第十二幕 突如の別れ

 村を立つよう告げられた俺達三人は、支度をするため家へと戻る事となった。


げっ、一人で仕度出来るか?」


 俯き、茫然としたまま歩き出した彼女へ向けそう訊ねる。


「……え?」


 振り返った彼女は、可哀想になるほどに真っ白な顔をしていた。


「俺には旅支度を出来る程の物がないからと、くうせい殿が馬や路銀を用意して下さった」


 今にも消えそうな月華を一人にするのは心配だった。

 月華の隣でやたらにゆっくり歩くとうも同じ気持ちなのだろう。自身の準備をせねばならないというのに自家へと戻れずにいる。


「……大丈夫……です」


 月華はまるで初めて来た場所にいるかのように辺りを一度見回すと、無理矢理微笑んでみせた。

 先程からずっと、村は不穏な空気に包まれ、皆慌ただしく動き回っている。焦りと不安の入り交じったその空気に気圧され、月華は自身を奮い起たせたのだろう。頼っている場合じゃないと……。


「では……また後で」


「月華!村を出るまでは俺も一緒だ。後で必ず迎えに行く」


「……はい、お待ちしています」


 それでも月華は笑ってみせ、自家へと駆けて行った。

 後には、橙馬と俺だけが残される。


「橙馬、お前も……」


「アンタ、本当にあんな事引き受けたのかよ?」


 言いかけた言葉にかぶせるようにそう言われ、橙馬がこれから先の事をきちんと理解しているのだと悟った。

 俺達より先に空青殿に会い告げられたのか、はたまた他の者から聞いたのかそれは判らない。だが、橙馬も俺と同じ道を受け入れたのだということは明らかだ。


「あぁ。俺は月華とこの村の人々に命を救われた。ならば、恩には報いる」


「……そうかよ」


 橙馬はどこか悔しそうだった。苦虫を噛み潰したような表情でぼそりとそう言った。

 初めて空青殿と面会したあの日、俺はこの村と月華についての真実を聞く事となった。何故空青殿が俺のような若造に、全てを打ち明けんとしたのか、その理由は今でも解らない。

 そして同時に空青殿は俺に依頼を申し付けた。

 それは、月華と橙馬というまだ若い二人を護り、導いて欲しいというものだった。

 その請いを受けるのは、例え命の恩といえど容易いものではなかった。何せ、俺はまだ何一つ成し遂げていないのだから。


「橙馬、俺は夜の帳が下りる頃、月華を迎えに行く」


「…………」


 今までの歳の近い弟としてではなく、また童に対してでもなく、漢として橙馬と向き合い、言葉を交わす。


「お前の馬も共に連れていく」


 今から行われる事においては橙馬の意思と決意が必要不可欠となる。


「だから……傍にいてやってくれ」


「!?」


 俺の言葉に、歯噛みしていた橙馬はビクリと体を跳ねさせた。

 結局のところ、空青殿が俺にこんな重責を依頼したのは、橙馬の負担を軽減するためなのではないかと思う。

 そして、俺が命の恩にこの先煩わされることのないようにと考慮して下さった故なのだろう。

 要するに、空青殿のような偉大な立場からすれば同じなのだ。元服前で早く大人になりたいと願う橙馬と、元服したにも関わらずまだ何も出来ていない俺は。

 だから、俺は橙馬と力を合わせなくてはならない。そうでなければなし得ない。なんとしても月華を護りきらなくてはならない。


「お前が月華の傍にいてやってくれ」


「…………」


 真意をはかるように、橙馬は黙って俺の次の言葉を待つ。


「あの娘にはお前が必要だ」


「……解った」


 考えが伝わったのかは判らない。けれど、橙馬は噛み締めていた悔しさを捨て、しかとそう応えた。

 それ以上互いに言葉を交わす必要もなかった。

 それぞれやるべきことを見据え動き始める。

 橙馬は自家へと駆けていき、俺は踵を返し、この村に一つしかないという厩へと向かう。

 そこには既に荷を積んだ馬が待っている手筈になっている。その後橙馬の家に寄りもう一頭に荷を積み、月華を迎えに行く。

 本当は自分が月華の元へ行き、折れそうなまだ幼いあの娘を慰め支えてやりたかった。

 命は尊く、だからこそ命を賭けてでも護るべきなのだと、そう信じる彼女の澄んだ心を護ってやりたかった。

 しかし、それは俺の役目ではない。今すべき事は他にある。そう言い聞かせ、橙馬へと託した。

 準備は既に整っている。

 幼い二人を鍛える猶予も、村の防備も万全だ。

 そしてこの日を迎えたのだ。

 総てはてんげっを護るそのために。

 あの日の空青殿との会話が木霊のように蘇る。





らいそう殿、退屈かもしれんが少し昔話に付き合ってくれ」


「はい」


「お主もこの世界を創造したといわれる天仙女てんせんにょという神の存在は存じているだろう?」


「えぇ、まぁ……」


「天仙女は古の世、世界にこくはくという二人の男女を生み出した。仙女が生み出した二人はやがて四人の子を設けた。えんひょうくう、そしてりく


「現在は冠名かんむりなとして残る、一族を築いた四人の始祖ですね」


「その通り。それがこの世界の始まりの物語とされておる。けれど、天仙女は黒と白を生み出して以降、話には登場しない」


「天仙女は天界へと昇り、時に恵みを与えながら、人々を見守り続けている。そう伝え聞いております」


「そう、そこが伝承と事実の差違なんじゃ」


「と、言いますと?」


「黒と白とを生み出した天仙女は二人をこの麒麟山きりんざんの地で育み、やがて四人の子が生まれるとその四人にそれぞれ力を与えた。炎には武力を、氷には統率力を、陸には知力を、そして空には精神力を」


「……四つの力」


「そう。その力を源に炎、氷、陸は大陸へと乗り出し、互いに力を合わせ文明を築いていく。けれど、空だけは麒麟山に残った」


「それは、何故?」


「護るためじゃ。自身の父母である黒と白、そして全てを生み出した神、天仙女を」


「天仙女はこの地におられたのですか!?」


「あぁ、天仙様はずっとこの地におられた。人の身である黒と白がこの世を去った後もずっとな…………だから儂ら空一族の祖は、天仙様が健やかに過ごせるようこの地に隠れ里を作り、永き時を彼女と共に生きてきたのじゃ」


「そ、そんな……まさか……」


「にわかには信じられぬのも仕方あるまい。だが、それがこの世界の真実なんじゃ」


「では、二十年前の天仙女のしゅは?」


「確かに彼女はそのような言葉を申したが決して呪などではない。あれは人間に対しての警告だったのじゃ。このまま人が生き進めれば、世のことわりが崩れ、人の種は絶えると。事実以降娘は生まれなくなった」


「天仙女は天界から姿を眩ましたわけではないと?」


「あぁ、彼女は十年前に体が消滅するその時まで、この麒麟山におった。てんびゃくらんという人の名を語り、一人の女人にょにんとしてな」


「天……白蘭……それはもしかして?」


「察しの通り。てんびゃくてんげつの母じゃ」


「そんな…………ならば、何故?何故、天仙女は消えてしまったのです!?」


「二十年前、既に天仙様の体は永きに渡る戦で生まれた人々の負の感情に蝕まれていた。憎悪、悲嘆、苦痛といった感情は、天仙様にとって徐々に毒を飲んでいるのと変わらなかった」


「…………」


「天仙様が病み苦しんでいたその時、麒麟山に迷いこんだのが旅人のようしょうだった。彼は天仙様が神である事を知らずに彼女を癒やさんとし、やがて互いに愛するようになった。そして生まれたのが天月」


「月華は天仙女の生まれ変わりなのですか?」


「いや、違う。天月はあくまで人の子じゃ。けれど、天仙様の力を受け継いでいるのは間違いない。そして、本来生まれる筈の無い娘である事も。だからこそ、我々にとっても、世界にとっても特別な奇跡の子なのじゃ」

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