第八幕 庇護すべき人
「キャッ」
小さく悲鳴を溢して、
「そろそろ休憩しよう」
視界の先に、木々が少し拓けた場所を捉え、そう提案した。
「ううん、わたしなら大丈夫だから……」
月華が首を振り、もう少しだけと言うが、息こそきれていないものの、その声には疲労が見られた。
「いや、この先の話もしたい。一緒に昼を済ませてしまおう」
先程見えた木立の隙間に一足先に踏み出し、安全を確認してから橙馬へと合図を出す。
陽は随分高い位置にある。そろそろ昼時だ。ここで食事を済ませてしまったほうがいいだろう。
「なぁ?やっぱり一頭だけでも馬を用意したほうが良いんじゃないか?」
少し遅れて木立を抜けてきた橙馬がそう訊いてくる。
隠れ里から乗ってきた馬は街に逗留するに辺り売ってしまった。だが、体力がある橙馬はともかく山歩きに慣れていない月華には必要だったかもしれない。
「そうだな……だが、この先に馬を工面出来そうな街もないしな……」
荷を下ろし、一息整えるための準備をしつつそう応える。
「ごめんなさい……わたしが足手まといなばっかりに……」
「いや、そんなことはない。それに、馬まで手が回らなかったのは俺の稼ぎが悪かったせいだ」
外套を外し、ペタンと腰をおろした月華は、シュンと肩を落とす。俺はその柔らかな髪に手を伸ばし慰めるように撫でる。
「ううん!
「いやっ、そんなことは……」
「だーーーっ!もうそういうのはやめるって話だったろ!」
「そ、そうだったな……」
尚も互いに自分の咎を並べる俺達の間に、橙馬が割って入った。月華の頭に置いていた指先が引き剥がされるように払われる。
「それに、月華!お前話し方!」
「あっ……ごめん」
昨日、俺と月華、橙馬の三人は今まで目を逸らしてきた問題について、話し合った。月華達の故郷である隠れ里を追われた時から感じていた疎外感と無力感を俺は二人に正直に話し、月華と橙馬は、自分達が抱えている不安とそれを拭うために密かに訓練をしていたことを話してくれた。
今までその気持ちをそれぞれが隠してきたことにより、俺は二人から極力距離を置くようになり、月華は自身の無力さを感じて強くなろうと屋外に出るという危険を犯し、橙馬は俺達二人の間で双方に嘘を吐き続けなくてはならなくなってしまった。
だからこれからは、そうやって自分を責めることも、互いに気持ちを隠していることもやめようと決めたのだ。
「……それで?この後どうすればいいんだ?」
木立に寄りかかるようにして腰をおろし、昼食用にと持ってきた握り飯を頬張りながら橙馬が訊く。
「この先の山を越え、まずは
昨日まで逗留していた街で働きながら得た情報を俺は答える。
俺達の旅の目的地である
「なんで真っ直ぐ花家の領地に行かなかったんだ?」
「あぁ、それはな……先日まで滞在していた街の領主、
「はぁ!?戦ぁ?」
誰かに聞かれているというわけではないが、思わず話の内容に声を潜めた俺の言葉に、驚きも顕に訊き返した橙馬は、米が喉に詰まったのか盛大に噎せた。月華が慌てて水の入った竹筒を差し出す。
「昨日までいた街は……戦が迫っているって感じではなかったけど…………」
二人がどれくらい国の情勢を知っているかは判らなかったが、この旅の中である程度外に出て動いていた橙馬はともかく、月華に到っては木家や花家等、今の世にて権力をもっているいくつかの一族の名前も知らない状態だった。
そのため、今までは進路については全て俺が決めており、それに二人がついてきているだけだった。
だが、今後を考えるとある程度は折をみて話していく必要があるかもしれない。
俺自身、まだ故郷を発って然程時間が経っていないので詳しいとは言えないが……
「木家と花家は、どちらも白蛇河の北側に領土を持っていて、木家は
白蛇河の北側には、計六つの国家が存在し、白蛇河に面する木家と花家は、それぞれ南方との公益や漁業によって栄えてきた。面積としては花家のほうが白蛇河に沿うかたちで存在するため、より造船技術は長けているが、今まではさした争いもなく、良好な関係を保ってきていた。
だが、数年前花家は一国の主としてまだ年若い女性をまつり上げたのだという。これも天仙の呪と呼ばれる女人が生まれなくなった事による影響なのだろう。それによって国の方針が変わったらしい。
「なんでも、最近花家は自国の北にある炎家との関係を深め、これを機に領土を拡げんと画策しているという話なんだ」
「……なるほどな、だから遠回りにはなるけど、一度炎家の領土に入ってから花家に入んのか」
噎せたことを忘れてしまったのか、残りの握り飯を口に放り込みながら橙馬が言う。今度はしっかりと水を流し込み、咀嚼している。
「……樹仙導の影に怯えてはいたけれど、あんなに街は平和そうだったのに……」
呑気な橙馬に対し、心の優しい月華は、たった数日滞在しただけでなんの縁もないあの街が戦渦に見舞われる事を憂いていた。両手で持った飯も一口噛んだだけで進んでいない。
「大丈夫だ……戦というのはあくまで噂だからな、ただ実際の問題として、木家の領土から花家の領土に入る関所は警備が厳しく、入国には割符が必要らしいから、こちらの進路を選んだんだ」
手を伸ばし、ポンポンと軽く月華の頭を叩くように撫でる。すると、強張っていた身体がすっと弛緩し、こそばゆさを隠すようにぱくりと一口飯を含んだ。
割符が必要という話は、今回乗せてもらう手筈になっている交易船の船乗りに聞いた確かな話だ。路銀の関係で連絡船に乗ることが出来ないことを話すと、ならばとこちらの進路を勧められたのだ。割符の発行には、出入りの商人や船乗りでもない限り、木家、花家双方にそれなりの金を払わなくてはならないから、と。
「…………ただ、やはりこちらのほうが道は険しくはなるし、時間も限られている。苦労をかけてすまないが、頑張ってくれ」
「大丈夫よ、蒼龍。これまでだって平坦な道のりだったわけじゃないんだし、野営にも慣れたわ」
「そうか。そう言ってくれると助かるよ」
「うん、わたしも心配かけないように頑張るから」
「ああ……」
そう言って頬笑む月華の頬へと手を伸ばす。桃色のふっくらとした唇のすぐ横に米粒が付いていた。
それを指先で掬いあげるように取ってやると、唇よりも更に紅く頬を染めて、恥ずかしげに小さく「ありがと」と呟く。こういったところを見ると、しっかりしているように見えてまだ十の童なのだと感じさせられる。
俺がちゃんと護って、導いてやらなくては、と。
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