第九幕 兄弟妹


「!?……………らいそう様!」


 夕陽が間も無く沈む頃になって、雷蒼様はやっと長老様の家から出てきた。その姿が見えた瞬間、わたしは思わず走り出していた。後ろでとうが「話を聞け」って怒っていたけど、それどころじゃなかった。

 長老様は外に出てくる様子はない。


「あぁ、てんげつ。待っていてくれたのか」


 そう言って笑った雷蒼様は、少し眉間に皺があって、どこか浮かない様子だった。

 やっぱり何か良くない事を言われたのかもしれない。長老様がそんな冷たい人だとは思っていないけど、やっぱり心配には変わりない。


「雷蒼様、長老様は……あれ?その槍……」


 直ぐ様問い掛けようとして、彼の左手にある槍の存在に気付く。

 蒼白く光る鋭い穂先、口金の部分には蒼い房があり、石突には龍の形をした金具があしらわれた立派な槍。


「あぁ、これは俺の槍だ。倒れていた際近くにあったものを空青(クウセイ)殿が預かってて下さったのだ」


「長老様が?それじゃあ……いたっ!」


 わたしが再度口を開きかけたところで、後頭部に衝撃がはしった。

 後ろから追いかけてきた橙馬が頭を叩いたのだ。


「おいっ、げっ!いきなし走り出すんじゃねぇよ、コケるぞ!」


「と、橙馬!叩くことないでしょ!?それにコケないもん!」


「この前思いっきりコケてただろ!しかも平らなところで」


「見てたの!?」


「見てたぜ。月華がなーんもないとこでコケて、持ってた野菜ぶちまけてたとこ」


「なっ、だったら拾うの手伝ってくれたって……」


 ムキになって言い合いをしていると、橙馬に叩かれたのと同じ辺りに今度はふわりと優しい感触がした。


「ハハッ、お前達は本当に仲が良いんだな」


 橙馬より大きな雷蒼様の掌が、わたしの頭の上でぽんぽんと跳ねる。それは壊れ物を扱うみたいに優しくて、ちっとも痛くなんかない。


「雷蒼様……」


「心配かけたな、天月。大丈夫だ。くうせい殿は怪我が治るまで滞在を許して下さった」


「本当ですか!?良かった!」


 雷蒼様は、わたしの頭に手を置いたまま、少し屈んで目線を合わせニコリと笑う。出てきた時はどこか難しい顔をしていたから、とてもほっとした。


「それにしても、お前達は羨ましいな。俺には幼馴染みなどいないから」


「幼馴染みじゃねぇよ、オレはこいつの保護者だから」


 頭にあった優しい感触が熱を残して離れていった。変わりに右腕が強く引かれ、わたしは橙馬の体に寄っ掛かっているような体勢になっている。


「保護者って……橙馬はまだ元服前じゃない…………お兄ちゃんみたいな感じではあるけど…………」


「おっ、お、お兄ちゃん!?」


 橙馬の胸に頭を預けたまま、首だけ捻り、上を向いてそう言うと、橙馬は驚いたようにたじろいだ。


「え?違う?」


「いや、違っ……くもねぇけど……」


 そんなに驚くことだろうかと重ねて訊くと、橙馬は複雑そうな顔をした。気恥ずかしいのか、少し顔が赤い気がする。


「うん、兄か…………それはいいな」


 わたしと橙馬のやり取りを穏やかな表情で眺めていた雷蒼様は、ぽんと手を打ち大きく頷いた。


「天月、俺の事も兄と思ってはくれないか?」


「雷蒼様の事を?」


「あぁ、俺はもう少しお前の世話になる。その間ずっと他人行儀な調子ではお前も気を遣うだろう?」


「……でもっ、雷蒼様は立派な武人ですし……」


 橙馬に続いて今度は私がたじろぐ番だった。


「何言ってんだよ!?月華はアンタの恩人なんだから、アンタは敬うべきだろ!」


「確かにくうとう殿の言う通りだ、だが……」


 頭から離れたきりだった雷蒼様の掌が今度はわたしの頬へと伸びてくる。


「共にいる間だけでも、俺を家族とは思えぬか?」


 頬に添えられた節張った掌。鍛練を積んだことで固くなった指先が、目敏く涙の跡を見つけ、拭うように撫でる。

 そんな風に涙を拭ってもらうなんて、お父さんが死んでしまってからずっとない事だったから、恥ずかしいような、嬉しいような、なんとも言えない気持ちになる。


「……その、家族のように接してくれるなら嬉しいです」


 頬に手があるから、俯くことも首を振る事も出来なくて、見られてると思うと勝手に顔に熱が集まってきた。


「そうか、良かった」


 やっと頬から手が離れていき、緊張から解放された。


「あ、それとな、明日からお前達二人に武の稽古をつけて欲しいと空青殿に頼まれたんだ」


「え?本当ですか!」

「はぁぁ?」


 雷蒼様がそう言って、わたしと橙馬はそれぞれ反応する。


「あぁ。今まで人に指導した事などないから、俺では力不足かもしれないが、俺に出来ることは少ないから、せめてもの恩返しのつもりで引き受けた」


「でも、雷蒼様は怪我が…………」


 稽古をつけてもらえるのは内心嬉しいけれど、雷蒼様の包帯で吊られた右腕を見ると手放しでは喜べない。

 そう思って口を開くと、雷蒼様の人差し指がわたしの唇の前に立てられ、わたしは思わず口をつぐんだ。


「天月、先ほど俺の事を家族と思って欲しいと言っただろう?ならば、敬称はいらない。…………そうだな、そうりゅうと呼んでくれ」


「では、蒼龍。わたしの事も月華と呼んで下さい」


 少しだけ勇気を出してそう言うと、蒼龍は「勿論」と頷いてくれた。

 余程親しい間柄でない限り、固有名と字で呼ぶ事は殆ど無く、普通は冠名と固有名で呼ぶ。

 村で唯一冠名が異なるわたしは、皆に「天月」と呼ばれている。固有名と字で呼ぶ人は両親が亡くなった今では橙馬だけだ。


「おいおいおい!ちょっと待て!なんで二人で話し進めてんだよ!」


 ほのぼのとする空気を裂くように、橙馬が一際大きく声を上げる。


「ん?何か不満か?」


「不満に決まってんだろ?」


 ずずい、とわたしと蒼龍の間に入った橙馬が少し見上げる感じで文句を言う。

 けれど、蒼龍は怯む様子もなく、さも不思議そうに首を傾げた。


「あぁ、怪我なら心配ない。口を開く分には支障ないからな」


 そっか、指導するだけなら体を動かさなくてもいいんだ…………


「いやっ、そうじゃなくて!なんで、オレも含まれてるんだよ!」


 なるほど、と安堵したわたしとは裏腹に、橙馬は尚も喰ってかかる。

 でも、橙馬のほうが蒼龍より頭一つ分背が小さいため、すごんでいるようにはいまいち見えない。


「橙馬、何が不満なの?長老様が滞在を許可して下さったんだし、何も問題ないじゃない?」


「いやっ、問題あるだろ!」


「なんで?橙馬、いっつも強くなりたいって言ってるじゃん。村の人達は皆お役目とかで稽古してくれないからってこの間も言ってたし」


「そうだぞ、橙馬。身を守る術はあって困るものではない」


「そうじゃなくてっ!っつーか、なんでアンタまで橙馬って呼んでんだよ!?」


「ん?駄目だったか?」


「駄目に決まってんだろ!」


「そうか……一気に弟と妹が出来たのなら俺としては嬉しかったんだがな……」


「え?橙馬はわたしと家族になるのは嫌なの?」


「ちがっ、嫌じゃねぇけど……」


「だったら、いいじゃないか。これからは、兄弟のように仲良くやっていこう」


「だからっ、なんで勝手に話まとめてんだよ!」


 それからも橙馬はあーだこーだと文句を言っていたけれど、そんなやりとりもなんだか本当の兄弟みたいで、わたしはとっても嬉しかった。

 蒼龍がすぐにいなくなってしまうんじゃないかという不安は、武の稽古をつけてもらえるという寧ろ嬉しい報せに変化して、わたしの元へ帰ってきた。

 そして、偽物かもしれないけど、この日、わたしにもう一度家族が出来た。

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