第三幕 不服な初陣
つまらん。
何度も吐き出したその言葉は、もう溜め息として吐き出される事しかない。
「
幕舎の閉じられた幕の向こう側から響く声。許可を出し中へと通す。
顔を出したのはこれまた見飽きた
「何用だ?」
「お食事を召し上がられていないようでしたので、いかがされたのかと……」
元々小柄な体躯をより一層縮こまらせて、陸土は言う。その様を俺は上座に据えられた席で不機嫌さを顕に眺めた。
「要らん。そんな物を何日も喰わされて、飽き飽きしてるんだ」
「ですが、今は陣の中。食事はどうしてもこういった物になるのが当然で……」
「動いていないのだから腹も空かぬ」
「そう仰有られますな……炎緋様は大切な初陣。しっかりと滋養をつけて頂かなくては……」
かしずき、視線を游がせながら言葉を探す陸土に、俺は心底馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「初陣だと?毎日こうして無為に時を過ごすのが戦だと言うのか?」
頬杖をつき、挑発するように言ってやれば、陸土の顔はみるみる青ざめていった。
それすら、もう見飽きた光景だった。
「し、しかしっ、
「陸土様、父が呼んでおります」
尚も言い募ろうとする陸土に、嫌気がさしたその時、再度幕が開き、
継ぐ言葉に窮していた陸土は明らかに安堵し、そそくさと出ていく。本題であった食事のことなどすっかり忘れているようだった。
「お話の最中、断りもなく失礼致しました」
陸土と入れ替りに入ってきた藍煉は、背筋を伸ばし深々と頭を下げる。その儀礼的な仕草は、年季が入っていないにも関わらず陸土のものより数倍ましに見える。
「いや、助かった藍煉」
「そうですか」
言葉少なに恭しくかしずく藍煉に、俺は思わず口の端を上げた。
藍煉は俺の一つ上、来年元服を迎える齢。
父上の側近、
「それにしても、憐れなものだな」
「憐れとは……陸土様の事ですか?」
「あぁ、名家
逃げるように離れていった陸土の背中を思い出し、皮肉げに嗤う。
陸土は、古くから炎一族に仕える陸一族本家の血筋だった。しかし、武の才に恵まれず、妻は数年前に病に倒れ、嫡子もいない。衰退、いや滅亡の一途を辿っている。
その上、永く仕えていた父上にも見放され、炎一族嫡子の教育係という名ばかりの役職に追いやられた。
「そうですね……しかし、陸一族は分家筋もそれなりに繁栄しているのでは?」
「あぁ。だが、分家筋は炎一族には仕えていない。最近じゃあ南方の陽一族と懇意にしているらしい。しかも本家と分家はほぼ断絶状態だ」
「成る程……そう考えると確かに陸土様は不憫ですね」
「……にしても、つまらぬ。その上、腹も減った」
藍煉は俺と同様此度が初陣だった。本来初陣は元服を過ぎてからだが、俺が出陣するという事で追従したというほうが正しい。
だがその実、俺と藍煉は戦場に出る事がなく、こうして幾日もの間幕舎に閉じ込められていた。
我が父、
体裁ばかり気にするあの人らしい。
「なぁ、藍煉?」
俺が思いのままに愚痴を溢すのを見ても余計な口を挟まない藍煉に気を良くし、俺は提案した。
「俺はこれから近くの街に行ってくる」
「街に……ですか?」
「あぁ。確かこの陣の東に街があっただろう?」
「はい、ございます。確か領主は木一族の者だったかと……」
「そうだ。日没までには帰る。その間お前はこの幕舎の前で人払いをしててくれ」
「承知しました」
無茶とも言えるその要求にも藍煉は素直に従う。
俺はやっとこの平坦な日常から解放されんと、裏手から幕舎を後にした。
父上は、炎一族であるという事を誇りにしている人だった。冠名の祖となる炎の名を護るため、世に知らしめるため、それだけのために生きているような人だった。
俺はそんな父上の唯一の嫡子だ。炎一族の血を受け継いだ唯一の存在。
だが、そんな俺を産んだ母がどこの誰なのか、それを俺は知らない。
仙女の呪によって女人が産まれなくなった今の世で、数少ない童は貴重であり、それが間違いなく炎一族の血を継いでいれば、それ以外は些事に過ぎない。
けれど、育ての親であり、父上の正妻である母上と俺とに血の繋がりがないことはその風貌で明らかな事だった。
炎一族の血筋を示す赤い髪。それだけで炎一族の嫡子である事はまごうはずもない。例え、父上の茶とも、母上の黒とも違う黄金色の瞳を持っていようとも……
幕舎を出た俺は一路近くの街を目指した。
金ならある。適当に飯を食ってぶらつけばすぐ日暮れだ。そう思い、適当な店で陣中の食事よりは幾分かましな食事を終えた時だった。
会計を済ませ表に出ると、後を追うように数名が店を出てきた。それだけなら偶然として片付けられるが、宛もなく歩き出した俺と一定の距離をあけてついてくるのならば偶然とは言い難い。
まずいな……
数は三人。年齢はまちまちだが元服は済ませているだろう。身なりは良いとは言えない。賊とまではいかないが、金があるとは思えない。
俺が足を止めれば、後ろの男達も慌てて止まる。
俺が道を曲がれば、男達も見失わぬよう歩を速めついてくる。
後ろに気付かれぬように自然に、俺は敢えて人通りの少ない道を選び進む。段々と街の中心地を離れるにつれ、周囲の人影は減っていく。男達は誘導されていることにも気付かず、変わらぬ距離をあけつけてくる。
人が減ったにも関わらず襲いかかってこないところを見るに、大して手慣れてもいない小物だというのが窺える。
街の果てまで来たところで俺は足を止めた。
「おいっ!」
歩みが止まったのを見計らい、しゃがれた声がかけられる。此方が足を止めるまで声をかけてこないとは益々矮小さを感じる。
無言のまま振り返った。剣の柄にはまだ手をかけない。だが直ぐにでも切り結べる姿勢を取る。
「つけられているのも気付かず、こんな町外れに来るなんて呑気なもんだぜ」
「仕方ねぇだろ、いいとこのお坊ちゃんなんだからな。大方
「民のことも顧みずいいご身分だぜ」
嘲るように鼻で笑い、憎しみのこもった目でこちらを睨む。視線は力量を映す鑑だ。熟練者であれば視線だけで相手の戦意を喪失させる。俺にもそこまでの殺気を放つ視線は放てないが、こやつらはそれ以下。
「有り金、置いてけ」
そう言い放ち、腰に下げた獲物を抜き放つ。ろくに手入れのなされていない刀は錆びた鈍い光を放った。
「なんだ、怖くて声も出ないのかぁ?」
間合いをはかりながら機を窺う。騒がれない内に仕留めたい。
近付いてきたところで一人斬り捨て、残りは動揺が収まらぬ内に終わらせる。
「ちょっと痛い目みねぇとわかんねぇかなぁっ!」
黙ったまま動かぬ俺に焦れて、男の一人が得物を大振りに振り上げる。
その瞬間を見逃さず構えをとり柄に手をかける。
しかしその刹那―――――
「待ちなさいっ!」
思わぬ横槍が入った。
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