第二十二幕 夕陽に染まる

 突然の月華の動きに、オレは驚きを隠せなかった。

 まさか、大人の男を相手に武器で脅しをかけ、その上自分が国主の血筋だと見栄をきるなんて、今までの月華ならまず考えられない行動だった。

 いつもだったら、まず間違いなく止めただろう。だけど、闘ったことによる高揚か、頭も体も火照っちゃいるのに、上手く動かなかった。


「そ、そうだ……これこそが陽家の嫡男である証」


「じゃっ、じゃぁ、本当に……」


 うそぶげっの言葉に、船乗りが段々と信じ始める。

 月華が冠名それぞれにある特有の紋章なんて知っているわけもない。なんせ、オレだってそんなものがあるなんて知らないんだから。

 そもそも、冠名を象徴する紋章なんて、全ての冠名にあるわけではない。始祖の四人冠名であるくう家にはそんなもの無かった。だから、きっと国や領土をそれぞれの家々が主張するこの戦乱の世になって初めて出来たんじゃないかと思う。

 その紋章が月華の持つ峨眉刺がびしに刻まれていたのは本当に偶然の出来事だった。家を捨て里の一員になった月華の父、ようしょうが自身の出生を示すものを廃棄することなく持っていたのは奇跡といってもいいくらいのことだろう。憶測でしかないが、珍しい武器ということもあり、何か有事の際に月華やその母、天仙女てんせんにょを護ることが出来るように泣く泣く取っておいたのではないだろうか……。

 まぁ、そんなことを予想したところで、ただの船乗りのおっさんの勘違いという可能性もあるんだけど……。

 そういえば、以前の岩山でえん家の行軍を見た際、その旗印に『炎』という文字とは別に燃え盛る火のような絵柄が入っていたことを思い出す。

 あぁ、あれが炎家の紋章ってやつだったのか……。


「だ、だったら、なんでえんこく様が追ってくるんだよ?」


 納得したかと思われた船乗りが尚もそう食い下がった。


「そ、それは……」


 月華は相手の首元に武器を突き付けている状態。生殺与奪の権限をもっているというのに、まさかここまであれやこれやと言ってくるとは思わなかったのだろう。

 オレは月華から受け取った布で左目を陰らせる血を拭った。もう固まりかけている血は髪に染み込んで傷を覆うように貼り付いていた。きっとそれを見越して月華は水を一緒に持ってきたのだろうが、今はそれどころじゃなかった。

 おざなりに、視界が効くようにだけ血を拭うと、再び腰に下げた刀を抜いた。刀にもやはり血が付いている。しかしこれはオレの血ではない。


「アンタには悪ぃが、これ以上丁寧に説明してやってる場合じゃねぇんだよ……」


 唸るようにそう吐いて、まだ血の残った柳葉刀りゅうようとうを月華の峨眉刺に被せるように突き出した。

 船乗りが改めて「ひっ」と息を呑む。長い間生命の危機に瀕していたせいで感覚が麻痺してしまっていたのかもしれない。


「死にたくねぇなら、漕げ。アンタの言うその後のことなんて、まずは今生きてなきゃ関係ない話だろぉが?」


 頭がぼーっとしているせいか、いつも以上にガラの悪い調子の声が出た。

 やっと、船乗りはオレと月華、それぞれの刃に首が当たらぬように小さく頷くと、前を向き、櫂へと取り付いた。

 背を向けた船乗りの後ろで、オレと月華は顔を見合わせ、各々の武器を下ろす。

声に出さずに月華の唇が「ありがとう」と動いた。

 月華に先を越されるようなかたちになってしまったが、なんとか面目は保てたようだった。

 漕ぎ手が増え、再び船は加速を始める。

 オレも漕ぎ手に加わりより一層船を速く進めようと櫂を握る。


「お前は、また中に戻ってろよ」


「ううん、一緒に漕ぐ。やり方教えて」


 未だ船室へと戻ろうとしない月華にそう声をかけるも、月華は首を振って、オレの隣へと並ぶ。

 本来一人で一本を使う櫂は、子供とは言え二人で並んで使うには短い。そのため、月華とオレの肩は押し合うように密着した。肩伝いにも伝わってくる月華の体温。それすらなんだが随分久しぶりに感じた。


「いや、まだ何があるか判らねぇんだから」


とうこそ、ちゃんと傷口拭いてって言ったでしょ?」


「そんな場合じゃねぇだろ?っつーか、一応拭いたし」


「ダメ、全然拭けてない。ちゃんと水で濯がないと、治りが悪くなる。悪化することだってあるんだから」


 前で漕ぐ船乗りに聞こえないように、小声で、密着したままオレたちは言い合いを続ける。まるで、そこが船の上じゃないみたいに。いつもと変わらぬ調子で。

 船は、河の流れに流されながらも、もう半ばを過ぎるところまで来ている。行く先の岸辺が絵やまやかしではないことを示すように立体的に近づいてきている。


「自分で出来ないなら、わたしがやろうか?もしくは二人で船室に入ってちゃんと治療するよ?」


 言葉としては気遣いに満ちているものの、口調は決して優しくない感じで、月華はそう言う。こと怪我とかそういったことに関しては薬師の娘だからなのか、はたまた天仙の不思議な力を持っているからか、月華は頑としているところがある。


「わぁったよ。だったらこうやって……」


 オレは仕方なく引き下がり、月華の櫂を握る手の上から手を握り、船の漕ぎ方を教えた。オレも見様見真似で覚えたものだから、正解かどうかなんて判らないが……

 教わった通りに、月華は漕ぎ始める。流れに逆らうように櫂を動かすのは結構力のいる作業だからか、集中して悪戦苦闘している。

 なんだかその姿が愛おしく感じて、オレは思わず口元を綻ばせつつ、さっき放り出した血を拭いた布と水の入った筒を拾い、今度はしっかりと傷口に貼り付く髪と血を拭い始めた。

 やはり、傷口はさして深くはない。だが、切られた位置があまり良くなかったようで、大量の出血をしてしまったようだった。

 そのせいか、こんなにフラフラすんのは……

 勝てたからいいものの、やっぱりオレはまだまだ弱いし、詰めも甘い。

 そう実感させられる。

 と、その時だった――――――


「おのれぇ、このままおめおめと引き返してなるものかっ!」


 遠くで、そんな声が聞こえた。

 振り返るまでもない。追ってきていた二艘の船の、炎黒が乗っていなかったもう一艘の船からだ。

 しかし、一度引き離された船が今更追い付けるわけもない。もう後の祭り。実際悔し気な遠吠えだって、オレくらいしか聞こえていないだろう。

 でも――――――

 直後、空を切る音が風に乗って聞こえた。それは弦がしなり、矢が放たれる弓を射る音だった。

 届くわけがない距離だ。目視しなくったてそれくらい判断出来る程距離は離れている。ましてや、こちらも相手も動いている船の上。例えどんな手練れだろうと、届くわけが…………

 その筈なのに、目の前の無防備で華奢な背中が気になって仕方なくなった。万が一とか、そういうことではない。感覚的に、本能的に、その背中を包み込まなくていけない気がした。

 咄嗟に、オレは月華を後ろから抱きしめた。

 寸での差で、肩に痛みが疾る。先程まで月華の体温を感じていた右肩に。


「橙馬っ!?」


 堪え切れずに、月華が腕の中で悲鳴をあげた。もう男の振りをしていないいつもの月華の声だった。

 痛みと衝撃でグラリと身体が傾ぐ。当たったのは肩、致命傷というわけではない。だけど、さっきも怪我をしてふら付いているせいか、踏ん張りが効かず、身体に力が入らない。

 河の水面が目の前に迫ってくる。だが、足掻いてもちょっと体勢を変えられたくらいだった。

 オレの腕に包まれていた月華はそのせいで反応が遅れ、やっとのことでこちらへと手を伸ばす。

 その手をもう一度…………


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