第十一幕 不穏な気配

 更に一月が過ぎ、季節は夏の盛りを迎えようとしていた。


「てやっ!やぁっ!」


「くっ!」


「よし、そこまで!」


 そうりゅうの声が響き、わたしととうは脱力してそのまま地面にへたりこむ。


「二人とも随分いい動きになったな」


 水を差し出してくれる蒼龍の腕は、もう包帯に吊られてはいない。治療を続けたことで、当初の予定よりも随分早く傷は癒えた。

 それでもこうしてこの村にいてくれるのは、わたし達に武の稽古をつけてくれるためなのだと思う。

 本人は「鈍った体を戻さないと出立出来ない」と言っているけれど、動きを見る限りはもう不自由はない。

 だからきっとわたしや村に恩義を返そうとしてくれているんじゃないかって、私は思っている。その証拠に、わたし達に稽古をつけるだけではなく、村の人達の農作業なんかも手伝ったりしている。


げっもその武器に馴れたみたいだ。どうだ?使いづらい所はないか?」


「はいっ!」


 明るく返事をして手に持った武器をくるくると回してみせた。

 橙馬の勧めで、わたしは武器を刀からこの峨嵋刺に替え、一から訓練を始めた。

 峨嵋刺というのは、肘から指先くらいの長さの、両端が尖った細い金属の棒状の武器で、二本一対で使う。

 武器の中心辺りには、指を嵌めて握り込める環が付いていて、チクチクと刺すだけではなく、クルクルと回して切りつける事も出来る。刀に比べれば殺傷力は格段に劣るけれど、私にはこれが合っていると思う。


「ちょっと見せてくれ」


 蒼龍がそう言ってわたしから武器を受け取り、不備がないかを確認する。

 訓練で使っているのは、お父さんの遺した峨嵋刺を見本に蒼龍が木を削って作ってくれたものだ。指をはめる輪の部分は木だと滑りが悪いため、やすりで滑らかにし、ケバ立たないように工夫してくれた。


「まだ、少し滑りが悪そうだな」


「そんなことないですっ!」


「だが、月華の指が傷付いてはいけないからな」


 大丈夫だ、と主張するわたしに蒼龍は優しく笑いかけ、頭を撫でてくれる。

 指の怪我なんて本当は『力』を使えばすぐに治せる。でも、蒼龍には『力』の事はちゃんと伝えていないので、そう言う事も出来ない。


「なぁ、そろそろアンタが相手してくれよ?アンタだったら真剣を使ったって平気だろ?」


「ちょっと橙馬!」


「アンタだって怪我で体が鈍ったって言ってるんだし、オレ達の相手すりゃ一石二鳥じゃん。それに、いつまでも模擬刀じゃ戦闘の感覚掴めないし」


 わたしが武器を峨嵋刺へと替えてからは、橙馬との模擬戦も随分長い間続くようになってきた。前みたいに、すぐに倒されてしまうような事はなくなった。けれど、まだ橙馬に勝つ事は一度も出来ていなかった。

 だから橙馬は充分な訓練が出来なくて苛立っていたのかもしれない。それに相手がわたしだから少なからず手加減してくれているのだろうし。


「…………そうだな」


 蒼龍もわたしと同じように考えたのかもしれない。引く気配のない橙馬の提案に、少しだけ考えてから頷いた。


「じゃあ、二人とも一度帰って武器を持っておいで」


「っしゃあ!」


「良いんですか?」


「あぁ、橙馬のいう通りだしな」


 蒼龍はそう言って、橙馬に見えないように唇を「大丈夫だ」と動かし、わたしの頭をポンポンと軽く叩く。

 以前にもわたしが不安な時に蒼龍が同じ仕草をしてくれたことがあった。だからなのか、こうされると不思議と不安が和らいでいく。


「良かったね、橙馬」


 安心すると、実際にお父さんが使っていた武器を使える事がわたしも嬉しくなってきて、喜んでいた橙馬に声をかけようとしたんだけど…………橙馬はもうさっさと自分の武器を取りに走り出していて、その背中はもう小さくなっていた。

 ふふ、なんだか橙馬のほうが子供みたい。


「俺達も行こう。でないと橙馬がまた文句を言い出すぞ」


 跳び跳ねるように去っていった姿にこっそり笑っていたら、蒼龍も冗談めかしてそう言った。


「はい、そうですね」


 思わず笑顔になって、二人並んで歩き出す。

 わたし達三人は皆一人っ子で、つい最近偽物の兄弟になったばかりだ。

 蒼龍には悪いけれど、ずっとこんな日が続けばいいのに…………。

 穏やかな表情を浮かべる蒼龍の横顔を見上げながらそんな事を考えていると―――


てんげつ!あぁ、らいそうさんも、ちょっといいかい」


 そんな声が聞こえて、振り向けば、橙馬のお母さんが慌ててこちらへ駆け寄ってくるところだった。


「おばさん?」


「どうなさいました?」


 息をきらして駆けてきたおばさんに、蒼龍が優しく問い掛ける。村の皆と既に面識のある蒼龍は、まるで村の一員みたいに打ち解けている。


「長老様がね、二人をお呼びなんだよ。すぐに行ってくれるかい?」


 走ってきたせいか少し顔色の悪いおばさんは、心配する蒼龍に笑ってみせたけど、あまり上手く笑えていなかった。


「急ぎの用事ですか?」


「あ、あぁ、そうなんだ。うちの橙馬も探してるんだけど、何処に行ったかわかるかい?」


「えぇ。一度家に帰るって……」


「そうかい、じゃあ呼びに行くから二人は先に行っておいておくれ」


 おばさんは直ぐに回れ右して走り出す。余程焦っているのが判った。


「何かあったんでしょうか?」


 おばさんのただならない様子に、思わずそう言ったものの、返事は返ってこなかった。

 ふと見上げれば、先程まで穏やかだった横顔は、眉間に皺の寄った険しいものへと変化していた。





「長老様、お呼びですか?」


「失礼致します」


 橙馬のお母さんに言われた通りにすぐに長老様の家へと向かうと、そこには既に橙馬の姿があった。やはり険しい顔で姿勢を正し、長老様の前に座している。


「あぁ、話がある。座りなさい」


 言われるがまま、橙馬の隣に腰を下ろすと、その隣に蒼龍が座って、わたしは二人に挟まれるような形になる。

 座したのを確認すると、長老様はまず蒼龍へ、次に橙馬へ、そして最終的に真っ直ぐわたしへと視線を据えた。

 橙馬の睨み付けるような険しい顔から何か良くない事が起こっているのは明らかだ。自然と不安が胸に押し寄せ、鼻がツンとする。


「お前達よく聞きなさい。今この村の近くに樹仙導じゅせんどうという輩がいるのは知っているね?」


「はい」


 わたしだけが返事をする。左右の二人は反応しない。もう話の内容が解っているかのように黙っていた。


「神の宣託を受けたというじゅこうじつという者を筆頭にした信仰教団らしいが、やっていることは野党とさして変わらぬ」


 樹仙導。

 蒼龍に怪我をさせた人達。


「神の力を授かったという樹黄を祀り上げ、この麒麟山きりんざんの東側で勢力を拡大していたが、とうとうこの村にもその手が伸びようとしている」


「!?」


 漠然としていた不安が線を結んでいく。


「戦になるということですか?」


 震える唇で恐る恐る訊ねた。


「否、違う」


 長老様は宥めるように強ばった表情を弛め、緩やかに首を振った。


「天月、村というのは、場所に存在するものではない。人がいて初めて村になるんじゃ。だから、儂らは戦をせぬ」


 諭すようにそう言って、長老様は初めと同じように順にわたし達を見据えた。


「今晩、この村を出る」


「!?」


 私だけがまた声もなく驚く。

 確かに一番大切なのは皆の命だ。でも、慣れ親しんだ土地を易々と放棄するなんて、すぐには呑み込めなかった。


「雷蒼殿、お主には申し訳ないが出立の支度を」


「いえ、お世話になりましたこと心から感謝しております」


 いつまでも続けばいいと願っていた日々は、こうも簡単に、思わぬ形で、終わりを告げようとしていた。

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