第一幕 三人の旅
わたし達の旅は決して楽なものではなかった。
地図の上で言えば、ただただ南に、海に到るまで進めばいいだけの事。けれど、実際には大陸を二分する大きな
その大きな河を渡るためには、何処かの国へと入国し、南下する船に乗せてもらう必要があった。
しかし、大陸の東側は樹仙導が日に日に勢力を増しており、各国の警備は厳しくなっていた。勿論、どこかの都への入国、関所の通過、貿易船への乗船も難しい事となっていた。
「
「あぁ。すまないな……食事は二人で済ませて欲しい。帰るのは、夜半になる」
朝、陽が昇るとすぐに蒼龍は宿を出ていく。
村を出てから半月程。わたし達は龍河を目前とする所まで来たものの、路銀も底を尽き、数日間停泊を余儀なくされていた。
「いってらっしゃい、気をつけて」
「……あぁ」
辛うじて寝台が二つある、酒場の上にある宿の部屋を蒼龍は出ていく。
既にこの宿で二度目の朝。
今までは山や森での野営だった。こうして宿を使ったのは三度。今までの二軒はどちらもたった一晩だけ。
情報を集め、必要なものを買い、寝台が一つしかない最低限の狭い部屋をとり泊まっていた。
一つしかない寝台をを使うのはいつもわたし。
だから、わざわざ二つの寝台がある部屋を蒼龍が選んだ時点でこの地に数日間停泊する事を示していた。
そして二つある寝台は一つをわたしが使い、もう一つを
「全部やってくれてるのは蒼龍なんだから、蒼龍にもちゃんと休んでもらいたいのに……」
静かに戸を閉め、見えなくなった背中に向け小さく呟く。
直接言えないのは、蒼龍の態度が以前と違ってよそよそしいから。言ったところで取り繕うように笑って「大丈夫」と言われるだろうから。
わたしは溜め息を吐き、未だ埋まったままの寝台を見る。そこには、口を開けて無防備に眠る橙馬の姿があった。
「呑気だな、橙馬は……ってそんな事言っちゃ駄目だね」
一向に起きる気配の無い橙馬に近付き、その頬を指先でつつく。幸せそうにむにゃむにゃと口を動かすだけで起きそうにない。
こんな風に橙馬の寝顔を見るのは久しぶりの事だった。旅の中で寝ている姿を目にする事はあったけれど、熟睡する事など出来ていなかった。
一緒に暮らしていた頃はいつもこうして側にいたのに……。
村が燃えていく姿を目の当たりにしたあの山の上で、蒼龍から貰った長老様からの文。
そこには、わたしの生い立ちについての説明と、村の皆がわたしを逃がし守ろうとしてくれた事、そして今後私がどうすればよいのかが書かれていた。
そして最後に一言、文字の隅が微かに掠れた言葉が書き足されていた。
『お前の事を本当の家族だと思っているよ』
その一言。その言葉がわたしを動かした。
嬉しくて、切なくて、悔しくて、動かずにはいられなかった。
ずっと感じていた疎外感。両親がいない事への孤独感。結果、わたしは身勝手に長老様の元を離れてしまった。けれど長老様も村の皆もそれを赦し、変わらずわたしを比護してくれていた。その上、命をかけて私を守ってくれたのだ。
それは決して仙女の娘だからではなかった。
それをあの一言が教えてくれた。
その気持ちを無駄にする事は出来なかった。決してしたくなかった。
「どうした?」
「!?」
ふと気付くと、寝台に投げ出された橙馬の手を握っていた。
そしていつの間にか、握った手は優しく握り返されている。
「起こしちゃった?」
「まぁ……痛いくらいに手ぇ握ってきたからな」
半ば寝惚けたままの顔で、橙馬は繋がれた手を軽く持ち上げ、そう言う。
その口調はいつも通りぶっきらぼうで、責めるような言葉ではあったけど、どこか慈しむような優しさが込められているように感じた。
「ごめんね?」
「いいよ、叩き起こされるよりマシ。んで?どうした?何かあったのか?」
橙馬は笑って、身を起こし、空いた手で私を撫でる。繋いだ手は握られたまま。わたしも振り払ったりしない。
「……あのね、蒼龍ちょっと変だなって思って……」
向き合って寝台に座り、目線を合わせて言葉を交わす。その距離は近い。体を倒せば互いの胸に飛び込めるような位置。
「……そうだな、素っ気ない感じではあるな」
橙馬は、以前のように頭ごなしに否定したり反発したりはしなかった。蒼龍に対しても何かと敵対する姿勢をとっていたが、それも成りを潜めていた。
そんな橙馬に対して、わたしは頼りがいがあると感じていた。
「うん、最初は疲れてるのかなって思ってたんだけど……嫌いになっちゃったのかな?」
「んなことないって。いくらお前に恩義があるとは言え、
確かに、蒼龍がいなくなってしまえばわたし達は何も出来ない。道も分からなければ、金を稼ぐ事も出来ない。だから、わたし達の事を見捨てて蒼龍がいなくなってしまえばわたし達が目的地に着ける見込みは殆ど無いのだ。逆に言えば、蒼龍はわたし達さえ見捨てればなんとでもなる。
でも、蒼龍はどんなに遅くなっても必ず帰ってきてくれた。
「……うん、そうだね」
「あぁ、だから大丈夫だ」
もう一度、橙馬の手がわたしの頭を撫でる。
今となってはわたし達だけになってしまった家族。小さい頃からずっと一緒にいた橙馬、そしてわたし達を導いてくれる蒼龍、この二人だけが今の私の心の拠り所だった。
けれど、だからこそわたしはその二人のために何かしたかった。護られるだけなんて嫌だった。
「橙馬、お願いがあるの」
「ん?」
「……わたしと手合わせをして!」
「手合わせ?」
「わたし、強くなりたい……護られてばかりじゃ嫌なの」
「それはさ、俺達が信じられないって事か?」
駄々っ子のように我が儘を言うわたしに、橙馬は責めたりせずに優しい声音で訊いてくる。
わたしはブンブンと首を横に振る。
「そんな事ない。信じてる。でも、出来る事がしたいの…………旅の間は食事を作る事も出来ない、買い物も二人に任せっきりだし、わたしは……ずっと足手まといだわ。そんなの嫌…………もう何も知らないまま、失いたくないの」
話している内に勝手に目頭が熱くなり、涙が溢れた。泣きたくなんて無かったが、橙馬の前だとどうしても心が弛んでしまう。繋がったままの掌が、再びぎゅっと握り締められた。
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