という名目で国から借りている。さすがユリウス家当主!素晴らしい観察眼ですよ。しかし、まさか足から魔素を感じるとは思ってもみなかった」

「1番の手がかりはずっと黙っていたカルノ師ですよ。寒さに弱いから静かにしているのかと思えば、目だけは修行の時と同じでしたから。とりあえず何か来ないかと注意していたのが功を奏しました」

「ははは!そう謙遜なさるな。まあ今すぐには出来ませんが、後々精製工場をご案内しますよ。それが陛下への報告に必要でしょう?それと、この家の構造もお教えしますよ。まあ、15代目グナウス様が設計されているので聞いた事があるかもしれませんがね」

「じい様がですか、初耳でした。じい様は作る事が得意なのに僕には少しも教えてくれなくて」

「ここの連中はグナウス様に感謝していますから、誰だって喜んで教えてくれますよ」

 ニコライさんは空になった僕のカップに紅茶を注ぎながらそう言った。

 改めて礼を言いつつカップを受け取ると、カルノ師がパンっと太ももを強く叩いた。

「ジュリアス、十分休んだなら仕事だ」

「はい!」

 壁に掛けた上着を取り外へと出る。行きましょうというテラさんの声にドアの前に立っているカルノ師を振り返ると、カルノ師は片手をあげた。どうやらここで待つつもりらしい。

「ここ二日ずっと晴れていましてね、ここじゃ太陽を二日も拝めるんは珍しいことです。何が言いたいかというと、雪が解けて足元が滑りやすいんでお気をつけて」

 ホワイトホープ周辺の伐木されきった午角の群生地は、午角の破片が雪に埋もれ、道中いくつも微小の魔石が落ちている。午角は成長する過程で、魔素に含まれる成分を養分とし、その副産物として魔石が精製される。転がっている魔石は自然に生成されたが、使い道がないからそのままにされたのだろう。

 平野を一歩抜ければ、ホワイトホープ一帯とは異なり人の手が全く入っておらず、午角やその他の植物が縦横無尽に繁茂し、その面持ちを形成している。

「たぶん、アレですね。アレが一番大きな標的です」

 テラさんが腰を落とし身をかがめ進むのを、その足跡をこぼさないように追従する。目線の先は少し開け、そこ鎮座するのは毛深く全長3メートルもない大型の獣だった。戦いの前に相手を見くびるのはご法度だが、このレベルならわざわざ勇者爵を勅命で南部から呼び戻す必要はなかった。名を売る時期は終わったと思っていたが、そうではなかったのだろうか。いや、今は終わらせることだけを考えよう。僕は右手を左胸のシェムハザにあてて祈る。そうするだけで、雪とは違う光のかけらが次第に集まり、やがて掌に一本の剣が現れる。

 そして、その大型獣を包み込むほど巨大な肉食動物の前足が大型獣の肉体を圧し潰し、その肉塊を口へ引きずり込み、口周りを血糊でべたつかせた。森に寝そべるその体躯は擬態とは無縁の貫禄で、腹に何本も午角を模したうねる紋様を浮かべていた。

「光剣カリバーンじゃ歯が立たないかもしれないな……」

 既に目はこちらを向き、完全に捉えられ、あくびもはさんでいる。外見は虎に近いネコ科、体の柔軟性や俊敏性は体格にそれほど影響はない。ならばと堂々頭部に歩みを進める。なるべく前足に捕らえられないよう、剣の間合いに入れずとも、初撃さえ躱せられればどうにでもなる。

「久しいな、ユリウス」

 その声に足を躊躇する。王国から届いた指令書には、森に現れる魔獣の調査と間引き、ホワイトホープの現状報告だったはずであり、これは明らかな考慮事態だ。

 獣は口周りの血を舌で舐めとりながら体を起こした。

「何を呆けておるのだユリウス。見逃してやった恩を忘れたか」

 戦いは敵の両前足による挟撃によって開始した。

 雪が掬い上げられ、霙が降り落ちる。獣は合わせた前足を開き、中を確認する。

「がはは!おらんな。おらんが、おるな」

 その声を受け、ネタを曝すように僕は一筋の光から身を出す。こちらを凝視する獣に向けて剣先を掲げ、剣の一閃がその獰猛な巨獣の目を射抜かんと迫るも、その分厚い瞼に阻まれ一片の切創も残らない。

 その戦いに血はなく、その力量に変化もなく。八合の打ち合いと三度の受け流しはたった十秒の間にジュリアスの精魂を果てさせた。体表に滴る汗が瞬時に凍り視界不良に陥ったジュリアスは躱すこと能わず正面から尾の追撃を受け、手を離した光剣は宙に舞う最中に光となって消えた。

「老いたかユリウス!早くお前のあの剣を見せよ!」

 その𠮟責は明らかにジュリアスに向けられたものではなかったが、しかし確実にジュリアスに届いていた。ジュリアスは雪に転がされたまま先程より強くシェムハザを意識する。ジュリアスに握られた拳から熱く宿る生命の息吹は青光した剣を形作り、その剣は光剣カリバーンより分厚く、鋭く、重く、1メートルを越えた辺りで折れていた。名は聖剣エクスカリバー。この世に現存する最高峰の両刃剣が顕現する。

「出たかエクスカリバー!奴の子を殺した剣!」

 巨獣は足を苛つかせて興奮し、寝そべりの態勢から足を浮かせて立ち上がる。午角の複雑な森の一地帯に大幅な空白の拡大をもたらす。下半身は霊長類のように足の五本指が截然とし、想定した猫科の巨獣はジュリアスの目に尻すぼみの影像を写している。

 ジュリアスは半身を下げ聖剣を引きずるように最下段に構えたまま、焦点の合わない目を縦横無尽に駆けさせた。

「光よ!信仰よ!」

 巨獣は機会を図るように低く身を浮かすと、両前足の地ならしで雪を巻き上げ、虎の筋力と猿の身軽さでもってジュリアスに肉薄した。

 雪に乱反射した聖剣の閃光は眼前に迫る巨獣の視界を潰し、反射で繰り出された前足が届くより早く身を翻したジュリアスの大上段からの聖剣がその剣身を自ら大きく振るわせ、巨獣の脳天から尾の先端までもを寸部ん違わず等分する。

 振り切った聖剣は直ぐに光へと変わり、ジュリアスは地面に膝をついて肩を大きく振るわせた。

「やっぱりエクスカリバーは重たいな」

 テラさんは巨獣から広がる血を避けて僕を立たせると、共にホワイトホープへと戻った。その道すがら、いつの間にか剥ぎ取っていた巨獣の魔石の包みを提げていたのを見た。


 §§


 カルノ師はへたり込む僕を見て直ぐにエクスカリバーを抜いたことを見破った。カルノ師曰く顔に出ているらしい。

「行くぞ、馬車で休め」

 また小さなカップ一杯の火酒を飲み干しホワイトホープを出た。火酒が口内の傷に染みてひどく苦しかった。







 魔石……大小様々あるが、かつては魔物の体内でしか精製されないとされていた。15代目グナウスの研究により、特定の条件下でのみ人工で精製可能となった。

 組み小屋……15代目グナウスが設計した魔素の多い雪国専用の小屋。断熱、保暖、魔石収集の3つの要を持つ小屋。

 光剣カリバーン……ユリウスがかつて使っていた剣の一振り。ユリウスの放つ光速の剣戟は触れた個所を焼き尽くす光度で、焼き払った雪原一体を砂漠にした逸話が存在する。

 聖剣エクスカリバー……ユリウスがかつて使っていた剣の一振り。魔王討伐の際に使用したとして、広く語り継がれている。

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哲学者魔王 三上 獬京 @kohakuno

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