第六幕 成果


とう!」


 少し離れた建物の影で手招きする見慣れた姿に、わたしは駆け寄った。


「大丈夫か?とりあえず宿に戻ろう」


 橙馬は、わたしの無事を確認すると、はっと思い出したようにわたしの手をとった。

 後ろを振り返れば、さっき野盗に襲われていた少年がまだこちらを見ていた。

 そういえば、名前聞くの忘れてたな……

 でも、ちゃんとお礼も言ってくれたし、悪い人ではないよね……

 橙馬はわたしの手を引いて、歩き出す。確かにこれ以上騒ぎを起こすわけにもいかないので大人しくそれに従った。


「何があった?」


 わたしの手を引く橙馬が堅い声で聞いてくる。先を往く橙馬の顔は半分しか見えないが、心配してくれてる事は判る。


「野盗に襲われている人がいたの。だからつい助けに入ってしまって……」


「さっきのガキか」


「うん、武器は持ってたけど、大人三人に襲われてたから」


 橙馬は念のため宿までの道を遠回りしているようだった。人通りの少ない道を選び、なるべく多く角を曲がるようにして進んで行く。


「なるほど……身なりが良かったし、どこかのお坊っちゃんとかなんだろうな……って、お前、言葉遣い!」


「あ、そ、そっか……でも大丈夫。さっきまではちゃんと気をつけてたんだよ。さっきの子も気付いて無かったみたいだし」


 わたしは慌てて言い繕う。

 嘘を吐いたわけではない。本当に彼はわたしが女だなんて思っていないようだった。でもそれは、わたしが男に見えたというよりも、女がいるわけがないって思い込んでるだけみたいだったけれど。

 だけど、お金を貰わなかった事は言わないでおいた。お金はわたしの勝手な判断で貰わなかったが、唯でさえお金がないことで足止めされているのに貰わなかったのは橙馬と蒼龍に申し訳無い気がした。

 でも、でも、助けた事でお金を貰ったらあの野盗と同じだと思ったのだ。


「それで……どうだった?」


「どうって?」


「闘いだよ、実戦初めてだっただろ?」


「あ、うん。……驚いた。あんなに簡単に大人の人を倒せてしまうなんて…………」


 わたしは橙馬と繋いでいないほうの掌を見た。

 まだ感触が残っている。人を殴り付けた感触。武器の峰が人の体にめり込む感触。

 それだけではない。戦いのピリピリとした空気感も殺気も肌に残っている。


「あぁ、オレも最初ビックリした。大人に太刀打ち出来るなんて思ってなかった」


「うん、そうだね。自分が強いなんて思うつもりはないけど……」


 ふと、早足だった橙馬の足が止まった。自分の掌を見ていた私は思わず橙馬を見上げた。見上げた橙馬の表情は笑っていた。心配して怒っているんじゃないかと思っていたから、そんな風に優しく笑って貰えるとは思っていなかった。


「ちょっとは安心したか?」


「え?」


「言ってただろ?自分は足手まといなんじゃないかって」


 橙馬は眉尻を下げた優しい表情で、でも真剣な顔でそう言った。


「これで解っただろ?お前は足手まといなんかじゃない。げっがいるからオレは頑張れる。らいそうだってきっと、そうだ」


「うん、うん」


 橙馬の言葉に、じんわりと込み上げてくる涙を堪えて、外套の裾を顔が隠れるよう引っ張り、何度も頷いた。

 橙馬は、「よし!」と片手でわたしの頭を一つ叩いてから再び歩き出す。


「ところで、橙馬随分遅かったね?何かあった?」


 街の中を橙馬の案内で進む。橙馬もわたしほどではないが、頻繁に外には出ていなはずだが、ちゃんと道を覚えているようだ。

 やっぱり橙馬もわたしよりお兄さんなんだなぁ。


「何かっていうか……まぁ、あったはあった」


「どうしたの?」


「あぁ、雷蒼が帰ってきたんだよ」


「え!?だって、今日も遅いって……」


「あぁ、どうやら出発の目処がたったらしい。それで報せに来たみたいなんだ」


 何度目かの角を曲がったところで、やっとわたしの知っている道へと出た。あと少しで泊まっている宿に着いてしまう。


「じゃあもしかして、バレちゃったの!?わたし達がこっそり稽古してた事……」


 繋いでいる手をぎゅっと引き橙馬を引き留める。

 わたし達のために色々手を尽くしてくれているそうりゅう。それなのにわたし達が勝手にこそこそやっていると知ったらどう思うだろうか……最近ただでさえよそよそしい態度なのに、もしかしたら怒って愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 蒼龍は優しいから、怒ったりはしないかもしれないけど、嫌われてしまうんじゃないかと思うと怖かった。


「大丈夫だって、お前は湯浴みに行ってるって誤魔化したし、アイツもすぐに出なきゃいけないって言ってたしさ」


 ぎゅっと握った手を握り返して、橙馬が励ましてくれる。

 これじゃ、ダメだ。

 ちゃんと、強くならなきゃ。

 わたしは橙馬に勇気を分けてもらうように、繋いだ手を支点に一歩近付いて、再び歩き出した。

 だけど――――――


「おかえり」


 宿の部屋に戻ると、そこにはそうりゅうの姿があった。椅子に腰掛け、腕を組んで、俯いて座っている。

 「おかえり」と言ってもらうのは村にいた時以来だったけれど、その声はその時のような明るいものではなかった。


「ただいま……です」

「おぅ」


 わたしと橙馬はビクビクしつつも、とりあえず返事を返す。


「随分長い湯浴みだったな」


 いつもよりゆっくりと、まるで一言一言を強調するように蒼龍は言う。


「ふ、風呂場の前でちょっと話し込んじまって……ほ、ほらさっき聞いたそろそろ出発って話をしてたからさ」


 いつもと違う蒼龍に橙馬が取り繕うように言う。

 その話し方は、わたしが男装する時のようにしどろもどろだった。言い訳しているのだから仕方無いが、これでは疑ってくれと言っているようなものだった。


「そうか…………さっきあんまり遅いんで風呂場を見に行ったが誰もいなかったようだったが?」


「え゛!?」


 蒼龍の声が一層低くなった気がした。流石の橙馬もビクリと体をすくませる。

 蒼龍はずっと同じ姿勢のまま、こちらを見ようとしない。


「それに……宿の主人に訊いたところ、今日は清掃中で湯を沸かしていないとの事だったが?」


「う゛!?」


 蒼龍は明らかに怒っていた。

 声音が少し低いだけで言葉遣いは変わらないが、確実に怒っている。


「……それで?お前達は何処に行っていたんだ?」


「そ、それは……」


 言い訳を見失って、橙馬が口ごもる。

 呆然とやり取りを見ていたわたしは、はっとして慌てて蒼龍へと駆け寄り、頭を下げた。


「ごめんなさい!」


 きゅっと目を瞑った向こう側で、蒼龍の視線が後頭部へと刺さった。でもわたしは蒼龍に嫌われてしまうんじゃないかっていうのが恐くて、蒼龍の顔を見られない。

「わたしが悪いの!……わたしが二人の足手まといになりたくないからって、橙馬に稽古して欲しいってお願いしたの。だから、だから橙馬は悪くないの!」


 一息に、わたしは言った。蒼龍は何も言わずに聞いていた。


「…………わかった」


 少しの沈黙の後、返ってきたのは溜め息混じりの言葉。

 そして―――――


「……これからは隠し事はなしにしよう。俺もお前達に隠し事はしない。約束する」


「……え?」


 怒られると思っていたわたしは、思わぬ事を言われ恐る恐る顔を上げた。

 蒼龍は―――以前のように優しい笑みを浮かべていた。


「心配した……でも、お前にも同じくらい心配をかけたな。…………もう、大丈夫だ」


 大きな掌が伸びてくる。その手はわたしの頭の上に着地して、ポンポンと優しく撫でていく。

 それだけで心の中の不安がすっと溶けていった。

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