第十五幕 最良の判断

 城に帰還したのは、もく家の領地に置かれた陣を出てから三日後の事だった。

 隔てる山脈を前にしてりくに城に全員が戻るには幾日かかるかと尋ねた際には、後四日との算段だったが、そこから半分の時間で辿り着けた。それだけの時間を短縮出来たのは、一重にあいれんを殿に据えたことが大きい。藍蓮は充分な結果を出してくれた。

 だが、木家の最西の地からえん家の城まで、馬を駆るなら二日もあれば着く。いくら避難民を連れての行軍だからとは言え、一日多く費やしてしまったことは腑甲斐無い結果だった。

 母上は此度の初陣の無事の帰還と全軍指揮を執っての行軍を讃えてくれたが、父上は何と言うだろうか……


えん様、失礼致します」


 断りを入れ陸土が戸口に姿を見せた。


「―――なんだ?」


 何をするでもなく、執務室として与えられた部屋で此度の行軍について考えていた俺は、適当に返事を返す。


「火藍蓮様率いる後方部隊がたった今城へと帰還致しました」


「そうか、ならば藍蓮を呼んでくれ」


「はっ」


 陸土は踵を返し、予め言われる事が判っていたとばかりに退がっていった。

 先頭の部隊は、木家と炎家を隔てる山脈を全軍が越えきったのが判った時点で速度を上げ、一足先に城へと戻った。

 此度の行軍の最難関である岩山を越えてしまえば、後は平地が続く。馬を持たぬ避難民は丸一日かかってしまうが、馬を与えられている部将達からすれば、その距離は半日もかからない。

 体力の回復を図るため、避難民達を含む後方部隊は山を越えた地点で野営を行ったため、結果として先頭部隊と後方部隊では半日以上の距離が開いていた。


「失礼します」


 程無くして、藍蓮が部屋を訪れた。遅々とした行軍の殿の役目は少なからず疲弊しただろうに、その佇まいは疲れを感じさせなかった。


「よく戻った。此度の功績大いに感謝している」


 立上り、無事の帰還を讃える。


「有り難きお言葉」


 立ち上がった俺よりも頭の位置が高くならぬように、すかさず藍蓮はかしずく。父の幕舎でのぐんの動きを思い出す。藍蓮は確実に父である火群のような立派な武人の道を進んでいる。

 けれど、ほんの少し前まで同じ目線で幼馴染として育った相手といつの間にかこうして距離が出来てしまうと、一抹の淋しさも感じた。


「それにしても……」


 改めて椅子に腰をおろす。


「大胆な策だったな、ただの農民達に、兵の馬を貸すなど……なんでも、お前まで馬を貸してやったそうじゃないか」


 それは、山を越えきった際に後方部隊の様子を見に行かせた伝令から聞いた話だった。

 藍蓮は、避難民達を囲む先導の兵達の馬を歩みの遅い者に優先的に貸すことで行軍速度を速めたのだという。


「軍の連中も避難民達も先だって行動してみせたお前の優秀さを誉めていた」


「いえ、あれはああでもしないと、若輩の俺の策等聞き入れてもらえなかったので」


 藍蓮は照れるでもなく、謙遜でもなくサラリとそう言ってのける。

 俺の父上、えんこくは、合理的で目的のためなら冷酷且つ強引な手段を取る。

 やり方は違うが、藍蓮の目的の為には手段を選ばない考え方はそれに似ているようにも感じる。


「そういえば、藍蓮。お前、麓間近で一度単独で戻ったそうだな?何かあったのか?」


「いや、あれは…………はい、実は誰かに付けられているように感じたもので……」


 ふと思い出し問うと、藍蓮は珍しく言い淀んだ。


「そうか、で?どうだったんだ?」


「付けられているわけではなく、旅の者が丁度居合わせたようです。俺と齢の変わらぬ若い者達で―――」


 若いと聞き、一人顔が思い浮かんだ。


「どんな奴だ?」


 思わず、問い詰める。


「兄弟だと言っていました。親類を訪ねるために南に行くと。三人いましたが、血の繋がりはないようで、皆髪や瞳の色は違い、その内一人は見知った顔に似ていたもので―――」


「その中に翡翠色の瞳の者はいたか?」


 何処か言い難そうに話す藍蓮の言葉が終わりきらぬ内に、重ねて訊く。直感でしかなかったことが段々と線を結ぶ。


「確かにそのような者がいたような……暗がりでしたので確実とは言えませんが」


 やはり、と確信する。

 ようげつだ。今父上が血眼になって探している、あの昼夜を名にもつあいつに違いない。


「そいつの髪の色は栗色だったか?」


「そこまでは……外套を被っていましたので」


 藍蓮のその曖昧な返答が、逆に決定的なものとなった。


「……くっ」


「炎緋様?」


「くっ、くっくっ、はーはっはっはっ!」


 俺は堪えきれずに嗤った。このように高らかに嗤ったのは初めての事かもしれなかった。

 相対している藍蓮もどういう事か解らずに戸惑いを顕にしていた。


「でかしたぞ、藍蓮!素晴らしい功績だ!」


「あの……」


 俺は、無事に帰還したことよりも、殿を全うしたことよりも、行軍を速めたことよりも盛大に藍蓮を褒め称えた。


「藍蓮、父上に早馬を出せ」


「炎黒様にですか?」


「あぁ、『探し人は南、花家の領土より交易船に乗るものと思われる』と伝えろ」


「は、はいっ!」


 藍蓮は把握しきれないながらも、直ぐ様言われた通りに踵を返す。

 その後ろ姿を見送りつつも、俺は未だ嗤いが堪えきれずにいた。

 なんという幸運だろう。

 父上が俺のもたらした情報で、悲願の翡翠色の瞳の者を捕らえられれば、俺の行軍時の腑甲斐無さは帳消しになる。俺の初陣の成果などどうでもよくなるに決まっている。

 あの時岩山に居り、その後南に向かうというなら、大方その行き先は花家の船着場だろう。木家の領地から花家の領地に入るための割符を手に入れる事が出来ず、我が炎家の領地を経由していったに違いない。

 本当に、あの時藍蓮を殿に据えるという俺の判断は間違いではなかった。

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