第十四幕 狼煙の報せ

 何かを言いかけていたとうは、言葉を切り、わたしの荷物を抱えたまま、少し先に繋がれていた馬へと飛び乗る。

 そうりゅうもしっかりと馬へとしがみ付く様にと指示し、馬を走り出させた。


「……あれ何?」


 馬に乗り視線が高くなったこともあり、ふと北の方角の異変に気付く。

 そこには、細い煙が世闇に紛れるように昇っていた。


「狼煙だよ。偵察の連中が合図を送る手筈になってんだ」


 手綱を手繰り、橙馬が並走させながらそう答えてくれた。


「それって…………樹仙導じゅせんどうがもう襲ってきたってこと!?」


「いや、そうじゃねぇ。それより前に合図を出すはずだから」


 走る事に馴れてきた馬が段々と速度を増していく。

 南東の方角から村を抜け、隣接する林の中へと勢いを殺さぬまま飛び込んだ。

 馬に乗ったことがないわけではなかったけれど、こんなに速く走ったのは初めてのことで、わたしは振り落とされぬようにしがみつくので精一杯だった。

 すぐ後ろにいる蒼龍を振り返ることすら出来なかった。

 せめて目を瞑ってしまわぬよう、薄く目を開け隣を窺うと橙馬が馬を駆る姿が僅かに見えた。歯を食い縛り、落馬しないように気を張りながら、木々を避け、林を駆けている。

 時には木立に阻まれ距離が開いても、すぐに隣へと戻って来る。

 橙馬がこんなに馬を上手に乗りこなせるなんてわたしは知らなかった。

 橙馬は馬を走らせながらも時々わたしを案じるようにこちらへと視線を送ってきていた。わたしは、強い風に目を大きく開けておくのが難しくて、橙馬と視線を合わせることが出来なかったけれど、橙馬の視線が何度も何度も向けられているのを感じていた。

 不思議と、不安な気持ちが溶けていく。

 背中に伝わる蒼龍の体温と何度も送られてくる橙馬の視線がわたしを支えてくれていた。




 速度を緩めることなく馬は走り続け、そろそろ視界の先に並び立つ木々の切れ目が見え始めた頃。

 ―――――――遠くで、男達のときの声が上がった。

 耳に飛び込んできたその声の波に、思わず馬の鬣にしがみついて伏せていた半身を起こした。


「蒼龍、今の声って……?」


 久しぶりに発した声は、馬の震動も相まって大きく震えていた。

 振り返った蒼龍の表情は堅く、こちらを見ようとすらしない。


「……蒼龍?村の皆はこの先にいるんですよね?」


 風にかき消され聞こえなかったのかもしれないと、わたしは声音を高めた。

 やはり返事は返ってこなかった。けれど蒼龍の前を見据える蒼い瞳の奥が僅かに揺れたのをわたしは見逃さなかった。

 聞こえていないわけではない。聞こえた上で答えに窮しているのだと解った。

 馬の駆ける速さがまるで蒼龍の戸惑いに準じたかのように、僅かに緩んだ。


「いないんですね?」


「……月華。今は俺を信じてくれ」


 やっと、蒼龍が口を開いてくれたけれど、それは絞り出すような苦々しいもので、わたしの質問に答えてくれてはいなかった。

 でも、だからこそ、蒼龍の言葉はわたしの頭に過った疑念が間違っていないと肯定しているように聞こえた。


「頼む、月華。あと少し辛抱してくれ。そうしたら、必ず説明する」


「嫌です。今ならまだ村に戻れる。村の皆を助けられるかもしれない!」


 苦しそうに口の端を歪める蒼龍を責めるのはお門違いだということくらい解っていた。蒼龍は元々村の人間ではないのに、巻き込まれ、それでもわたし達を見捨てずにこうして護ってくれている。そんな蒼龍を責めても苦しめるだけでしかないなんて理解していた。

 それでも、胸を引き裂かれるような痛みが鋭い言葉になって、勝手に溢れ出して止まらなかった。


「お、おい、月華落ち着けって……」


 少し後方を走っていた橙馬が速度が緩んだ事で追い付き、問答を始めたわたし達の仲裁に入るように声をかけてくる。

 反射的にわたしは橙馬を睨んだ。ずっとわたしのことを気遣って送られてきていた視線を断ち切るように睨みつけてしまった。


「橙馬も解ってたの?知ってたのね?」


 口を噤む蒼龍から矛先を変え、今度は橙馬へときつく問い詰める。


「っ!?……知ってるって、何をだよ!?」


 わたしの噛みつくような言葉と目つきに圧され、橙馬は一度ぐっと詰まったものの、直ぐに反発するように言い返してきた。


「皆が一緒に逃げていないことをよっ!!皆がわたし達だけ逃がして戦をすることを知ってたのって聞いてるの!!」


 わたしはもう止まらなくなっていた。

 わたしだけが知らなかったことへの悔しさ、村が今どうなっているかの不安、信頼していた二人が話してくれなかったことへの寂しさ、そういった感情がない交ぜになって、吐き出さずにいられなくなっていた。


「っんなこと知らねぇよ!オレが聞いたのは、樹仙導が夜半過ぎに攻めてくる、それに備えてオレ達三人は日没で村を離れる。村から離れたところで村の皆は麒麟山に隠れて争いを避ける。それだけだっ!戦うなんて聞いてねぇ!」


 わたしの黒々とした感情につられるように、橙馬も怒鳴る。


「だったらなんで教えてくれなかったの!?皆で逃げるなんて嘘吐いたの!?」


「そ、それは……!」


「違う、違うんだ。月華。橙馬は嘘を吐いたわけではない」


 激しく言い争うわたし達を見兼ねたように、だんまりを続けていた蒼龍が割って入った。


「俺達は確かに村の方々も避難すると聞いていたんだ。だが、聞いていた時より早く狼煙が上がり、先程の声が聞こえた。俺達が聞いていた当初の予定と異なることが起きているだけなんだ!」


「だったら、尚のこと、今戻るべきです!!」


「そういうわけにはいかない!くうせい殿はいかなることがあろうとお前に危害が及ぶことがないよう、俺達だけを村から遠く離れた先へと逃がすことにしたんだ!!その心遣いを無駄にするわけにはいかない!!」


 再び馬の速度が上がった。

 わたしの体を包むように回された腕と手綱を握る手に強く力が込められたのが解った。

 もう決して蒼龍がわたしの要望を聞き届けることがないということを蒼龍は全身で示していた。


「……して、降ろして!」


 それでも、わたしは大人しく蒼龍の言葉を聞き従うことは出来なかった。

 だから、感情のままに声を荒げ、両腕を振り回し、体を揺らす。


「降ろして!帰して!!」


「なんとかしろよ!らいそう!」


 並走する橙馬も、手を出すわけにいかず怒鳴り付けてくる。

 背の上で容赦なく暴れられ続けている馬は、走り続けることに迷い、目を見開き混乱していた。


「お願い!止めて!降ろして!」


「……すまない」


 声の限りに叫び続けるわたしにぼそりと一言、蒼龍は侘びを告げ―――――


「降ろっ―――っ!?」

「なっ!?」


 わたしの首筋に強く手刀を打ち込まれた。

 思ってもみない一撃を受け、わたしは意識を手放した。

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