第九幕 知らなくてはいけないこと


 いよいよ白蛇河はくじゃこうを渡るべく、乗せてもらう約束になっている交易船の出る港を目指すわたし達は、互いに支えあいながら慣れない旅路を進んでいる。

 路銀を稼ぐために長く滞在していた前の街で、互いに想いを隠していたわたし達だったが、わたしととうが隠れて外出していることをそうりゅうに知られてしまったことをきっかけに、お互いの気持ちを包み隠さず伝え、今は以前のような兄妹の関係に戻っていた。

 故郷である隠れ里を出てからずっとどこかよそよそしかった蒼龍も、それがわたし達に辛い想いをさせていることに対する悔恨からくるものなのだと話してくれた。

 わたしとしては蒼龍には十分感謝しているし、そうやってわたし達のことばかり気にされてしまうのは申し訳なかった。

 だから、蒼龍が自分の気持ちを話してくれたことはわたし達のことを信頼してくれていることが伝わってきて嬉しかった。


「あっ!」


 ふと気づくと、わたしの手の中にあったお握りを横から橙馬がぱくりと一口食べていた。

 橙馬はすっかり自身の分を食べ終えていて、わたしがぼーっとしているのをいいことにわたしの分に目をつけたようだった。


「ちょっと、橙馬!お行儀悪いよ、横取りするなんて!」


「うるへー!お前がずっと食いもしないでそうやって持ってるのが悪いんだろ」


 抗議するも、橙馬はわざとらしく咀嚼してゴクリと飲み込んで見せる。

 確かに橙馬の言う通り、蒼龍が以前のような優しい蒼龍に戻って良かったとか考えていたわたしも良くなかったかもしれないと思い、慌てて残りのお握りを食べ始める。

 ただでさえ、わたしのせいでこうして休憩をとってもらっているのだから、もたもたしていちゃいけない。


「ははっ、橙馬、足りなかったのなら俺のをやろうか?」


「いらねーよ!別に足りなかったんじゃねぇって。っつーか、お前もずっと喋ってばっかりじゃなくてさっさと食えよ」


「そうだな……」


 橙馬にそう言われ、ようやく蒼龍もお握りを食べ始める。けれど蒼龍はわたしと違ってたった数口でお握りを食べ終え、そのまま橙馬と今後の話を続けた。

 わたしは、そんなに食べるのが早くないので、大人しくお握りを食べつつ、二人の話に耳だけ傾けていた。


「それで?この後山を越えるって言ってたよな?馬を買えるような街がないとも。あと五日間はずっと野営するってことか?」


「あぁ、そうだ。えん家の領地の中心部に入国はせず国境沿いの山間部からそのまま家の領地へと入るつもりだ。距離と日数を考えたらそれが最善だ」


「……だったら、出来る内に食糧を確保しといたほうがいいな。今あるだけじゃ足りねぇだろ?」


「あぁ、この先の山は岩場だと言うしな。だが、馬がないからある程度で構わない」


 逸早く食事を終えた橙馬は、大体の話が済んだところで、直ぐに次の行動に動こうと腰を浮かせる。

 わたしはやっとお握りを食べ終えたところだった。このままでは橙馬に置いて行かれてしまうと、口の中のご飯を竹筒の水で流しこむ。

 けれど、まだ座ったままの蒼龍は、立ち上がった橙馬を引き留め、一層深刻な表情で話しを続けた。


「―――それとな、今から行く炎家のことなんだが、炎家の当主えんこくは今の世において相当な有力者だ。その上、冷酷だと訊く。もし月華の事を知られれば必ずその力を我が物にしたいと考えるだろう」


 炎黒麒。

 有名だと言うその人のことをわたしは知らない。

 それだけじゃない、これから行くという花家やよう家、今までいた街を統治しているというもく家。それぞれの国を区別するため、国の領土それぞれに冠名を用いていることくらいは知っているものの、狭い隠れ里には、橙馬たちの『くう』とわたしの『てん』しか冠名かんむりなが存在しなかったので、世間で当たり前に知られているであろうそれらの冠名の人たちのことも、その人たちの一族がどんな髪の色をして、瞳の色をしているのかもわたしは知らなかった。


「わかった……じゃあ、今まで以上に気を引き締めないとね」


 わたしはそう言って、橙馬と顔を見合わせ、力強く頷く。

 それでも、蒼龍の深刻な表情は充分には晴れなかった。

 里を出てからまだそんなに日は経っていない。

 わたしにはまだ、強くなるだけではなく、もっともっと知らなくてはいけないことが、やらなくてはいけないことが、たくさんあるのだ。

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