第八幕 沈む夕陽に重なる過去
それがオレは面白くなかった。
「
月華は大きく体を振ってオレの手を振りほどく。苛立ちのせいで力加減が分からなくなっていたらしく、月華の腕にはくっきりと赤く指の後が残っていた。
「わ、悪い」
痛い思いをさせるつもりなんて無かったから、白く細い腕に残ったそれに罪悪感が湧いてきた。腕をさするその姿に、苛立ちなどどうでも良くなる。
オレ自身が傷付けてどうすんだよ……
「大丈夫、か?」
咄嗟に距離を詰めようとして、一瞬だけ足が止まった。月華に拒まれるんじゃないかって思った。手を伸ばしたところで、さっきみたいに振り払われるんじゃないかって……
「……うん、痛いけど、大丈夫」
だが、伸ばした指先はちゃんと柔らかな栗色の髪へと着地していた。ほっとして、そのまま優しく撫でる。こうやって、月華の事を撫でてやるのも随分久しぶりな気がした。
オレは何を焦ってんだ…………
「悪かったな」
「……うん」
謝ると、月華はもう一度頷いてオレに見えないように体の後ろに腕を回した。
なんだか頭がスッと冷えた気がした。
「アイツが出てくるまで待つのか?」
「……うん」
「……解った」
オレは近くにある平ったい岩の上に腰をおろし、僅かに空いている空間をポンポンと手で叩いた。
「付き合ってくれるの?」
「……あぁ」
本当は、雷蒼がじいちゃんに呼ばれた事自体、半分以上オレのせいなんだけど、仕方無いなって感じで返事をする。
すると月華はへらって笑って、大人しくオレの隣に座った。
「ありがと」
その上、嬉しそうに礼まで言ってくる。
月華は怒るとか憎むとか恨むとか、そういう醜い感情を殆どもたない。
逆に怒らないからこそ、嫌われたんじゃないかって余計気にしてしまう。
結局それは、自分が悪いことをしたって自覚してるからなんだろう。
「ねぇ、橙馬?長老様、雷蒼様を追い出したりしないよね?」
隣で無防備に足を投げ出し、視線はじいちゃんの家の方に向けたまま、月華はそう訊いてくる。
「さぁな……」
月華は特別だから、月華が望む事をじいちゃんは否定したりしない。まだガキなのに一人で暮らす事にだって反対しなかったし、掟を破ったって大したお咎めなんかない。それは解ってるけど、敢えてオレは教えてやらなかった。
だって、月華は自分が特別だという事を知らないから……………まぁ、「雷蒼様雷蒼様」って五月蝿いからっていうのもあるけど。
「でもっ!この間橙馬が教えてくれたじゃない!村の近くに樹仙導って危ない人達がいるって!!」
突然ばっとこちらを向き、興奮した様子でそう言う月華。大して大きくもない石の上に、二人で窮屈に座っているもんだから、鼻と鼻がくっつくんじゃないかって距離だった。
「…………けどっ、雷蒼だって武人なんだから、そうそう何回もやられたりしないだろ?」
ともすれば、吐息がかかるくらいの距離に動揺する。
月華は、母親にそっくりだ。月華の母親に会ったのは、オレがまだ四歳の時だけど、その美貌はしっかりと覚えている。
勿論月華の顔や体つきには幼さがあるが、ぱっちりとした眼や、桜色の唇、そして何より透き通る翡翠色の瞳は瓜二つだった。
その美しさは、ずっと一緒にいるオレですら、見詰められると吸い込まれちまうんじゃないかって思うくらいだ、どんなに歳の離れたおっさんだって鼓動が速まるんじゃないだろうか。
「それに、もしまた怪我して旅が出来なくなるんなら、アイツ才能ないって事なんじゃねーか…………」
どきまぎしながら言葉を重ねて、思わず「しまった」と思った。目の前の翡翠色がじわりと滲んで、目の端には涙の粒が浮かんでいた。
「だっ、大丈夫だって!じいちゃんはこの村の長だぜ?そんな冷たい事する人じゃねぇって!」
「…………うん」
「孫のオレが保証してやる。だから信じろって!」
「…………うん」
流れ落ちるすんでのところで、目の端の滴は、月華の指先に拭われる。
唇を尖らせ、泣くのを堪える月華の顔は、さっきまでドキリとするくらい綺麗だったのに、今は見馴れた子供っぽい顔に戻っていた。
「…………でもさ、その樹仙導ってなんなんだろ?」
「やってることは野盗と変わんねぇみてぇだけど……」
「うん、そうだよね。雷蒼様も荷物を盗られたみたいだし」
「けど、野盗ともまた違うみたいなんだよ…………国があるわけじゃねぇのに、統率がとれてるって話だし、属してる連中もちゃんと訓練した武人じゃなくて、農民に毛が生えた程度の連中らしい」
「そうなの?」
「あぁ。つっても、オレも聞いた話でしかねぇんだけど……」
樹仙導。
それはここのところ村の大人連中がしきりに話している奴等の話だ。
ぱっと見は農民のようで訓練を受けている様子のない体躯をしていて、やってることは野盗と大差ない。けれど、まるでどっかの国の軍みたいに統制がとれている。その特徴は、皆一様に腕に黄色い布を巻いているとか…………。
そんな奴等が最近この村がある麒麟山を中心に幅をきかせているらしい。
実を言えば、オレも詳しい話を聞いたわけではない。親父達が話しているのを勝手に盗み聞きしただけだ。
なんでも最近は、そいつらを警戒して採集係とは別に警備隊を組んで見廻りを行っているとか……。
オレがそんな曖昧な話を月華に言ったのは、また勝手に一人で村の外に出る事がないようにだ。
月華は、放っておくとすぐに無謀な事をする。月華のする事は善悪としちゃ善い事なんだけど、はっきり言って綺麗事ばかりで、放っとくと危なっかしくてしょうがない。
「とにかくさ、お前も人の心配ばっかしてないで、ちょっとは自分の心配もしろよ」
「そうだね……橙馬、心配してくれてありがと」
「お、おぅ」
釘を刺すように言うと、月華はふんわりと笑って、真っ直ぐに礼を言う。さっき泣きそうになったもんだから、目元にはちょっとだけ涙の粒が残っていて、キラリと光った。
その笑顔が眩しくて、思わず視線を逸らす。なんだか顔が暑くなった。
顔を背けた先には、高くにあったはずの太陽がもう随分傾いていて、西の端に沈もうとしていた。どうりでさっきから顔が照って、月華の顔が輝いて見えるわけだ。
「もしさ、これから先どっかに行くって時はさ、絶対オレを連れてけよ」
いつだったか、同じようにこうやって夕陽が沈む様を二人で見ていた事があった。
あの時、オレは木から落ちて怪我して、月華は初めて癒しの力を使った。月華の力で怪我はみるみる治ったんだけど、月華は全然泣き止まなかった。
「もう大丈夫だ」って言ってるのに、怪我だって治ったのに、それでも月華はボロボロ涙を流して、泣きながら「わたしのせいで皆死んじゃう」ってそう言った。
その時気付いた。月華は両親が死んだのは自分のせいだって思い込んでいる事に。
だから言ってやったんだ。「オレは死なない」って、「ずっと側にいる」って。
そしたらやっと月華は泣き止んで、今みたいに涙目で綺麗に笑って…………
そうだ、あの時誓ったんだ。
西の空を真っ赤に染めて、東の空から夜を引っ張って、夕陽が沈んでいく。
その光景があの日と重なって、オレはあの時と同じ言葉を繰り返した。
「オレがずっとお前を護るから」
「!?」
…………まぁ、月華は全然聞いてなかったけど。
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