第十八幕 出港は未だ整わず
「
「大丈夫だろ。無事乗船出来たんだし」
所在無げに辺りを見回す
そして、たった今オレと月華は木箱がところ狭しと積まれた船室へと案内され、箱の隙間に身を寄せるようにして乗り込んだところだった。
「なんか、騒がしいな……月華、ちょっと様子見てくるから、お前はここで待ってろ」
「え?大人しく待っていたほうがいいんじゃ……」
掴まれていた腕に更に力がこめられる。
「
口を突いて出た言葉は、先日の岩山での出来事を彷彿とさせた。だからオレは雷蒼の名前を出した。こう言えば月華はきっと首を縦に振るだろうから。
「お前は待ってろよ」
そう言って、外套の上から月華の頭を軽く叩くように撫で立ち上がる。
窮屈な体勢でいたせいか少し足が痺れていた。
体を軽く伸ばすようにしながら、狭い船室内を移動する。
「出港はまだなのか?」
甲板に繋がる穴から顔を出そうとしたところで聞き慣れた雷蒼の声が聞こえた。苛立ちとも焦りとも感じる緊迫した声だ。
やはり何か予想外の出来事が起きているようだ。
「すまねぇな、兄ちゃん。この船は最後尾の船なんだ。先頭の船が出ないことには出れねぇんだよ」
船乗りらしきおっさんが頭を掻きながら言う。その様子から見るに船乗りの連中にとっても予期せぬ出来事が起きているような口振りだった。
船室と甲板とを繋ぐ穴から更に頭を覗かせ、辺りの様子を見る。
河に沿って船がズラリと並んでいる。その数、十以上。確かにどの船もまだ動いてはいない。
雷蒼はオレが船から顔を出していることには気付いておらず、船乗りのおっさんと問答を続けている。
けれど、おっさんは、もう少し待つしかないの一点張りだった。これでは埒が明かない。
意を決して、オレは船室から甲板へと出た。
雷蒼達からも見えない位置に移動し、オレは隣の船へと足を伸ばす。拳三個分程届かない。水上の船は、平地にいるよりも踏ん張りが利かないので、飛び跳ね難いが、これくらいなら――――
「よっ――と!」
一歩を大きく踏み出すように、最小限の高さで跳ね、オレは上手いこと隣の船へと移動した。
一度やったことで調子を良くして、次へ次へと船を移動していく。勿論周囲への注意は怠らない。
六艘程先に進んだ時だった。
「お、おい!大変だ!」
「どうしたんだよ!?血相変えて、船に不備でもあったのか?」
そんな会話が聞こえてきた。
今いる船よりも随分前の方からだが、オレの耳には充分な距離だった。話している人の姿は視認出来ないが、交易船の船乗りの会話だろう。
「それが、いざ出港って時になって、思ってもみないお方が尋ねて来て、船を検閲するってんだ」
「思ってもみないお方って……誰なんだ?」
早口に、けれど声を潜めることもなく男達は話している。
「それが…………
「炎黒って……あの炎家の
炎黒麒!?
その名前に身体が震えた。
「なんでも、この交易船の何処かに炎黒様の捜し人が紛れているとかなんとか……」
!?!?!?
「捜し人が紛れてるって、船乗りの誰かっつーことか?」
「いや、それだったら船ん中を一つ一つ確認する必要ねーだろ?」
確信する。炎黒が探しているのは間違いなくオレ達のことだ。
もしかしたら炎黒はどこかで月華のことを知りそれで探しているのかもしれない。何故?月華が女だからか?それとも天仙の子だから?
考えたところで理由なんて解るはずもない。それよりもどうしてオレ達がここにいる事を知っているかだ。
オレ達が船に乗っていることを知っているのは、
「そりゃぁ、本当に炎黒様なのか?」
「あぁ、あの燃えるような赤い髪は間違いねぇ!それに火家の
またしても、体に電気がはしるような震えが駆け抜けた。
岩山で遭遇したアイツ。アイツがオレ達の事を君主である炎黒麒に報せたのだ。あの時アイツは月華のことを女だと見抜いていたんだ。
オレが迂闊なばかりに、月華の存在を知られてしまったのだ。
オレの…………せいだ。
慌てて踵を返し、先程よりも速く船の間を飛び越えて、元来た船へと急いだ。急いだことで往きよりも跳躍のさいに船が深く沈み軋んだ音をたてたが、気にしていられなかった。
「ら、雷蒼……っ」
元居た船に戻ると雷蒼は船室へと入ろうとしているところだった。
「
「ふ、船を出して、くれっ!」
疲れているわけではないのに、声が震えた。勝手に息がきれていた。
「な、何を……?」
「あ、あの炎家の当主と火家の奴がっ……オレ達を月華を捜してるっ!」
「そんなっ、馬鹿なっ!?」
「本当なんだよっ!もう直ぐそこまで来てるっ!船を一つ一つ確認してるらしい。それで出港が遅れてるんだ!」
「橙馬?」
思わず声音が上がる。オレの声が船室まで届いたのか、月華が奥から顔を出した。
「月華!出てくんなっ!」
慌ててオレは半ば船室に入ろうとしていた雷蒼を押し退け、月華の手を取り中へと引き戻す。
「わかった。なんとか掛け合ってみる」
雷蒼はそう言って踵を返した。
「ひぃっ!勘弁してくれよ!」
程無くして、弱々しいそんな声が船内へと流れこんできた。
もう炎黒が来てしまったのかと体がビクリと跳ねるが、振り返った先にあったのは、船乗りが二人と雷蒼だった。
「おっ、おい……っ?!」
見たことのない厳しい顔をした雷蒼に思わず声をあげかけ、留まる。雷蒼の視線が船乗りに気付かれぬように何かを言わんとこちらに投げ掛けられてきていた。
「悪いが、船を出してくれ」
槍を突きつけ、雷蒼が言う。
「いや、そういうわけには……」
船乗りは、怯えながらも絞り出すようにそう言った。命の危険にさらされても尚言うことを効けないのは、やはり炎黒のせいか、はたまた船乗りとしての矜恃か……。
「我々は、この最期の船を先に出港させるよう、炎黒様より命を受けている」
上手い言い訳だ。船乗り達の顔色が変わる。
「だが、炎黒様は……」
「あぁ、出港を止め、何かを捜していると言うのだろう?それこそが炎黒様の狙いなのだ。我々に密かに南岸に入国させるための」
雷蒼は動揺を見せることなく淡々と言う。投げ掛けようとした疑問を先回りされ、船乗り達は先を紡げなくなった。
連れて来られた船乗りは、元々雷蒼が話をつけた船乗りとは違う。数隻前の乗組員なのだろう。
だからこそ、雷蒼の言葉に返せなかったのだ。炎黒が来ているということすら、この最後尾の船には未だ伝わってきていないのだから。
雷蒼は、オレの云ったことを信じ、オレの耳を信じて、諸刃ともいえるこの作戦をたてたのだ。
「…………わかった」
充分とも言える逡巡の後、ほぼ同時に船乗り達は頷いた。
ふと気付くと、月華が周囲に見えぬ位置で強くオレの手を握っていた。そして、オレも確りとそれを握り返していた。
体が硬直し、体温が重なっていることにすら気付かない程、緊迫していた状況だったのだと、今更に実感する。
でも、これでやっと船が動き出す。
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