第十幕 理解者
「
幕舎の中、人を呼ぶ声が勝手に厳しくなった。
「はっ、はい!」
明らかに機嫌の悪い声に、呼ばれた
「城まで帰るのにあと幾日かかる?」
「はい……その、四日程度と考えます」
ビクビクと身体を縮こませ、消え入りそうな声で応える陸土に、不憫さを感じた。八つ当たりでしかないことを自覚している分、大の男が怯える様は、自分の器の小ささを感じさせられる。
「わかった……明日陽が上り次第出立する。全軍が峠を越えきるまでは野営地は組まない」
「わ、わかりました」
語気を弱め通達するも陸土は変わらずどもったまま、後ずさるように下がっていった。
「はぁぁ」
目に見えそうなほどの溜め息が、堪えきれずに溢れた。
「大丈夫ですか?
空気のように自然と脇に控える
父上から託された帰還時の全軍指揮。念願叶った指令ではあったが、これが中々に困難だった。
今回の
三万程度の兵、例え経験がなくともすべきことはただ自国の城へと行軍するだけ、炎家の嫡男として出来て当然のとだ。
問題なのは、各地で樹仙導によって住み処を奪われた民共、その数五百。兵の数からすれば半分にも満たないこの被災民達がどうにも厄介だった。
訓練を受け、従順で統率のとれた兵達と違い、被災民はただの農民。しかも殆どが小さな村で自給自足で暮らしている高齢な者ばかりだ。その足取りは遅々としていて、体力もない。
けれど、多少老齢でも、まだ子供を産める齢の女の姿もちらほらとある以上、無下に扱うことも出来ない。
父はこうなることを予期して、俺に指揮権を与えたのだろうか。あの人のことだ、完全にこうなることが目に見えていて、その上で俺に託したに違いない。
幾人かの利用価値のある女と、ほんの少しの兵力増強、国を栄えさせる手駒として、善人のふりをして木家の領地の民をかっさらってきたにも関わらず、面倒な後始末を押し付けたに違いない。
いや違うか、こうなったのは俺がいらぬことを父に吹き込んだからこそだ。そうでなければ、父は俺にこの役目を与えなかっただろう。
そして、父自身が指揮を執っていたとしたら、例え国へと辿り着いた際にその数が半分になっていようとも、付いてこられぬ者は放っておいたに違いない。まぁ、女だけは手厚く連れていくかもしれないが……。
やはり俺は、父が見越していた通り、まだまだ若輩者だ。父のように冷酷にはなれない。
「正しいご判断だと思います」
俺が黙りこんでいることを心配したのか、藍蓮が恭しくそう言った。
「……あぁ」
「差し出がましいようですが言わせて頂きます」
いつも口数の少ない藍蓮が珍しく言葉を重ねる。
それほどに浮かない顔をしていたのだろうか。
「この先の山脈は、木家と炎家の領地を区切る地。どちらの領地でもなく、岩場で路も狭い。賊の襲撃に対抗するのすら難しい。一気に越えてしまうのが最良です」
「……そうだな」
「はい、その上、戦時下ではない今は国境の警備も手薄。城下に着くまでは、例え領土とはいえ安全とは言い難い。峠を越えた後一度体制を整えるのが合理的だと考えます」
まるで俺の考えを写し取ったかのような藍蓮の言葉に、父との差を痛感していた俺は、今の自分の立場、すべきことを思い出す。
そうだ、別に俺は父になりたいわけではない。
自身の力を示し、父と違うやり方で、俺が炎家の嫡男であることを父に認めさせたいのだ。決して父の思う通りに、父の現身と思われたいわけではない。
「藍蓮」
「はっ!」
俺の声に力が戻った事を察し、藍蓮はさっとかしずく。
幼き頃から共に過ごして来た藍蓮。
だが、一国の主の嫡子として、城の中で何不自由なく暮らし、文武を学んできた俺とは違い、藍蓮はたった一つしか歳が変わらないというのに経験も知識も豊富だ。
俺同様此度が初陣ではあるものの、父であり我が国一の武将でもある
今この場において俺が誰よりも信頼出来る相手であることは間違いなかった。
「明日の行軍、お前に殿を任す」
殿。それは、遅々とした連携のとれていない現在の状況において、最も重要な役目であった。
本日までは経験の多い武将にその役目を任せていたが、明日以降の行軍の速度を上げるためには俺の理解者である藍蓮が適任に思えた。
「有り難き幸せ。必ずや果たしてみせます」
藍蓮は一瞬の逡巡もなく、その任を受け入れた。
「あぁ、頼んだぞ」
満足気に頷く。これで全て上手くいくわけではないが、父の掌の上から脱け出せたようで、少し気が楽になった。
果たして、その当の父、
もし会えていたとしたら、その時はあの男児も共に炎家へと連れてきてくれるならば有り難い。
なんの見返りもなく人助けをするなんていう精神は到底理解出来ないが、現在炎家にいる藍蓮以外の武将達よりは、俺の事を理解してくれるような気がした。
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