第十五幕 赤く燃ゆる


「てめぇなんて事してんだよ!?」


「……許せ、とう


「ゆ、許せねぇよ!オレ達が傷付けてどうするんだっ!」


「仕方無いんだっ!俺達が立ち止まってるわけにいかないんだっ!」


 激昂する橙馬に、俺は怒鳴り返した。

 俺が感情を露にするとは思ってもみなかったようで、橙馬はポカンと口を開けたまま、ビクリと体をすくませ、それ以上何も言えずに前を向いた。

 月華は耳元で騒ごうと目を醒ます気配は無かった。完全に気を失っていた。緊張による疲労も蓄積されていたのだろう。ぐたりと胸へもたれてくる。

 細く健気な体を膝で挟み、片手で背を抱え、前を向く。小さく呼気を吐き、徐々に暗さを増す山道を更に速度を上げた。

 俺は一度間違った。

 郷里を一人旅立ったあの時、最良を選んだつもりが踏み外した。

 あの時俺は死んでいた。武人として終わってしまった。

 それを救ってくれたのは、この少女だった。

 もう誤るわけにはいかない。

 例えそれが良心の痛む事であったとしても、最善を選ぶのだ。

 速さを取り戻した二頭の馬は、麒麟山を下り、そのまま山脈に沿って南下し続ける。

 そして夜も更け、朝が迫り始めた頃、麒麟山と一山離れた見晴らしの良い山の中腹へと辿り着いた。

 視界が開けた辺りで、隣を走る橙馬へと合図を出し、速度を緩める。手綱を引き、斜面が平になった所で停止した。


「……げっは?」


 並べるようにして馬を停めた橙馬は、開口一番そう訊いてきた。心配でたまらなかったのだろう。それでも、よくここまで堪えてくれた。


「眠っている」


 そう応え、月華を抱き上げたまま馬を下りる。

 馬を駆る事になれている俺でも、脚や尻に痺れや疲れを感じていた。村を出た事の無い橙馬にとっては尚更だろう。

 極力石の少ない柔らかな草地を選び、敷き布をして月華を下ろした。

 月華が意識を失ってもう大分時間が経っている。穏やかな寝息をたてている事から見ても、もう俺の与えた衝撃によってではなく、純粋に眠っているのだろう。

 橙馬は横たえた月華の傍へ寄ると、へたりこむように腰を下ろし、スヤスヤと眠る月華を見、安堵の息を漏らした。


「近くに沢があった。水を汲んでくる」


「ちょっと待てよ!……ゆっくりしてて平気なのかよ?」


 立ち上がる素振りは見せず、手だけをこちらへと伸ばし、橙馬が訊いてくる。

 橙馬の心配も解る。結構な距離を進んだとは言えここはまだ麒麟山と然程離れた位置ではない。樹仙導の輩が潜んでいる可能性も無いとは言えないし、夜が明ける前に停留すれば危険は多い。

 だが、このまま無理に進んだところで同じ事。必要以上に消耗した馬を無理に疾らせれば、馬を潰しかねない上、近隣の停泊出来る村に夜明けまでに着ける保証もない。


「そんなに長くは居ない。今の内に休んだほうがいい。月華を頼む」


 ご託を並べる事はせず、簡潔に告げ、馬を引いてその場を離れる。

 橙馬は口を開きかけたものの、何も言わずに腰の刀へと手を添えた。気は急いているものの、疲労のほうが勝っているようだった。

 二人を見晴らしの良い山の中腹に残し、俺は来る途中に見付けた沢を目指す。目視したわけではないが、涼やかな水音と澄んだ匂いは流れのある沢が近くにある証拠だ。

 獣道を掻き分け、程無く下ったところに、やはり沢は存在した。流れは緩やかで、水は澄んでいる。

 流れの向きから察するに、麒麟山きりんざんに連なる山脈から大陸を東から南へと流れる龍江りゅうこうへと流込む支流だろうか。

 馬に水を飲ませ、その間腰に提げてきた人数分の竹筒の水を入れ替え、更には、顔を洗った。頭から水を被るように盛大に、振り払うように大袈裟に冷たい水で文字通り頭を冷やす。

 何をやってるんだ、俺は……

 一頻り、すっかり体が冷える程水を浴びた俺は馬を引き元来た道を戻る。行きよりも随分頭の中がすっきりしていた。

 しかし――――――

 二人を置いてきた丘の上へと戻ると、そこには想ってもみない光景が拡がっていた。

 清流で浄化した筈の頭は、良しも悪しも何もかも考えられぬ程に真っ白になっていた。

 月華は既に目を醒まし、疲れきって座り込んでいた橙馬も立ち上がり、俺のいる方に背を向け立ち尽くしていた。支え合うように並んで立つ二人の手は、堅く繋がれていた。

 そして、並んだ二つの影は夜更けであるにも関わらず、月明かりより何倍も強い、紅い瞬きに照らされ長く長く俺の足下へと伸びてきていた。


「…………燃えてる」


 誰かがそう漏らした。だが、思考等ろくに回っていなくて誰が言ったのかも判らなかった。もしかしたら俺自身のものかもしれない。


「……村が……燃えてる……」


 ぐらりと月華の体が揺れた。崩れかけた月華の体を橙馬が抱き止めるようにして支える。

 俺も反射的に一歩踏み出していた。しかし、二人との距離は随分と開いていて、手を伸ばしたところで届くはずもなかった。

 遠くの山の稜線は季節外れの紅葉のように紅く染まっていた。

 それは確かに、今いる山から連なる山脈、麒麟山の月華達が暮らしていた隠れ里の辺りだった。


「……違う、あれは村じゃない!オレ達の村なわけねぇ!」


 月華の頬を伝う大粒の雫が遠くに燃える炎に照らされ輝く。

 それを塞き止めんと橙馬が必死に叫ぶ。

 燃え盛る炎はここからは遠く、熱や爆ぜる音までは届いてこない。


「村なわけねぇんだ!そんなことあるはずねぇんだよ!!」


 橙馬の声だけが静かな山の中に木霊する。


「……言われてたんだ、じいちゃん達に!」


「…………ひっぐ……えぐ……」


 月華の嗚咽は止まらない。止めどなく流れ落ちる大粒の涙は、宝玉のように輝きながら顎を伝っては地へと吸い込まれていく。


「……樹仙導の狙いはお前っ、月華、お前なんだ!だからじいちゃん達はオレ達だけ別のとこに逃がそうって!」


「……うぐっ……ひっぐ……」


 橙馬は必死に説明する。月華の両肩を掴み、早口に叫ぶように説明する。

 遠くで燃え盛っていた炎は、燃やすものを無くし段々と鎮火していく。

 山肌に紅く残り火が照って、黒い煙が夜空へと吸い込まれていく。


「……う、うぅ……」


「でもっ、でも、じいちゃん達も避難してるはずだよ……戦はしないって言ってただろっ?!あの時聞いた声だって村の人達の声じゃないって!」


 月華は聞いているのかいないのか、揺さぶられるまま首だけがこくこくと動いている。涙の勢いは変わらない。


「……えぐっ……」

「だから…………大丈夫だから、オレが……オレが守るから」


 月華が一際大きくしゃくりあげたところで、橙馬は継ぐ言葉を失って、胸の中へと月華を引寄せ抱き締めた。


「……う、うぇぇぇん」


 そしてとうとう、抱き合ったまま声を上げて二人は泣き出した。その間、俺はその場を動く事が出来なかった。

 かけられる言葉があろうはずもない。俺は付き合いの浅い新参者。二人の気持ちを推し測ることなど出来はしない。

 ただ方角が一致しただけ、とは言い難い。一部分だけ切り取ったように燃え上がった状況は、そこに燃えやすい何かが存在した事を示している。

 橙馬が先ほど言った通り、村の皆が難を逃れている事を祈るしか出来ない。

 紅く円を描く山を背景に抱き合って泣く二人に、俺は意を決して近付く。

 決してかける言葉を見つけた訳ではない。時が悲嘆にくれる事さえ許してくれなかった。


「……月華、これを」


「…………そ、うりゅぅ?」


 本来ならもっと村を離れてから、機を見て渡すつもりの文だった。

 だが、今の俺には空青殿に頼るしか二人を動かす術が無かった。

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