第七幕 一矢報いる
「父上、国に戻られるとは本当ですか?」
軍議を行うための一際巨大な幕舎の、簡易的な玉座に座す父に向けて、俺は開口一番そう問うた。
「あぁ、そうだ」
半ば問い詰めるように訊いたというのに、父は悠然と答える。
燃えるような赤い髪、茶の鋭い瞳、さして大柄な訳ではないにも関わらず風格と威厳に満ちて実より数倍大きく見える体。
これが我が父、
「何故ですか?」
最高責任者である父が決めた事は決して覆る事のない事項だ。そんな事は解っている。承知した上で、それでも理由を訊かずにはいられなかった。
だが、初陣として出征した俺は、その間、戦場に立つ事もなければ、昨日抜け出した事を除いてろくに外に出ることすらなかった。
なのにも関わらず、明日には自国に向け発つと言う。納得出来る訳もなかった。
問い詰める俺を父は興味深げに眺める。その眼差しには僅かに蔑みが含まれているように見えた。矮小な者を見る眼。
「樹仙導の指導者である
「!?」
父は僅かに考える素振りを見せてから端的にそう告げた。
「奴は何処に?」
「北だ。麒麟山の東、木一族が治める土地の最北にある街。奴らはそこの領主を討ち、我が物としたそうだ」
「……なれば、このまま北上したほうが良いのではないですか?」
「いや、一度自国に戻り態勢を立て直す。最北の地を治める
「……そうでしたか」
内心歯噛みしつつ、低くそう返した。何も考えていない言葉を発した事を恥じているわけではなかった。次の戦こそ俺は戦場に出して貰えるのか、と訊ねる事が出来ぬ自分の不甲斐なさが苛立たしかった。
訊いたところで返ってくる答えは分かっている。「上に立つ者は兵の前に出るべきではない」といったところだろう。胸の内では跡取りをいかに見映えよく立たせ、血が傷付かないことしか気にしていないくせに。
父の眼は言外に「退がれ」と云っていた。もう話すことはない、後は自分で考えろという風に見えた。
連合軍の盟主が氷青である事が気に入らず、虫の居所が悪いのだ。
なんせ氷一族は今や各国がそれぞれ樹仙導討伐に乗り出している中で、未だ軍を出していないのだから。
正直、悔しさは否めなかった。
果たしてこれを初陣などと言えるのだろうか。
きっと次の戦に駆り出されることもない。他の国の者が盟主を務める戦に、実戦すらままならない人間を父は連れていかない。
もしかすると、父本人すら、次の戦にさして力を割くつもりすらないかもしれない。
悔しさは、何でもいいから一矢報いたいという下らない反抗心に変わった。
「…………そういえば父上、」
幕舎の入口まで歩き、ふと思い出したように背を向けたまま口を開く。
本来このような態度自体無礼な事だ。いくら親子とは言え、今は軍の中、大将である父に対してはかしずくのが当然だ。
「……翡翠色の瞳の女を見ました」
それは憎まれ口にも何にもなっていない言葉だ。
だが、父にとっては気にはなるはずの言葉だった。
父が、翡翠色の瞳を持つ女に執心な事は知っていた。本人に直接聞いたわけではないが、幼い頃からまるで戒めのように母に云われ続けてきたことなので、間違いないだろう。
母曰く、父は母と出逢うよりも前からその女を探し求めていて、それは今も変わらず、その女のことだけは片時も忘れないのだという。
父と母はこの時代当たり前ではあるが、家柄を重んじた政略結婚だ。元々恋慕があって添い遂げたわけではない。それでも母としては、婚姻を結んだ今となっても父の心の中心に別の女がいることが面白くないのだろう。
事あるごとに、母は息子である俺にそう溢していた。なので昔はその翡翠色の瞳の女が俺の実母ではないかと思ったこともある。茶と翡翠が混ざり、黄金色のこの瞳になったのではないかと……。
だから、俺の中ではまるで父上に対する切り札のようにその翡翠色の瞳の女という言葉は刻まれていた。
「それにしても、翡翠色の瞳なんて珍しいですよね。どこの血筋の――――」
まるでやり込めているかのように得意気に紡ぎだした言葉は、最後まで継ぐことは出来なかった。
――――玉座を立った父が腕を掴んでいた。
「何処で、見た?」
思惑通り―――とはいかなかった。
腕を掴んだ父の力は恐ろしい程に強かった。
一応は戦に駆り出された身。軽装ではない。籠手などの装備は身に付けている。
なのにも関わらず、万力で閉められたように握られた腕は、肌にまで痛みが伝わってくる。
その上射抜くような眼差しも息が詰まる程で、決して息子を見詰める眼差しではない。
これが、歴戦の覇者の眼力か……
「――ひ、東の街にて」
本能が実の親に対してにも関わらず怯え、勝手にそう答えていた。
「翡翠色の瞳の女を見た」この言葉は嘘だ。偶然あった出来事に結び付けて言った出任せだ。
俺が見たのは、「翡翠の瞳」だけで「女」ではない。昨日偶然に出会ったのは、翡翠の瞳をもつ、俺と年端の変わらない、女のように美しい相貌の男児だった。
だが、まさかここまで父が過剰に反応するとは思わなかった。
そのため、訂正することも、誤魔化すことも出来ずに、云うべきではない、ありもしない真実を言ってしまったのだ。もう後戻り出来ようはずもなかった。
「
父は、投げ捨てるように俺を解き放つと、天幕のすぐ外に控える
「はっ!」
風の疾さで呼び掛けに応じ、
「私は東の街に行く。お前もついてこい」
「はっ!」
火群は、言い放たれた父の言葉に、疑問すら持たなかった。既に撤退命令は側近である火群なら伝わっているはずなのにも関わらず。
今までの話を聞いていたかは判らないが、火群が従順に動いたことで、俺は更に言ったことを覆すことが出来なくなってしまった。昨日出会ったあの
「
父が今度は俺の名を呼ぶ。友と呼べる者がいない俺には、父と母しか呼ぶことのない名を。
「お前に大役を命ずる。炎家の嫡子の初陣に相応しい大役だ」
父が、まるで俺の思惑を解っていたとばかりに口の端をにやりと吊り上げ言った。
「
「!?……はっ!」
告げられた言葉に、罪悪感が一瞬にして吹き飛んだ。不遇に扱う父に一泡吹かせてやろうなんていう思惑等どうでもよくなった。
身体が勝手に、後れ馳せながら、嬉々としてかしずいていた。
勿論、陣を抜け出したことを咎められなかったことに喜んだわけではない。全軍の指揮を初陣で執れるなんてこれ以上にない名誉だ。父の手の内で転がされていると解っていても断る等という選択肢があろうはずもない。
「此度の戦では、樹仙導に虐げられ、国を追われた民も明日陣に合流する。その者達は我が国の民として受け入れる予定だ。ただ自国へ帰還するだけのものではない。心してかかれ」
「はっ!」
掌と拳を合わせ、その間に埋めるように下げた顔がにやけるのを俺は必死に隠す。
ただの気紛れでしかなかったが、あの陽月という者に出会えたことは、これ以上にない幸運だったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます