第十四幕 挽回の機

 この山に登り始める前も、逸早くオレが炎家の軍の存在を察知したものの、それに対処したのはらいそうだった。

 げっは「耳がいい」と褒めてくれたが、オレからすれば手柄を全部もっていかれたと思っていた。


とう、お腹空いてない?」


 口を尖らせて座り込んでいるオレを疲れていると判断したのか、月華が心配そうに気遣ってくる。既に薪の準備は終わっていて、月華の手には果物がいくつか抱えられている。


「あぁ、だいじょう……」


 答えかけたその時、またしてもオレの耳は何かを捕らえた。

 けれど、それを口にすることを戸惑った。オレが何か余計な事を言えば空回りしてしまうかもしれない。神経が昂り過ぎているだけかもしれない。

 そう思ったから口をつぐみ耳に神経を集中する。

 馬の蹄の音。

 複数じゃない。

 速度はそれなり。

 焦ってはいないが、警戒はしている。

 方向は山の麓から、此方へ―――――


「橙馬、どうしたの?」


「…………」


 オレが確信を得るのを見計らったように、月華が声を掛けてくる。耳に注いでいた集中は霧散し、感覚が全身へと戻る。

「また何か聞こえたのか?」


「…………いやっ、その……」


「そうなんだな?だったら俺が様子を……」


「いやっ、いい!」


「??……違うのか?」


「そ……うじゃなくて、オレがっ!…………オレが様子見てくっから!」


 雷蒼が腰を浮かしたところで、オレは慌てて立ち上がった。

 空回りして、また失敗するのは避けたかった。けれど同じ轍を踏むことはもっと嫌だった。


「大丈夫か、橙馬?」


「おぅ、無茶はしねぇから」


「解った、頼む」


 そう応え、オレはゆっくり動き始める。洞内の壁に背中を付け、摺り足で移動した。

 警戒しながらそろりそろりと動いたところで、さして奥行きの無い洞では直ぐに入り口に到着する。

 夕陽はもう完全に山の向こうに沈み、もう宵闇が辺りを包んでいた。けれど、洞内に比べれば月明りがある分外のほうが明るい。

 壁に全身を押し付けるようにして、横目で山の下へと向かう道へと視線を向ける。

 何もない。剥き出しの岩道が続いているだけ。人影はない。

 もう一度、自身の武器である耳を澄ます。

 聞こえたのは風の音。

 遠くの木々の葉擦れの音。

 まるで忽然と姿を消してしまったかのように、誰の気配も感じない。馬の蹄も、足音も、息遣いも聞こえない。

 一歩踏みだす。

 こうまで何もないと、聞き間違いだったのではないかと不安がはしる。

 また一歩前へ。

 足先が洞内から出た。更に道の先を窺う。

 何もない。人影も、馬の姿も、木の葉一つすら見当たらない。

 更に一歩――――


「っ!?」


 刹那、何かが煌めいた。

 星でも、月でもない。鈍く、研ぎ澄まされた青白い瞬き。


「―――んなっ!?!?」


 咄嗟のことに、ただ尻餅をつくように後ろに倒れる。

 気付けば、眼前に刀を突き付けられていた。

 思わず声が漏れたが、それ以上言葉を続けることは出来なかった。余計な事を言えば、喉元を刺し貫かれる。息を呑み、喉を反らした。暑くもないのに滲んだ汗が顎を伝った。

 今の一撃。多分正確には二撃だが、どちらも剣筋が全く見えなかった。

 柄から伸びた剣は、一度括れ、剣先は針のように尖っている。


「ここで何をしている?」


 落ち着いていて、冷えきった声が頭上から降り下ろされる。月を背にして立っているせいで顔までは見えないが、声色は若い。

 命を握られているに等しい状況で、返答して良いか判断がつかない。声を出すことすら難しい。

 時間にしたらほんの数瞬にも満たない出来事なのに、時間が止まっているかのように永く感じた。

 このままでは、異変を感じた雷蒼が此方へ来てしまう。下手をすれば月華までのこのこ出てきてしまうかもしれない。

 それだけは避けなければならない。

 勇んで様子を見てくると言った以上、なんとか独りで切り抜けなければ――――。


「ぉ……」

「お前……」


 意を決し口を開いたその時、振り絞った声に被さるように、そいつが言葉を被せた。あっさりとオレの声は掻き消される。


「……せつはく殿?」


 勝手な独白を続け、突如喉元から刀が引かれた。


「どうして、このような所に?」


 手を差し伸べられ、立たされる。

 月明りで陰っていた双眸がやっと視認出来た。

 年の頃はオレとさして変わらない。背丈は、オレより一回り高く、雷蒼くらいあるだろうか、ひょろ長い印象だ。黒髪に灰色の瞳。

 突如現れたそいつの風貌を確認しつつ、同時にやっと事態も理解する。

 どうやら、こいつはオレを誰かと人違いしているようだ。


「あ……その……」


 人違いされているならば話を合わせたほうがいいのかもしれない。だが、こいつが誰か判らない以上下手に嘘を吐いてそれがバレてしまったら後々まずい。


「すまないが、刀を収めてもらえないだろうか?」


 けれど、オレが迷っている間に、横手から声がかけられた。雷蒼の声だった。

 言葉に反するように、目の前のやつが刀を構え直す。

 オレは思わず弾かれたように洞の方へと顔を向けていた。警戒も何も無しに動いた。下手したら斬られていたかもしれない。


「その者は俺の連れなんだ。敵意はない。刀を収めて欲しい」


 雷蒼は、丸腰で武器も持たずに両の掌を見せるようにして、もう一度そう言った。

 何を考えているのか、真正直にそう言い、洞から出てくる。後ろには、月華の姿までもある。

 どうしてわざわざ危険に晒すようなことをするのか、さっぱり理解出来ない。

 だが、目の前の奴は刀を収めた。


「お前達は、旅の者か?行軍から遅れたわけではないな?」


「行軍とは、何のことだろうか?我々は樹仙導の進攻によって村を追われ、南方に住まう遠縁の者を頼るためにこうして旅をしているのだが……」


「そうか……お前達は髪の色も瞳の色も違うようだが、同じ地の出身か?」


「あぁ。氷家の領地下の小さな村で兄弟として育てられたが、元々孤児で血の繋がりはない」


「そうであったか……」


 そいつは、雷蒼の嘘とも本当とも言える話を信じたようだった。声音に憐憫の念が混じった。


「ところで、貴方は炎家の方か?」


「いや、古くより炎家に仕える火家の者だ」


 雷蒼は突如口調を変え、恭しく、殆ど年の変わらない相手に殊更丁寧に話し始めた。


「そうでしたか、ならば勝手に領地を通る無礼をお許し下さい。木家の地から花家の領地に入るには割符が要るとのことで、路銀もあと僅かのため、この進路をとったのでございます」


「そうか……なら、炎家の領地に住んだらどうだ?我々は、今し方木家の地よりお前達同様樹仙導に住み処を追われた者達を保護してきたんだ」


 雷蒼が相手の身分に合わせて口調を変えたことに気を良くしたのか、相手の態度が更に軟化していく。


「いえ、有り難きお言葉ですが我々は親類を頼る予定ですので」


 丁重に申し出を雷蒼が断る。


「わかった」


 するとそいつは納得したとばかりに踵を返した。


「邪魔をしたな。もう完全に陽も落ちた。野営に備えるといい」


 言い捨て、あっさりと歩き始める。オレ達に悟られぬよう離れたところに馬を停めてきたのだろう。

 力によって捩じ伏せる必要もなく、そいつはいともあっさりと、雷蒼の言葉を受入れ去っていった。

 オレは一言も口を挟むことは出来なかった。

 オレも奴も、完全に雷蒼の交渉技術のみに圧倒され、丸め込まれたのだ。

 オレは何一つ出来ず仕舞いだった。

 自分の命すら危うく落としかけていたかもしれないというのに―――――。

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