第十三幕 岩山
「致し方ない、ここで野営しよう」
夕陽が半ば山の向こうへ沈んだ頃、俺はそう言った。
正直苦渋の決断と言って良かった。これが俺一人だけであれば、勢いに任せ辺りが闇に包まれて身動きがとれなくなるまでに山を下りきっていたことだろう。
だが、致し方無い。ここで無理をすれば、座ることさえ難しい場所で夜になってしまうかもしれない。
「少し様子を見てくる。待っていてくれ」
岩ばかりの山肌。人二人が並んで通るのがやっとの道。そこに開いた洞を見つけ、
ここに辿り着くまでにも同じような洞窟とは言えない程度の洞をいくつも見掛けた。どれも自然に出来たもので、人の手が加わっている様子はなく、以前に来た誰かが野営を行った跡もなかった。
洞は暗くて最奥までは見通せないものの、長い洞穴というわけではなかった。洞は一定の広さを保っているわけではなく、一旦狭まった後少し広くなっていた。三人で一晩過ごすくらいなら十分だろう。
それだけ確認すると俺はすぐに二人の元へと戻る。
「大丈夫そうだ。蝙蝠なんかもいない」
曲がりくねった山道の下のほうには、蟻が巣へと餌を運んでいくように長い列を作る一団が下っていく様が微かに見える。殆どが徒歩で馬に乗っている者は少ない。
この山に登る前に橙馬が察知した例の炎家の一団だ。
あの一団がいなければ、今日の内にこの山を越えることが出来ていただろう。事前に備えを行い、陽の昇りきらぬ内に登頂に臨んだのだから。
しかし、いざ山を下る段になって、俺達は丁度あの一団と鉢合わせすることになってしまった。
鉢合わせといっても幸いなことは、出くわしたということではないことだった。入山した場所が違っていたお陰でこちら側が一方的に気付くことが出来た。
けれど、気付いてしまったからにはそのまま下山を続ける訳にはいかなかった。
俺達は一定の距離を置き、それ以上距離を縮めて相手に俺達の存在を悟られることがないよう細心の注意をはらいながら、山を下らざるを得なくなってしまったのだった。
「暗いから足下に気をつけて」
まずは月華の手を取り、導くように洞へと入っていく。
ここで野営するという判断は間違っていなかったようで、洞の中を確認するというたったそれだけのことを済ませる間に、夕陽は更に姿を隠し、もう夜が迫って来ていた。
月華が洞の奥へと入っていったのを見届けると、次は橙馬へと同じように手を差し伸べる。
しかし橙馬は薄闇の中スルリといつの間にか俺の横をすり抜けていて、月華に続いて洞へと既に入っていっていた。
まだ元服前だが、橙馬も男。子供扱いされたくないのだろう。俺も橙馬と同じ年頃の頃は、やはり同じように子供扱いされることに歯痒さを感じたもの。気持ちは解らなくはない。
洞の闇に紛れて苦笑した俺は、空をきった手をそっとおろした。
二人が洞へと入ったところで、俺は念を入れ外の様子を確認する。
山の麓に広がる雑木林の影からは一本煙が立ち上っている。長い列を作っていた炎家の一団は、全員が山を下りきるまでには陽が暮れることを予想して、先頭の者からあの場所で野営地で夜に備え、残りの者たちが合流するのを待つ手筈になっているようだった。
何者かがこちらの存在に気付いていないか、俺達がこの洞に入ったことを悟られていないか、辺りに動く者の姿がないかを確認し、俺は洞へと入る。
幾分か闇に目が慣れてきたようで、洞の奥の空洞が少し広がった空間に月華と橙馬が肩を並べるようにして座っているのが見えた。
「火、熾すぞ」
俺が戻ってきたのを確認すると、橙馬がそう言って、早速事前に集めてきた薪木を取り出そうとする。
「あ、そうだね……」
月華は、炎家の軍に追い付かぬように気を使いながら、慣れない岩山を登ったことでかなり疲れているようで、少し反応が鈍い。
「お前は休んでろよ、火ならオレが……」
「待ってくれ、
さっさと薪で焚火を組み始める橙馬を俺は止める。
今はまだ火を熾さないほうがいい。完全に夜の帳がおりない内は、洞内で起こした火の煙を誰かに悟られてしまうかもしれない。だからといって煙が漏れぬように洞の穴を埋めるわけにもいかない。陽が落ちきってしまった後ならば、それらの心配もぐっと下がるだろう。
そう思い、制止をかけたのだが、気を利かせて動こうとしたのであろう橙馬は特に理由を問い返してはこなかった。
ただ機嫌を損ねたとばかりに口先を尖らせ、大仰に顔を背けた。
きっとこちらが言う前に俺の意図を察したのだろう。
二人を俺が護らなくてはと思うばかりに、ついつい子ども扱いしてしまうが、橙馬は充分に頼りになる。こういった童らしい素振りも多々あるものの、聡く、幼いながらも武人としての素質もある。
「
見兼ねたように、月華がそう言う。
いかんいかん、ついつい自分がどうにかしなくてはならないと余計な気の張り方をしてしまう。もっと成長しようとする二人を信頼し、互いに支えあわなくては……
そうすると、二人と約束したのだから。
「あぁ、そうだな」
焚火の準備などとりわけ大した作業なわけでもなかったが、気持ちを改めた俺は、「頼む」と二人に伝えた。
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