第三幕 隠しきれぬ笑み
「
俺と
俺と藍蓮との修練は、模擬とは言え真に迫ったもの。獲物は稽古用の木製のものではあれど、互いに殺気すら放ち打ち合うため、本来であれば、容易に間に割って入って声をかけられるような生易しい雰囲気ではない。
ましてや、文官で気の小さい陸土は、俺が使用している時には修練所に近付くことすら日頃することは無かった。
「陸土殿、些か無礼ではありませんか?」
藍蓮は、突如入った邪魔に、大きく距離を取り、眉間に皺を寄せ陸土へと言い放つ。視線は此方に向けたまま。本来の戦場であればこのような一瞬の隙も命取りになる。それが解っているからこそ、いつも冷静な藍蓮が珍しく声を荒げていた。
「まぁ、良い。藍蓮」
未だ構えたままの藍蓮に、宥めるように声をかけ、こちらから先に木の剣を下ろしてやる。
「あの陸土が闘いに割り込んでみせる程に慌てているのだ、余程のことが起きたんだろう」
嫌味たらしくそう言ってやると、藍蓮はすぐさま苛立ちを収め、その場でかしづいた。自身が仕える相手が逸早く負けを認めるように武器を下ろしたのだから、そうするのが自然のことだった。
「して、陸土。出立とはどういうことだ?」
「はっ、はい!それが
陸土は、俺と藍蓮とのやり取りに、今自分がいる場所が修練所であることを思い出したようにおどついてそう言った。
「父上が負傷?どういうことだ?」
木の剣をその場に投げ出し、入口近くの陸土の元へと寄る。
「それが、その……白蛇河の貿易船の船上にて交戦し、傷を負われて河へと転落したとのことで……」
俺が近付くと、まるで蛇に睨まれた蛙のようにボソボソと陸土は答える。その声はどんどんと小さくなっていく。
「船上で交戦?河へと転落?相手は!?」
「それが、たった今花家より使者が……ですから、詳しいことは私めにも……」
小さくなっていく声は、聞きづらさを増して、俺は尚詰め寄るかたちになる。そうなれば、尚のこと、陸土は萎縮していく。
「陸土殿、父は……
俺が投げ捨てた剣を拾い上げた藍蓮が埒のあかない話を続ける陸土へ向け、訊ねる。
俺を差し置いて口を挟むなど、藍蓮は日頃しない。なのにも関わらずそんなことをしたのは、父親を心配しているというよりも、苛立ちを見せ始めた俺を落ち着けるためといった意味が強いようだった。
「
父上、炎黒は、俺の言に唆され、数日前に
現在の世は、
そんな最中、父は完全なる私情で木家へと赴き、人探しを行っていた。
本来なら、今の時勢に、一国の主ともあろう人間がそんな個人的な用で城を空けるなどもってのほかな話だが、流石は忠義に厚い火群といったところか、そのような身勝手な行動にもしっかりと付き従っていたようだ。
「その……とにも角にもまずは出立のご準備をされますよう……私めは、
陸土は、そう言うと、語尾まで言い切らぬ内に踵を返し、逃げるように出ていった。
「
判然としない通達に苛立ちを隠せぬ俺に対し、藍蓮はいつも通りに汗を拭うための布を差し出す。
今更になって、俺は修練用の防具すら外していないことに気付く。
思わず自嘲し、鼻を鳴らした。
国主の嫡男として、威厳と冷静さを保っているつもりであったが、思わぬ報に動揺していたらしい。
後れ馳せながら防具を外し藍蓮へと渡す。
「藍蓮、お前はどうする?」
説明の言葉を付け加えずに、俺は言った。
「お供いたします」
藍蓮は、余計な問いをすることなく、簡潔に答えた。
「解った。では、陽が暮れる前には立つ」
「はっ」
それだけを伝え、修練場を出る。
使者や陸土に根掘り葉掘り訊いたところで知れることは少ない。それならば、とっとと父上のいる花家の城へ赴くほうが早い。
花家の城までは、馬を駆れば明日の朝には着けるだろう。ぞろぞろと護衛を伴って行く必要もない。藍蓮だけいれば充分だ。反対する者がいるかもしれないが、聞く耳を持つ必要もない。なんせ、今この城においては俺が最高権力者なのだから。
まずは、湯浴みをし汗を流そうと、風呂場へと向かう。俺が修練場にいたのだから、既に風呂の支度は出来ているだろう。
それにしても、父炎黒は、決してこけおどしの人間ではない。一国の頂点に立つ身として相応しい武力と知力を兼ね備えた人間であるのは確かだ。傲慢で独裁的ではあるがその点に関しては尊敬に値すると思っている。
側近である火群においても、将軍という位に違わぬ実力の持ち主でありながら、父に忠義を尽くしているのも父のその知と勇に惚れ込んでいるからこそだろう。
その二人をもってしても力が及ばず、あまつさえ父に怪我を負わせ、河へと転落させるとは――――――
それがもし、俺が木家の領地にて出会ったあの童、
多少腕はたつようだったが、父に及ぶとは到底思えなかった。
けれど、翡翠色の瞳の女を探しに向かったはずの父が交戦し、負傷した―――。
風呂へと向かう道すがら、俺は口角が勝手に上がるのを抑えきれなかった。
血は争えないというやつか……
上がった口角に自嘲が混じり、確実に笑みへと変わっていく。
翡翠色の瞳を持つ少年、陽月。どうにか手元に置いておけないものか……
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