第1話

 軋む板を伝って船を降り大きく息を吸う。酔いが微かに引いていくのを感じながら腰に差した獲物の具合を見る。緩く通された紐はミズウチ師に締めてもらった時と変わらず安定感がある。

「ジュリアス!ぼうっとしてたら荷降ろしの邪魔になる!」

 港には多くの荷物が続々と運ばれて来ており、僕たちが乗っていた船も例外なく大量の荷物を下ろしていた。

 身長は僕よりも数十センチ高く、横幅は2倍以上ある大柄の男。筋骨隆々で力仕事を生業にしていそうな風格と強面は子供なら怯えて逃げてしまう。

 先に降りていたカルノ師は腰に手を当て、お付きのテラさんに布に巻かれた大きな物を背負わせている所だ。テラさんがよろけた所に背を手で支えて荷物の柄の部分に手を伸ばそうとすると、丁重に断られた。

「修行修行!」

「カルノ師はそう言っていつも押し付けてますよね」

「ジュリアスは細かい!本人にやる気があるんだ、気にすんな。そんな事より迷宮の方、早くしろよ」

 僕の胸に人差し指で念を押したカルノ師は薄手のシャツを海風にあおられながらしっかりした足取りで港を後にした。


 §§


 僕の家は勇者爵を賜る唯一の家であって、嘗て魔王を倒しせしめたユリウスの子孫であるから、代々の当主はその代とユリウスの名で呼ばれることが一般だ。かく言う僕もジュリアスではなく『16代目ユリウス』と呼ばれる事が多い。

 世界的に有名なユリウスの名と違い、当主の顔は広まっていないのでギルド等の公であれば勇者爵の証明たる公約の指輪で事足りるが、道に迷い、親切でない人に当たった時はいつも困る。例えば今の状況など。

「兄ちゃん、一銭も持たずに歩くなんて奴はよっぽどのガキじゃない限り居ないんだよ」

 道の端を歩いていたら突然腕を引かれ、されるがままに歩いていたら路地を挟むように使い古し汚れた服の青年が数人。――当たり前にカルノ師程の体躯は無いにしろ――恵まれた肉体の持ち主が複数、対して僕は緩い服を着ているものの、縦も横も敵わない。これまでの経験から指輪は意味ないし、地元は顔が通っていたりカルノ師と居たからどうにかなったが、知らぬ土地で一体どうしようかと考えていた所、僕よりも背の小さい男の子に声をかけられる。

「お前、困ってんのか?」

「……えっと、そこそこ?」

「金払えば助けてやるよ」

 動きやすい半袖短パンに、腰巾着の12、3才の男の子は短い木の棒を片手に持った恐れ知らずの仁王立ちに興味が湧いてしまい、つい

「助けてくれるならなんでも買うよ」

 と言ってしまった。

「じゃあ伏せてろ」

 彼は歯見せて笑顔のまま木の棒を前に突き出した。そして素早く彼の腕に魔力の奔流が走り、先から放たれた虹色の不定形の玉はしゃがんだ僕の頭上を通り過ぎた辺りで光を撒き散らすように爆発した。

「いっちょ上がり」

 爆発にのされた男たちを傍に、腰に手を当てて格好をつける彼を見て僕は言った。

「ごめんね、僕今お金持ってないんだ」

 彼の名前はエドと言うらしかった。

 ギルドに行けば預けてあるからと道案内を頼み、共に通りを歩いている途中、名前を聞いても機嫌損ねてしまったのか教えて貰えないが、すれ違う人や店の人達が彼をエドと親しく呼ぶのだ。

「ほら、あれだ」

 エドの指さす先にハンターズギルドの看板と特徴的な猛禽類の翼が見える。

「エド、ありがとう」

 エドの機嫌が治らないまま受付で手袋を外し中指に付けた指輪に魔力を通す。

「勇者爵家の者です。カルノ・ロッテが預けたものを取りに来ました」

「ようこそイーラムへお越しくださいました。すぐにお持ちしますので、少々お待ちください」

 緊張で強ばった頬を無理やり緩めるような笑顔で奥に通される。

 部屋には机と椅子2組しか無く、簡素だった。

 数分の会話の後、用事を終えてもまだギルドの外で待っていてくれたエドに硬貨袋から5枚の硬貨を取り出す。

「ここまでの案内もありがとう」

「………太っ腹だな。また困ったことあったら頼れよ」

 エドは仕事も終わりと踵を返して早足で来た道を戻って行く。僕はエドの心中を察する事が出来ないが、明らかに自分が恵まれていた事は理解出来た。

 それ故にエドと同じ方に足を向け、さっき声をかけてきた店に寄り道しながらカルノ師の泊まる宿に向かった。

 看板にはなんと書かれていたか、外国の言葉で分からなかったが全体的に歴史ある木造の宿屋だ。ノックをすればテラさんが迎えてくれる。カルノ師は既に部屋に居らず、テラさんに注いで貰った紅茶で一息つく。

「カルノ師は?」

「未定です。お昼からなので明日には恐らく」

「なら、明日から迷宮に潜るのでその旨、カルノ師に伝言お願いします」

「分かりました。坊ちゃんお気をつけて」

「うん。テラさんも」


 §§


 廉価迷宮とは、端的に言うと神ではない者の手によって造られた迷宮だ。

 ユリウス勇者爵家は王命により国に迫る魔を祓う為に国内を巡っており、廉価迷宮の踏破も含められている。

 初めてでは無いが、前回はほとんどカルノ師の後を着いて行くばかりで碌に戦っていない。ゆえに廉価迷宮に入る事さえ実質初めてと言って差し支えない。

 だが迷宮の進み方も壊し方もしっかりと叩き込んだので後れを取ることは無いと信じたい。

 受付に着いてすぐ、ギルド職員に2階の一室に通される。

「こちらの方々が本日イーラムギルドがご紹介するメンバーのお2人です」

 青年を通り過ぎた様相の男は薄手の服にシワを付けながら丁寧に腰を折り礼をして、敬虔な信徒のように両手の指先を重ねた。

「よろしく頼む、ユリウス家のご子息殿。私はアルベルト、こちらは妻のエイアです」

「僕は16代目ユリウスのジュリアスです。よろしくお願いします」

 アルベルトに合わせて腰を深く折ってお辞儀をすると彼は真一文字に引き締めた。

 イーラムの廉価迷宮。その二階層にて、上層で胡坐をかいた者たちを駆逐して行くスピードに前回攻略した廉価迷宮を思い出した。

 カルノ師程大きな武器を振るう訳でも無いがアルベルト水のように流れる槍さばきは急所を的確に狙い1秒をも惜しむように次に次にと足を前に進める。

 3人の連携も覚束ないまま未だ閉じられた扉の前に立つ。初めてこの扉が開いた時、イーラムを拠点とする優秀な冒険者が数多く命を落とし、その後も興味本位で覗いた中堅冒険者の一団が壊滅したりといつしか近づくことさえ禁忌とされた。

 扉をの前に立つ警備を受け持った冒険者の1人は生唾を飲み込んで戦場に立つ訳でも無いのに武者震いを始めた。アルベルトは静かに鉄扉を押し開けた。先程の冒険者が興味津々とばかりに身を乗り出して漂う腐った血の匂いに顔をしかめた瞬間、戦場は敵の奇襲にしてその冒険者を連れ去り、アルベルトは長い尾に横から打たれ壁に全身を打ち付け血反吐を吐き、ここまで綺麗に保ってきた装具を砂埃で汚した。

 2つの尾を持つ猫のような大型の獣はジュリアスを見て尾を顔の近くで持ち上げ、連れ去られた冒険者の頭を装備ごと噛みちぎる。

獣は喉を野太くふるわせ血を噴き出しながらよたりと地面に倒れ込んだ。

静寂の中尾を振る獣以外動く者は誰もなかった。


§§


アルベルトは苦痛に目を開き周囲を見渡しながら記憶を辿った。そして寝転ぶ獣とそれを凝視するエイア達を見て手近に落ちていた槍を杖に立ち上がる。ジュリアスが目だけでこちらを見てすぐ直った。

全員が武器に手をかけながらも抜けずにいる。そのことを知ってか知らずか獣はぶらついた冒険者の腕を嚙み千切り、噴き出して顔についた血を舌で舐めとる。

アルベルトの中で怒りが急激に沸き上がり一直線に走る。

「止まれ!アルベルト!」

制止するエイアを意に介さず目玉目がけて一心に槍を振るう。

大きな目玉がギョロリと睨み迫る尾がアルベルトの首に達する時、肉薄する尾を防いだのはジュリアスの突き刺した刃だった。

獣は両目でジュリアスを捉え踏ん張るように身を浮かすが耳元での爆発で反対に身をすくませ曝した隙に槍の穂が目玉を繰り抜く。





§§


 乱れた呼吸を精一杯に整えながら片手剣の柄を握り直す。半身を下げた構えはおよそ270°の視界を確保し、敵一体を相手取るには過分な構えだとアルベルトは思った。しかしそれは仲間を庇うための策であり、廉価迷宮の手解きとして雇われておきながら守られる立場にある男が評価することなど無礼千万だ。

 アルベルトはジュリアスと対面した時、若いとただそれだけを思った。戦士として戦いに身を置いて15年、ペーペーだった頃に産まれた男は、英雄の覇気と言うべきものは一切見受けられず、柳のような体は迷宮に潜ればたちまち崩れ落ちるだろうと。だがどうだ、何度も潜った廉価迷宮に苦戦を強いられ、剣盾を失い足も折れ、死の淵にある自分と比べてどれほど立派に立っていることか。

 ジュリアスの剣戟の合間にエイアが魔法で牽制を仕掛け身動きを封じる。

 帰還を果たした一行が使徒の祈祷によって傷を癒した後、ジュリアスはアルベルトの座る前で片膝をつき頭を下げた。

「僕が不甲斐ないばかりにアルベルトを傷つけてしまった。本当に申し訳ない」

 アルベルトはその姿に面食らい、普段なら軽口も叩こうという場面だが、その時は白けようとも口を開くことが出来なかった。

 心做し片足を引きずるように家に着くと、先に戻っていたエイアがちょうど水場から出るところだった。小柄な背丈は魔法使いとして適当で、

「戻ったか、今回も治療費がえらく高くついた。だからいつもいつも気を抜くなと言っとるのだ」

「すまん」

 アルベルトの塩らしい反応にため息をつくと髪に巻いていたタオルを投げつけ、家に入る。水場で顔を洗い流すと受け取ったタオルでゴシゴシと拭う。

 曖昧な決意のまま、タオルを首にかけ家に入ると玄関には今日使った装備一式が固めて置かれていた。迷宮に潜っては傷を治し、それでも残った傷跡は灯りを乱反射して鈍く光っていた。

 アルベルトは首にかけたタオルを石碑にそっとかけた。


 §§


 四足の敵は明確にこちらを認識し、背にいる2人を気にしながら戦う事は困難を強いられるだろう。その事を改めて考えると自分の不甲斐なさに嫌気がさす。父上なら軽くいなしただろうし、じい様なら木の枝で足りただろう。だからこそ、初代ユリウスの再来と言われたじい様からシェムハザを奪った自分の弱さが恥ずかしい。背面に立つエイアに助力を頼み、敵をしっかり見据える。

 体を小刻みに前後させ、前足が忙しなく動き、弱ったアルベルトに今にも飛びかかろうとしている。

 相手も行動すべてが予備動作にも思え、この停滞を崩せないでいる。

 そして初めに動いたのは、エイアだった。

 エイアの腰に仕込まれた短小の杖は魔法使いとして持ってしかるべき平凡さであり、特別な意匠もない滑らかな木の棒は、しかし、エイアの適切な詠唱と狙いによって拳大の火球は寸分違わず頭部に命中し、敵はその熱量に顔を反らし、両眼を瞑る戦闘において決定的な隙を見せ、ジュリアスの高速の肉薄は敵の両前足を根元から切断する成果を上げる。

 敵の醜い悲鳴を受けながら首を落とし、朱殷をその身に浴びる。

 弱い弱いと誰かが自分を笑っている声がする。父上にもじい様にも聞こえない声。弱い僕にだけ聞こえる声。

 なぜ庇った?なぜ足を止めた?なぜ構えを変えた?なぜ剣を振らなかった?なぜなんだ?お前は強い、なのになぜ弱い振りをするんだ?

 じい様の穏やかな叱責が飛ぶ。

 じい様、僕はじい様の期待に応えられるほど強くはないんです。これが僕の精一杯なんです。そんな簡単に誰でも守れるほど僕は強くないんです。

 だから、この胸にあるシェムハザも本来は僕のものではないんです。

「ジュリアス!」

 カルノ師の声に意識を急速に覚醒させる。

「ジュリアス起きろ、出るぞ」

 目を覚ますと、カルノ師の首から下げられた一雫の宝石が輝いているのが目に入った。

「は、はい!すぐに荷を―――」

「―――テラが終わらせた。行くぞ」







 廉価迷宮……神話時代以後に造られた迷宮。神話時代の迷宮に比べて規模が著しく小さい。

 シェムハザ……勇者の証とも言う。初代ユリウスの加護。ユリウス家の正統継承者にのみ与えられる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る