第十六幕 二人だけ
夕暮れ時。
窓から見える夕陽は円く紅く……昨晩の光景を思い出す。
オレは、月華の眠る粗末な寝台の横に腰掛け、何をするでもなく外の景色を眺めながら、
考える事は山程あるのに、頭の中はぐるぐると回るばかり。胸の中もぐちゃぐちゃで、悲しいのか悔しいのか判然としない。なのに腹だけは空腹を訴え鳴いていた。
昨晩、僅かな休息をとった山間の丘の上で、俺達は村が燃える様を目の当たりにした。誰がやったのかなど明らかだった。
でもオレ達は村に戻る事はせず、そのまま前へと進んだ。そして、陽が完全に昇った頃に山を下り、近くの村に辿り着き宿をとった。
「……ん」
吐息のような小さな声が脇から聞こえる。起きたのかと思い様子を見るも、月華の目は堅く閉じられている。
じいちゃんからの文を読んだ月華は涙の粒は止まらなかったものの、嗚咽は引っ込めた。
文に書いてあったのは、月華に今まで伏せられていた母親が古の仙女であるという事と、父親が南方にある国主の血筋であるという事。
それを読んでどうして月華が村に戻るのではなく、オレ達と先に進む事を選んだのかは解らなかった。
「……月華、お前は今何を考えてるんだ……?」
月華はまるで現実から逃げるようにほぼ丸一日眠っている。
閉じた眼は真っ赤に泣き腫らされ、伏せられた長い睫毛はしっとりと濡れている。目尻には宝珠のような涙の粒が流れることなく留まっていた。
そっと指先を伸ばし、拭ってやろうとして―――触れる寸前に、綺麗に丸を形作っていたそれは弾けた。
豊かな睫毛が震え、腫れ上がった目蓋がゆっくりと開き、翡翠色の瞳が覗く。
「ぅわっ!」
「……と、ぅま?」
「月華!?起きたのか?」
見慣れない天井に違和感を感じて、思い出したのだろう。寝惚け眼の幼い表情は、半身を起こす間に憂いを帯びたものへと変化する。
「
「辺りの様子を見に行った。ついでに食い物も調達してくるって」
オレが目を醒ましたのは西日が一番強い頃だった。
既に雷蒼は起きていた。オレが起きた事を確認すると、最低限の事だけを告げて直ぐに出ていった。
「……大丈夫か?」
「……うん」
「無理すんなよ、辛かったら辛いって言っていいんだからな?」
顔を近付け、瞳の奥の心の中を覗き見るようにして言う。
月華は驚いたように一瞬目をぱちくりとさせたがすぐにクスリと笑った。
「ふふ、ありがとう、
「へ?……んなっ!?し、仕方ねーだろ。寝台が一個しかなかったんだから!」
「ふふ、ごめんね。わたしに寝台を譲ってくれたからそんな風になっちゃったんだよね?今晩はわたしが床で寝るから」
「何言ってんだよ!駄目に決まってんだろ!?」
「どうして?」
「だ、だって雷蒼もいるんだからよ!」
女のお前を床に寝かせるわけにはいかないとは言えなかった。
「そっか……じゃあ、橙馬とわたしで寝台を使うとか?」
「んなっ!?」
「でもそれだと蒼龍が可哀想か……」
一緒に寝る、という意味のその言葉に思わず言葉を失う。
昔はよく一緒に寝ていたがオレが十を越えたその頃から、流石にそんな事はしなくなった。
それから段々と一緒にいる時間も減って、そして月華が離れて暮らすようになって、オレも村の仕事とか武芸の稽古に励むようになって…………
そう言えば、抱き締めたのなんて久し振りだったよな……
昨晩あの山の上で、昔みたいに泣きじゃくる月華を昔みたいに慰めて、抱き締めた。あれをきっかけに昔に戻ったみたいだった。オレと月華の距離が自然と縮まっている。触れるのも言葉を交わすのも当たり前の事に戻っている。
「ところで、わたし達これから何処に行くの?」
「え?あ、あぁ。オレ達は南に……東南の国、
「陽一族……
陽家。それは南東の一国を統べる名家の冠名。
通常子供は、両親の内父親の冠名を受け継ぐ。父方が婿養子のような場合を除いて。だが月華の場合、婿養子というわけではなかったが、父親が勘当されていた事や、母親が仙女であった事もあり『天』の冠名を継いだ。
「お父さんが外の人だと言う事は知ってたけど、まさか国主樣の息子だったなんて……橙馬は知ってたの?」
「んー、まぁ……実はさ、オレの親父には弟がいるんだよ。その人……叔父さんはオレが五つの時、お前がまだ赤ん坊の頃、村を出て行ったんだけど…………叔父さんはお前の親父さんと仲が良かったらしい。お前の親父さんの滞在を許してくれるようじいちゃんに頼んだのも、叔父さんだったらしいから」
「……そうだったんだ」
「あぁ…………そんでな、叔父さん、
記憶の片隅にしか残っていない叔父の顔。オレがまだやっと歩き始めたっていうくらいの頃、よく面倒を見てくれていた茜寅叔父さん。
叔父さんの所在地を教えてくれたのは、両親だった。もしかすると、今のこの状況を解っていたからこそ、両親は教えてくれたのかもしれない。村が焼かれ、自分達の生死も危うくなるかもしれないからこそ……
「…………皆きっと無事だよね」
オレの気持ちが沈みこんだ事を敏感に感じ取って、月華がポツリと呟く。
月華は周囲の空気や人の感情の変化に敏感だ。
それが仙人の血によるものなのか、はたまた従来の優しい気質故なのか、それは分からない。
「……当たり前だろ!言ったじゃねぇか。あれは元々そういう作戦だった。だから心配ないって」
「……うん、……そうだね」
オレは、言葉が下手だ。言い訳ばかりで、肝心な時に月華を支えてやることが出来ない。
オレが……支えてやんなきゃいけないのに……
もう、オレしかいないのに…………
どうしようもないもどかしさが胸をかき混ぜる。
でも、そんなぐちゃぐちゃしたもんも結局、月華は敏感に読み取って、理解して、許してくれる。
騙して村から連れ出した事も、別れの挨拶すらさせてやらなかった事も、全部引っ括めて、飲み込んで……恨まれたって仕方ないのに、許してくれるんだ。
四つも歳上なのに、甘えているのはオレのほうだった。
「……月華」
泣きそうな瞳で笑う月華の肩へ再び手を添える。
月華は翡翠色の双眸でオレの奥の方を覗き見るように此方を見つめ、頭を胸の中へと預けてくる。胸の中に収まった柔らかな感触に、少しだけ心臓を跳ねさせつつ、受け止め、柔らかな栗色の髪を撫でる。
ほら、また。
自然と距離が縮まって、自ずと体が触れ合って、欠けたものを埋め合うように、オレ達は抱き合う。
でも、それが昔に戻ったわけじゃないというのが今更ながらに分かった気がした。
オレも、月華も、昔とは確実に違う。
けれど、もうオレ達しかいないから、お互いの気持ちが解るのも、想い出を話す事が出来るのも。こうやって埋めあって、甘えあって、折れそうになるのをギリギリで支えているんだ。
でも、仙女の娘だからとか、村の生き残りだからとかじゃない。
月華だから……月華の事が好きだから、なんだ。
それから夕陽が完全に沈み夜が訪れるまでの間。
オレと月華は、慰め合い、不安を補い合い、想い出に浸りながら過ごした。
それは、辛く悲しくもあったが、同時に心地の良い時間だった。
だから、雷蒼がとっくに帰ってきていて、その上でそっとしておいてくれたなんて、オレは気付きもしなかった………
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