第二十幕 船上の一騎討ち

 えんこくは、茶色い瞳をしていた。

 その眼差しに慈愛の暖かみはなく、だからといって光がないというわけでもない。冷たく鋭いのに、意思に満ちたギラギラとしたもの。

 燃え盛るような赤い頭には、身分を示す豪奢な額当てが掛けられている。

 尖った顎には瞳と同じ色の髭が蓄えられている。その髭がもう少し長さを得たら髪の色のような赤味を帯びるのかもしれない。

 更に船同士の距離が近付く。

 あと少しで船首がぶつかるところまで来ると、黒馬の手綱の握りを変え、腰に差していた刀を抜き払った。


「くっ……!」


 炎黒から一番距離が近いらいそうが、その行動に歯噛みする。今にも斬りかかろうとする炎黒に応戦すべきかどうか逡巡する。


「……オレが行く!」


 逸早くオレは動いた。

 一足跳びに蒼龍の後ろへと回り込む。


「頼むっ!」


 雷蒼は止めはしなかった。

 炎黒の獲物は切先の細い剣状のもの。オレの柳葉刀と間合いはさして変わらない。

 それでも雷蒼ではなく、オレが動くべきだと思った。今雷蒼が櫂から離れれば、船乗り達もまた漕ぐのを止めてしまうだろう。ならば、オレがやるしかなかった。。


「アンタが跳んだら、オレは迷わず馬の脚を討つ」


 今にも馬を手繰りこちらへ跳び移らんとする炎黒の前へと躍り出る。


「ほぅ……」


 自分に平伏することなく刃を向けてくる奴が物珍しいとでもいうように、炎黒は感心気な声を漏らした。


「ならば、お主が馬を斬る間に、私はお主の首を斬ろう」


「はぁ?おっさん、ここは船上だぜ?アンタがそのつもりでも馬はそんな上手く動かねぇよ。オレはアンタの間合いに入らなければいいだけだ」


 緊張で声が震えそうになるのを誤魔化すように、敢えて挑発するように言う。


「アンタは馬を手繰りながら刀を振らなきゃならない。でも、オレは切先だけでも馬の脚に当てりゃあいい。それだけで、アンタは馬ごと河に落ちる」


「うむ、中々肝の座った小僧よのぅ。だが、お主とて武を振るう者ならば解るであろう。私が馬を手繰りながら刀を振るうことが出来ぬかどうか」


「あぁ、解る。アンタは出来るんだろうな。それくらいのこと……でも、それは陸に限ってのことじゃねぇのか?オレは耳がいいんだよ。だから、さっきっから馬が船の上でたたらを踏んでる音も聞こえてる。見えなくても、聞こえる」


 これは嘘でもはったりでもない。オレ自身の鼓動が爆音で響いてはいるが、それでもオレの耳はしっかり他の音も捉えていた。

 フン、と炎黒は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。例えオレの言うことが真実だったとしてもそんなこと些事に過ぎないとばかりに。


「ならば試してやろう」


 威圧的に炎黒は言い放つ。

 俺はもう言い返さなかった。これ以上言を重ねても相手が引かないことはもう思い知らされていた。

 オレ達の乗る船はどんどん失速していっている。まるで炎黒の言葉が錘にでもなっているかのように。

 問答を重ねて時間稼ぎをしたところで事態は好転しそうにない。

 もうオレがやるしかなかった。

 言葉と共に息も口の中に閉じ込め、開いた両足の膝を曲げ、指先に力を入れていつでも跳べるように構える。

 機は一瞬。その瞬間を逃せば、きっとオレは殺られる。

 耳と目を最大限に凝らす。


「ハッ!!」


 炎黒が気を吐いた。

 威圧感が風となって吹きつける。気を抜けば、それだけで膝を折られてしまいそうな威風。

 まだだ!!まだっ!

 ともすれば、慄いて動いてしまいそうになる足を繋ぎ止める。

 強く馬の手綱が引かれ、馬が苦しそうに歯を剥き、眼を血走らせ、いななきと共に跳んだ。

 まだ!動くな!

 炎黒の細い刀の切っ先が不気味に光り、一直線にオレの首めがけて迫る。

 今だ!


「ぬっ!?」


 刀の切っ先が今にも首に刺さらんとするその間際、オレは沈み込むように深く膝を曲げ、思い切り右前方へと跳んだ。

 馬の跳躍の勢いも乗り、炎黒の鋭く突き出された刺突は、オレの左の耳の上辺りを掠めたものの、すんでのところで空を切った。

 右手に携えた柳葉刀の刃を左手で支えるように構え、伸び上がるように跳んだ勢いを利用し、馬の左前足、そしてそのまま炎黒の左脇腹へと切りつける。


「ぐっ……!」


 刺突が空ぶった炎黒は、オレの攻撃を避けきることは出来なかった。だが浅い。歴戦の経験の賜物か刃が食い込む瞬間に僅かに体を傾け深く傷が刻まれるのを回避された。

 でも、これで終わりではない。

 馬と炎黒とに一撃を見舞ったオレは一旦着地する。元居た船にではない。炎黒の乗っていた船に。そして、それも瞬き程の一瞬、直ぐ様再び船を蹴り、跳ぶ。


「小僧っ!?お前、これが狙いか!?」


 目まぐるしく動くオレへと向け、苦々しい口調で炎黒が問う。

 足を傷つけられ、その上着地する場所を失った


「そのっ……通りだよっ!!」


 全身の力を込めて、もう一度オレは蹴った。今度は船をではない。空中で態勢を崩した馬の腹を。


「おのれぇぇ!」


 地の底から響いてくるような恨めしさに満ちた声がオレの耳へと襲いかかる。

 だが、もう遅い。

 既に半分以上傾ぎ、更にその横腹を勢いよく蹴られ、既に足場の無い河の宙空に浮かんだ馬から離脱し、船へと戻ることはもう出来ない。

 馬の横腹を足場にしたオレは、なんとか元の船へと着地した。

 炎黒の鋭い眼差しに射すくめられながらひねり出したオレの作戦はこうだった。

 まずオレは、炎黒の一撃が体重を乗せて放たれるギリギリまで待った。普通なら、そんな一撃を躱そうとすると自然と尻込みするように後ろへ退がる。それをオレは意図的に沈み込んで直撃を避けた上で、炎黒の利き手の逆側、向かって右前へと跳んで躱した。炎黒は寸前まで動かなかったオレが後ろへ退くものと予測していたのであろう、オレが跳躍した時には、追撃するように右手を前へと伸ばしきっていた。

 次にオレは、炎黒と馬とに刀で切りつけた。攻撃を放つことに神経を注いでいる炎黒が更に手綱を操れるわけもなく、馬は避けようもなくその足に傷を負い、炎黒もまた掠り傷程度に脇腹を切られた。しかしながら実を言えば炎黒がここで致命傷を避けようとすることもオレには織り込み済みのことだった。まんまと炎黒は傷を負うだけでなく、更に身体の平衡を崩した。

 そして、オレは向こうの船と既に態勢を崩した馬とを蹴った。馬は元々足場の悪い船の上からの跳躍でいつも通りの踏切が出来ていなかった。炎黒にも言った通り馬の蹄が僅かにカツカツとたたらを踏んでいる音がオレには確かに聴こえていた。だからこそ、オレは馬が炎黒の意の通り着地が出来ぬよう、三度蹴ったのだ。一度目は避ける際にオレ達の乗る船を。二度目は、炎黒の乗っていた船を。そして三度目に傷つき態勢を崩した馬自体を。

 ――――――大きな音と共に、船と船との間に水柱が噴き上がった。


「炎黒様っ!!!!」


 水音を追いかけるように野太い声が響く。

 炎黒の居た船の後ろを追うもう一艘からだった。

 

「追えっ!炎黒様を救い出せっ!」


 半狂乱に近い叫び声が船上を駆ける。

 戸惑いが船体に伝播したかのように船が前進を止める。

 少しづつ、遅々としているものの進み続けるオレ達の船と、後ろを追う船との間に再び距離が生まれ始めた。

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