第十幕 闘いの記憶

げっ、踏み込みが甘い!」


「はっ、はい!」


とう、そこは受けずに流せ!」


「わぁってる!」


 くうせい殿に滞在を許された翌日から、俺は二人に武の稽古をつけ始めた。二人共良い素養があり、数日後には模擬戦を行える程になっていた。


「てやっ!」

「……フッ!」


ガッ!


 気合いの声と共に深く踏み込み月華が打ち込む。それを橙馬は体を捻って避け、打ち下ろされた一閃を上から押さえこむように叩いた。

 力を込めた一撃をその力ごと叩かれ、月華は持っていた刀代わりの木の棒を落とす。そしてそのままへたりこんだ。


「少し休憩しよう」


 離れたところから制止の声をかける。と言っても、橙馬が必要以上に月華を痛め付けることはないので止める必要もないのだが。


「やっぱり橙馬は強いなぁ」


 月華は呼吸を乱しつつも、悔しそうに頬を膨らませてみせる。

 武の訓練を行うまで、月華の事を大人しい娘だと思っていた。幼いのに礼儀正しく淑やかだと感じていた。

 だが、それは間違いであったらしい。

 武の鍛練に励む彼女は、負けん気が強く天真爛漫で肝が据わっている。

 それは、俺や周囲に対して彼女が遠慮しているというのも多分にあるが、元々両方の性質を兼ね備えているというほうが正しいようだった。


「当たり前だろ。オレは男でお前より力強いんだし、お前は一年近く訓練してなかったんだから」


 草むらの上へと足を投げ出し座った橙馬は、慰めようとしているのかそう言った。


「月華も以前は鍛練していたのか?」


 座り込んで休憩をとる二人へと近付き水を入れた竹筒を手渡す。


「あ、はい。橙馬と一緒に村の方に訓練をつけてもらっていたんです」


「では何故やめたんだ?」


「お料理とかお洗濯とか、そういう事を優先したほうがいいかなって……」


 僅かに恥じらいながら、月華は言う。

 年頃の娘らしいその言葉も、健気な配慮が裏にはある事を、先日空青殿から俺は聞いていた。

 家事や炊事を武より優先したのは、本当は月華が一人で暮らすために必要だったからなのだろう。

 幼い月華が一人で暮らし始めたのは、多分橙馬のためなのだと空青殿は仰有っていた。本当の孫でもない自分が実の孫よりも寵愛を受けていることに引け目を感じているのだと。


「…………月華は素晴らしい花嫁になるだろうな」


 内心を隠し、俺はそう言う。


「え?そ、そうでしょうか?」


「はっ、花嫁!?」


「あぁ。月華の婿になる者は幸せだ。料理も旨いし、気が利く。その上こんなに愛らしいのだから」


 更に頬を赤くし俯く月華へ優しく笑いかけ、頭を撫でてやろうと手を伸ばす。

 けれど、柔らかな髪へと届きかけた指先は、駆け寄ってきた橙馬によって払われていた。


「休憩長くないかっ!?」


「あぁ、そうだな。月華、まだやれるか?」


「はい!」


 既に月華の乱れた息は整っていて、彼女は元気良く返事をして立ち上がる。

 そして再び、稽古が再開された。

 木材で作った模擬刀を構え、二人が対峙する。

 先ほどの失敗を活かすかのように月華はすぐに仕掛けず、橙馬の隙を窺う。

 橙馬は肩幅より少し広く足を開き、右手で構えた模擬刀の切っ先を月華の鼻先の高さに突き出すようにして踏み込まれるのを防ぐ。橙馬が足を開き低く構えているせいで間合いが拡がり、月華はそれ以上詰め寄れない。

 そのままにじり足で橙馬が距離を詰める。悟られぬよう僅かに。唯でさえ間合いをはかりあぐねて焦れている月華はそれに気付かない。ゆっくりと、跡すら残さず橙馬がにじり寄る。

 突き出された切っ先が、両手で構えた月華の剣先に微かに触れた。


カチリ


 耳では聞き取れない程微細な、振動に近い剣が触れ合う音がたつ。その音に触発され、弾かれたように月華が橙馬の懐へと踏み込む。均衡状態が続いた事で、自分が間合いを詰めたと錯覚を起こしたのかもしれない。

 勿論それは橙馬の手の内。飛び込んできた月華の一撃をいなし、絡めとるようにわざと刀をぶつけ合わせた。そうなれば力の無い月華は堪らず押し返されてしまう。


「きゃっ!」


 小さく悲鳴を漏らし、月華は大きく体勢を崩す。

 すかさず、橙馬が踏み込み刀を月華の鼻先へと突き付けた。

 月華は息を詰め衝撃に備えるが、橙馬はそれ以上撃ち込まない。既に勝負は決している。

 別に月華が弱いわけではない。

 しなやかな身のこなしや、隙を窺う観察眼、懐に飛び込む思い切りの良さは、男にも劣らぬものをもっている。

 ただそれ以上に、橙馬が強いのだ。

 橙馬は刀と体術を組み合わせた独特な戦闘形態をとっていた。

 刀だけではなく拳や脚も攻撃に組み込んでいるため、どこから撃ち込まれるかが読み難く、相手は非常に闘い難い。本来その戦法は腕っぷしに自信がある者がとりがちだ。対し橙馬は比較的小柄で、体つきも有利とは言えないが、自身の俊敏さを最大限に活かすためにその戦法を身に付けたのだろう。

 相手が月華のため本来の実力は出せていないが、その所作から彼の実力は垣間見えていた。

 何より、強くなりたいという想いが橙馬の強さを促進している。

 これなら有事の際も問題なく闘えるだろう。あとは……


「月華は間合いが狭いな。気配を読まないと囲まれた時不利になる」


「はいっ!」


 口を挟めば、唇を噛み締めつつも素直に頷く。

 少し心が痛むが、闘いは必ずしも一対一とは限らない。女子おなごである月華が強い者を相手にした時に常に勝てるとは思っていない。ただ生き残れればそれで良いのだ。

 そのためにも、相手との距離感を掴む事を第一に身に付けてもらう必要があった。


「それじゃ、もう一回……」


「難しいんじゃねぇ?」


「何がだ?」


「間合いだよ、月華に間合いを広くさせんのは難しいって言ってんの」


 既に構えをとった月華をそのままに、橙馬は言う。


「それはやってみなくては……」


「そうじゃなくてさぁ、月華の闘い方が剣の間合いに向いてないってことだよ」


「どういう事だ?」


「あー…………見てりゃ解るよ」


 橙馬は、口頭での説明を面倒そうに避け、近くにあった腕の長さ程度の細い枝を拾い上げると、真ん中で二つに割り、月華へと差し出した。


「これ使ってみ」


「……うん」


 戸惑いつつも、月華は小枝を一本づつ両手に握る。そして、掌程しかない長さの小枝の片方を前へと突き出し、もう一方を胸元に添える姿勢で構えをとった。


「よし、行くぜ」


 橙馬が構えをとり、模擬刀と二本の小枝というあまりにも格差のある模擬戦が始まった。

 だが―――

 そこからの月華の動きは実に見事だった。

 滑るように踏み込み、舞うようにあらゆる角度から攻撃を繰り出す。小枝の間合いは勿論狭いが、刀の時とは足運びが全く異なり、滑らかで姿勢も低い。

 攻撃を受けるような事は決してなく、懐に飛び込むというよりも相手をすり抜け背後や脇、足元へと常に死角を見出し移動する。

 月華の動きに釣られるように橙馬も本領を発揮し始める。足技を多用して、月華を牽制し――――


「ぁぅっ!?」


 橙馬の足払いが、背後へ回ろうとしていた月華に尻餅を着けさせた。

 結果は今までと同じように見えるが全く異なる。


「な?」


 倒れた月華に手を差し伸べつつ、橙馬はこちらに同意を求めてくる。

 俺は、確かにと頷いた。


「月華の親父さんはさ、こういう武器……峨嵋刺がびしとかってのを使ってたから、月華はこっちのほうが向いてるんじゃねぇかって前から思ってたんだ」


「そのようだな」


「多分さ、覚えてないだけで親父さんに教わったことが染み付いてんだよ」


「そう、なのかな」


 月華は小枝を抱くようにして、嬉しそうにそう呟いた。

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