第六幕 翡翠の光

 一か月近くが経った頃には、らいそう様は随分元気になっていた。元々足は怪我していなかったから、食事で体力回復をはかれば、直ぐに不自由なく動ける程になっていた。

 けれど、わたしは長老様や村の皆には彼の回復を伝えていなかった。伝えてしまえば、早々に追い出すように云われてしまうような気がして、言えずにいた。

 雷蒼様は雷蒼様で、早く体を動かしたいようでウズウズしていた。

 だから、室内であればある程度行動してもいいって事にしたんだけど…………


「雷蒼様っ!?」


 わたしが少し家を空け戻ると、雷蒼様は動く左腕を鍛える運動をしていた。


「ははっ、見付かってしまったか」


「まだ無理をなさっては駄目です!」


 雷蒼様は、悪戯っ子のような笑みを浮かべて事も無げに笑っているが、左腕を動かせば自ずと胸の筋肉も動き折れている右肩にも響く。

 少なからず痛む筈だ。

 雷蒼様が早く動きたいと思う気持ちも解らなくはない。彼は武人で、これから国主に遣えようとしていたところなのだから急くのも当たり前だ。いざ仕官する時になって、槍の腕が落ちてしまったというわけにもいかないのだろう。

 でも、怪我が完全に治らないまま出立し、また誰かに襲われたり、戦に捲き込まれれば…………。

 それが心配で、わたしは雷蒼様に「大事をとって欲しい」と言い続けていた。


「また、てんげつに心配をかけてしまったな……」


 「ごめんごめん」と笑いながら、雷蒼はわたしの頭を撫でる。その笑顔は、いつも通りの優しいものに見えるが、少しだけ陰っている。

 本当は焦ってるんだろうな…………その上で、わたしに気を使ってくれてるんだ……………

 なんせ、この村は隠れ里、他の国に便りを送る事は出来ない。雷蒼様は、旅路の途中怪我をおってからというもの、郷里の家族にも、今後仕える主君にすら、連絡をとれていないのだ。

 一ヶ月以上も連絡を絶てば、死んでしまったと思われても仕方無い。不安になるのも当たり前だ。

 怪我が完全に治るまでなんてわたしの自分勝手なのかもしれない。それに…………


「雷蒼様……怪我を治して早く出立されたいですよね?」


「ん?あぁ、まぁそうだな……」


 寝台へと腰を下ろし、「そのためには天月の言う通りに養生しないとな」、と苦笑する彼へ、わたしは真剣な面持ちでそう切り出した。

 わたしは、雷蒼様の頚から吊るようにして腕を固定している包帯を解く。

 改まった様子でいつものように怪我を診始めたわたしに、彼は僅かに不安そうな顔をしていた。


「痛っ………!」


 添え木を外し、肩の関節部がきちんと稼働するかを確認した。動かせば痛みはあるものの、稼動域が狭まったりはしていない。粉々に折れていた骨がまだゆるくだが繋がりはしたようだ。

 これなら…………


「雷蒼様、約束して下さい」


「ん?」


「これから、特別な治療を行います。その治療法に関しては、決して誰にも云わないと約束して下さい」


 頭の中を長老様の厳しい顔が過る。

 それを行う事に覚悟は要ったが、躊躇はもうなかった。


「特別な治療……?」


「わたしにしか出来ない特別な治療です……ホントは長老様にやっては駄目だと言われてます。秘密にしなさいって。でも、雷蒼様には早く元気になって欲しいので…………」


 わたしは彼に余計な心配をかけぬよう、誤魔化すように笑って見せる。

 雷蒼の左手が再びわたしの頭へと伸びてきて、優しく撫でる。彼も合わせるようけど、眉間には幾筋か皺が入っていた。


「必ず約束を守ると誓おう」


 雷蒼様は表情を引き締め、わたしの目を真っ直ぐに見て、そう言ってくれた。


「では、いいと言うまで目を閉じていて下さい」


 言われた通りに彼は目を閉じた。

 わたしは彼に気付かれないように小さく深呼吸する。そして、再び彼を見据える。

 閉じられた切れ長の眼、精悍な眉、高い鷲鼻、薄い唇。信頼してくれているのか、宣誓の証なのか、無防備に目を閉じている。

 男の人なのに、とても整っていて美しい。

 そんな彼の肩、骨が折れた辺りの位置に手を伸ばす。直接触れない程度の近さに、左右から挟み込むように、両手を翳した。

 そして、額の中心辺りに意識を集中する。

 途端に、翡翠色の柔らかな光が瞬く。

 目を焼く程の光ではない木漏れ日のような暖かな光―――――――――





 わたしには、小さな頃から不思議な力がある。

 それは、念じる事で掌から傷を癒す光を放つ事が出来るというもの。

 この力は、どんな薬草や治療法よりも絶大で、命に関わるような怪我ですら治す事が出来る。

 だが、なんでも出来るわけではない。

 亡くなった人を生き返らせる事は出来ないし、切断された肉体を元に戻す事は出来ないし、流れ出た血液を体内に蘇らせる事も出来ない。

 それはこの力が怪我をした当人の体力を使って回復力を早めるというものだからで、決して万能なわけではなかった。

 わたしがこの力の存在に気付いたのは、お父さんが亡くなって少したってからの事だった。

 橙馬がわたしのために木になっている果物を取ろうとして落下してしまった事があった。

 橙馬は腕と足からたくさん血を出していて、わたしは泣きじゃくる事しか出来なくて、ただどうにか溢れ出る血を止めようと手を伸ばして…………初めてこの力を使った。

 流れていた血は止まり、熟々としていた傷は閉じ、癒えていった。

 もし、もう少し早くわたしがこの力に気付いていたら、お父さんは死ななくて済んだんじゃないかって………………時々思う。





 淡い翡翠色の光は、掌の間で膨らんでは萎んでを繰り返しながら、雷蒼様の肩へと注ぎ込まれていく。骨は体の中だから見えないけれど、ゆっくりと筋を、骨を治していっているはず。

 これで早く旅立つ事が出来ますね。雷蒼様……

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