第二幕 忘れられぬ面影


 鬱蒼としているのに、どこか心休まるような静けさに包まれた竹林。

 街から離れたその場所にある、庵とも、邸とも言えるような佇まいの建物。

 その場所こそが、わたし達が苦労し、三月もかけて辿り着いた目的地だった。


「夜分に失礼する!くうせん殿!」


 そうりゅうの掠れた声が宵闇に吸い込まれ、門戸をたたく音が木霊する。

 一歩後ろに下がって待つように言われたわたしは、ぼんやりと月に照らされた建物の大きさに見合わぬ矢鱈に強固な門をぼんやりと眺めていた。


「こちらに空茜殿はおらせられるか!?」


 何度も、声を張上げ、蒼龍は門戸を敲く。

 力強く、優しかった声音は、今や旅の疲労と数日間の睡眠不足のせいで、苦しげなひび割れたものになってしまっている。

 けれど、空っぽになってしまったわたしはその声に申し訳ないとすら感じられなくなっていた。


「どなたか……」


 三度、口を開くが、息がきれたように言葉が途切れ、蒼龍はむせる。言葉が途切れても尚、蒼龍は戸を敲くのは止めなかった。

 建物は、門構えだけでなく、周りを塀で囲まれている。これだけ声をかけ、戸を敲いているのだから、例え門と建物との間の敷地に距離があったとしても、中に人がいるのであれば、気付いてもいいはずだった。

 遠く離れた地から、こうして遥々、沢山のものを失って尚、この場所を頼りの地として訪れたというのに、全て徒労だったのではないかという不安がじわじわと心に攻め寄せてくる。

 諦めることなく拳を門戸へと打ち付ける蒼龍の後ろで、わたしは思わず頭を垂れた。

 その時―――――


「このような夜更けに、どちら様ですか?」


 声が聞こえた。

 戸を叩き付ける衝撃音の隙間を縫うように響く、静かだけれど朗々とした声。

 聞き覚えのある懐かしい声だった。嗄れてはいなかったけれど、その声は長老様の声に至極良く似ていた。


「おじいちゃん……?」


 思わずその姿を求めるように顔を上げるが門は閉まったままだった。わたしの呟きは誰にも届くことなく夜の闇に吸い込まれていった。


くうせんいん殿ですか!?」


「…………」


「あ……俺は、らいそうりゅうと申します。くうせいちょう殿に頼まれ、麒麟山きりんざんの隠れ里より参りました」


 こちらの言葉を促すような無言の圧力に、蒼龍が名乗る。


「そうですか……」


 それでも、門はまだ開かない。

 長老様に比べれば、まだ若い張りのある声。蒼龍は声がよく似ていることに気付いていないようだったけれど、何年も近くで聞いていたわたしには分かる。戸の向こう側にいる人が空茜寅、その人であることが。


てんげっを連れて参りました」


 一向に門が開かないことに焦れたように、蒼龍が言った、その途端――――


 バンッ!


 堅牢であろう門が弾かれたように開いた。

 重そうな門戸がそのような勢いで開くとは思いもよらず、わたしは勿論、蒼龍ですら身構えることが出来なかった。


天仙てんせん……様……」


 門の向こうにいたのは、空家の血筋の証である橙に近い茶の髪と橙色の瞳をした男性だった。

 男性は、帯刀こそしているものの、既に夜着を纏っていた。武人というよりは、知的な雰囲気の細面。背が高く、髪は後ろに撫で付けるようにしているものの、肩にかかる程の長さがある。


「あ……」


 真っ直ぐに此方を見詰める眼差し。

 伸びた背筋や白髪の無い髪は違えど、その姿には声だけではなく長老様の面影があった。

 自然と胸が熱くなり、涙がこみ上げ、思わず声が漏れた。


「空茜殿でしょうか?てんびゃくらんようしょうの子、天月華をお連れしました」


 わたしへと一心に視線を向けたまま、無防備に立ち尽くす男性へ向け、蒼龍がそう伝える。

 その言葉に合わせるように、わたしはずっと被ったままだった外套を下ろした。


「確かに……その髪、その瞳……てんびゃく様の子の証……間違いない……確かに……」


 男性はよろよろと、何度も頷きながら此方へと歩み寄ってくる。

 その言葉と表情には感動とも、悔恨ともとれる色々な感情がない交ぜに浮かびあがっていて、本当のところはどんな風に思っているのかは判らなかった。


「どうぞ……どうぞ、お入りください」


 こうして、わたし達の旅は終わった。

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