第一幕 旅路の果て
酷い有り様だった。
俺の心を占めているのは、「彼女を無事に送り届ける」という使命感と、そして、「逃げ出してしまいたい」という情けない感情だけだった。
「
「…………はい」
声をかけても、月華の反応は鈍い。
鬱蒼とした木々に囲まれた林の中。焚き火の脇に据えた枕木に腰かけた月華の視界は何も映していないようだった。
「休んだほうがいい、今日はずっと歩き通しだったのだから、疲れているだろ?」
「…………はい」
言われた通りに、月華は枕木から緩慢に立ち上がり、その脇に横になるために簡素な敷物を敷く。
以前であれば、月華は俺に気遣いの言葉をかけたのではないかと思う。だが、今の彼女がそれをしないことをおかしいとは微塵も感じなかった。
勢いを失い始めた焚き火へと、集めておいた薪を投げ入れる。
今の俺には、せめて火を絶やさぬ様にすることくらいしか出来なかった。
船を降りてから、三日が経過した。
あの日、橙馬を救い上げることなく対岸へと辿り着いた船から、意識を失った月華を抱えて俺は逃げるように降りた。
追いかけてきていた船は、いつの間にか元の岸へと引き返した様で、その姿を視認することは出来なかった。それにも関わらず、俺は戻ることも、立ち止まることも出来ずに、ただその場から立ち去った。
そこまで命からがらの想いで漕いで来た船乗りに達にすら何も声をかけてやることすら出来ず、獣のように槍で牽制し、ひたすら逃げた。
全てが正しくないことを心が叫んでいた。
簡易的な寝床を整えると、月華はこちらに背を向けるようにして横になり、身を守るように掛け布団代わりの外套を引寄せた。
せめてもの想いで、月華が生家から持ってきた物は抱えてきたものの、俺と橙馬が分担して持ってきた旅をするための荷は全て船に置いてきてしまっていた。
宿を取ることも可能ではあったが、路銀も充分とは言えず、また町や村に入れば追っ手に見付かる恐れもあるため、出来るだけ町や村から離れた場所で野宿を続けていた。
本当なら、俺も月華も休む必要があっただろう。体を休め、全力で悲しみ、悼む必要があっただろう。
しかしそんな猶予を天は与えてはくれず、俺達は心も体も疲弊したまま、感情に蓋をして進むしかなかった。
船を降りた後、俺は
意識の無い月華をまずは安全なところで休ませるべきなのだろうが、そんな場所がこの世の中にあるとは思えず、また、彼女が目を醒ました時に、なんと声をかければ良いのかも判らず、俺は彼女を抱え、人気の無い道を選んで、星灯りを頼りに走り続けた。
息が切れ、足がもつれ、沢の流れる暗い森の中で崩折れるように立ち止まった時には、もうかなり夜が更けていた。
どことも分からぬ森の中で、俺はやっと月華を下ろし、がぶがぶと沢から水を飲み、顔を洗った。
しかし幾ら水を飲んでも乾きは癒えず、いくら顔を洗っても頬を伝う涙は止まらなかった。
月華が目を醒ましたのは、俺の涙が枯れ、疲れが身体を満たし、心が麻痺した明け方のことだった。
火がパチンと爆ぜる。
俺も少しは眠らなくてはならない。三日間うつらうつらする程度で、ろくに眠れていない。俺が倒れてしまえば、月華は寄る辺を失ってしまう。少しでも身体を休めなくてはならない。
けれど、ここ三日、いくら目を瞑ろうとも脳裏に月が浮かぶ湖の畔での
だから、野宿が続き、火の番をすることはある意味俺にとって好都合ではあった。
「……橙馬、俺はどうすればいいんだ?頼むから、教えてくれよ…………」
堪えきれずに、漏れた問いに、答える者はもういない。
その独白を、月華に聞かれるかもしれない、そんなことすら、俺は気にすることが出来なくなっていた。
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