第五幕 靄つく心
「なっ!?何してんだっ!!」
その日じいちゃんに言われて米を届けに月華の家を訪ねると、声をかけても返答が無かった。
じいちゃんの話では、少し前にじいちゃんの家を出て帰ったと言う話だったのに。
だから、いつもみたいに勝手に上がったところ――――月華は、寝台にいる男に覆い被さるように身を乗り出していた。まるで口付けでもしているかのようで…………
思わず声を上げてしまったのである。
「………え?」
オレの声に反応して、月華が振り返る。その表情は、照れるでも慌てるでもない。
「だからっ、何してんだって!?」
「何って……雷蒼様の汗を拭いてさしあげていただけだけど?」
手に握っていた手拭いを見せながら、月華は不思議そうに言う。
向いに座っている男のほうまで、可笑しなものでも見るような顔して此方を覗いていた。
「そ、そうかよ……」
紛らわしいんだよっ!あんな状況勘違いしてもしょうがねーじゃねーか!
そう思ったものの口には出さなかった。可笑しな勘違いをしたと馬鹿にされたら、ムカつくし。
「天月?彼は?」
大声を上げてしまった事に気まずさを感じて二の句を継げずにいると、寝台に座ったままの男が口を開く。
この男は、数日前に怪我をして倒れているところを月華が拾ってきたらしい。
丁度その時山の麓近くに採集に行っていた親父の話では、月華も男に折り重なるように倒れていたとか…………
後先考えなさ過ぎというか、油断し過ぎというか、本当に月華は馬鹿だ。しかも、村の掟を二つも破ってるし……馬鹿過ぎる。
「彼は、この村の長老様の孫で、
月華は男に向かってオレの事を勝手に紹介する。っつーか、なんでこいつは様付けで、オレは呼び捨てなんだよ!
オレのほうが月華より三つも年上だっていうのに。
「そうか……天月以外の村の人に会うのはこれが初めてだな。雷蒼龍と申す」
雷蒼龍と名乗ったそいつは、「仲良くしてくれ」とか完全に子供扱いした口調で、怪我をしていない左手を差し出し握手を求めてくる。
「アンタ、歳は?」
オレは、距離があった事と両手が米で塞がっているのをいいことに握手には応じず、それだけ返した。
「ん?あ、あぁ。今年元服を迎えた」
雷蒼は、差し出した手の行き場を見失って戸惑いつつも、問いに答える。
元服って事は、十六……んだよ、歳上かよ…………
なんとなく負けたような気分になって、オレは閉口する。
「……それで橙馬どうしたの?」
挨拶もろくにせず黙り込んだオレと、苦笑を浮かべた雷蒼の間に、割ってはいるように月華が訊いてくる。
オレが米袋を抱えているのは、見りゃあ判るだろうに、月華は寝台の傍から立ち上がろうとすらしない。
ただでさえ掟を破ってお咎めを受けるかもしれない身で、その上寝ずの看病をしてるというから心配して来てやったのに。
なんだか無性に腹がたってきた。
「米…………あっち置いとくから」
それだけ言って踵を返すと、投げるように米袋を置き、そのまま家を出る。
後ろのほうから、月華が礼を言う声が聞こえてきたが振り返らなかった。
大体、最近の月華は変だ。
突然一人で暮らすとか言うし、俺以外には下手くそな敬語で喋るし…………少し前まではオレの後をずっとくっついてまわっていたのに。そもそも、あいつはまだガキで、元々泣き虫で、寂しがり屋のくせに。
無理して背伸びする必要ないのに……。
だって、あいつは…………天月華は、この村にとって特別な存在なんだから。
オレは、月華が生まれるまでこの村の最年少だった。その次に若いヤツでも俺より五個も上で、女の場合は十個も上だった。
本来隠れ里で異民を入れないこの村の場合、一夫多妻か一妻多夫が通例で、天仙女の神言があることから、オレの場合は誰かの二番目か三番目の夫になる筈だった。
けれど、オレが物心つく頃に月華が生まれて、もしかしたら、こいつが将来オレの嫁さんになるのかもとか…………ガキながらに思ったんだ。
だからってわけじゃないけど、月華は唯一の年下の人間って事もあって、オレが護ってやらなくちゃって自然と思うようになった。
月華もまた、歳の近いオレによくなついて、あいつが歩けるようになってからは何かといっちゃあオレの所へ来るようになった。
でもじいちゃんや、親父には、月華はこの村にとって大切な存在だから、あまり馴れ馴れしくするなって言われてた。
でも、ガキのオレにはなんで月華と仲良くしちゃいけないかなんて解んなかったし、月華のほうから寄ってくるんだから仕方ないだろ、なんて思ってた。
だけど……あいつの親父さんが死んじまって、月華は泣いてばかりいるようになって…………
それからは、オレがあいつとどんなに親しくしようが誰も何も言わなくなった。なんせ、月華はオレがいないとすぐに泣き出しちまうし、村の他の連中じゃ誰もあいつが泣くのを止められなかったんだから。
そん時から殆ど四六時中オレは月華と一緒に過ごしてきた。なのに…………
「だぁーーっ!もう、なんなんだよ!」
月華の家を飛び出してきたものの、もやもやとした苛立ちは、消えてくれなかった。
そればかりか、色々考える程に募っていく。
オレだってもう十四、ガキだった昔と違って、月華がどれくらい特別な存在かなんて解っている。
オレが嫁に迎えられるような気安い相手じゃない事くらい…………
それでも、護ってやりたい気持ちは変わらない。
強がっているだけで、昔のまんま。泣き虫で、寂しがり屋のままなんだ。
足下にあった石ころを力一杯蹴れば、それは生い茂った木々の向こうへ、音もたてずに飛んでいった。
ざわついていた胸の中の靄が石ころに乗っかって一緒に飛んでいったような気がした。
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